■2019年7月21日、日曜日、曇り
この日は、上野の国立西洋美術館に、松方コレクション展を見に行った。
その帰り、大塚駅で降りて、都電で雑司ヶ谷へ。
雑司ヶ谷霊園周辺をブラブラし、そのまま西武池袋線の椎名町駅まで歩く。
スマホの万歩計によると、この日の歩数は18,500歩。
松方コレクション展はコレクション数がとにかく多い。
あと、加齢で目が悪くなったこともあり、ちょっと照明が暗いと思う。
作品としては、絵柄がわかりやすいのと、明るい色合いのクロード・モネやゴッホあたりに自然と目がいく。
※松方コレクション
現川崎重工業(当時川崎造船所)の社長だった松方幸次郎が
1910年代後半から20年代後半にかけてヨーロッパで大量の美術品を購入したもの。
国立西洋美術館、誕生秘話「美しく愚か者たちのタブロー」(原田マハ著)を読むと、
美術品の収集から、西洋美術館の誕生までの経緯をいろいろ知ることができるのでは。
(まだ読んでいません。近日中に購入予定)
▼国立西洋美術館前から撮ったスカツリー。雲に隠れる姿がなんか幻想的だった。
このあと、御徒町で買い物をして、山手線に乗車。
最近、御徒町はとにかく外国人が多い。飲食店も多国籍だ。
帰りは寄り道をすることにし、大塚駅で下車。
大塚駅から都電に乗り、雑司ヶ谷駅へ。
▼雑司ヶ谷駅
▼サンシャイン方向を見あげると、留学生が行方不明になって問題になっている東京福祉大学が見えた。
▼有名な都営雑司ヶ谷霊園
▼霊園に隣接する住宅地の路地
霊園を抜けて、鬼子母神駅近くに出る。
線路沿いは、地下道路トンネル工事をやっていた。
▼都電からちょっと入ったところにあるタンゴのライブをやるお店「エルチョクロ」。
このお店、前から気になっている。
このあと、鬼子母神の横を通り、さらに明治通りを渡り、山手線をまたぐ跨線橋へ。
▼その手前にあった公園
何かで読んだ。豊島区は公園のトイレをペインティングしている。
どうせなら、全面ペインティングがいいと思う。
▼西武線特急の新型車両が見えた。建築家の妹島和世さんのデザインだとか。
▼跨線橋です。この橋の名前は「花のはし」
▼跨線橋から目白駅方面を望む
▼西武線と山手線が交差するところ。宇宙人の落書きがゆるくていいかも。
次に向かったのは、以前から西武池袋線に乗っていて気になっていた
椎名町駅と池袋駅間にある「木が鬱蒼としている場所」と「和風の塀に囲まれた場所」
の正体を確かめに行った。
道が入り組んでいて、なかなかお目当ての場所にたどり着けなかったが、なんとかたどり着いた。
木が鬱蒼としている場所は、幼稚園と専門学校の敷地。
そして、和風の塀に囲まれた場所は想定外の立派な日本庭園だった。
こんなところに日本庭園があるとは知らなかった。
庭園の名は「豊島区立 目白庭園」、1990年開園。
▼豊島区立 目白庭園
もやもやを解消したところで、次に向かったのは戸建ての高級賃貸住宅街「徳川ヴィレッジ」。
▼徳川ヴィレッジ入口
▼一部で建替え工事が行われていた。どんな建物が建つのか楽しみ。
▼徳川黎明会※の門。こんな素敵なデザインの門は見たことがない。
※徳川黎明会(ウィキペディアによる)
東京都豊島区目白三丁目に本部・総務部を置く公益財団法人。
尾張徳川家伝来の美術品・文献資料等の収集・保管や一般公開を行い、
美術や史学の研究に資することを目的とし、徳川美術館と徳川林政史研究所とを運営している。
1931年(昭和6年)に財団法人 尾張徳川黎明会として設立された。
黎明会の前の道を北に歩き、西武池袋線の踏切を渡る。
渡ったところに「すいどーばた美術学院」があった。
すいどーばた美術学院というのは、芸術大学・美術大学受験のための予備校。
名称の由来は創設者高澤節がアトリエを置いていた地名からで、通称「どばた」というらしい。
▼椎名町駅近くまで来たら、山手通りの下は何かのイベントで屋台がいっぱい出ていた。
お腹が減っていたので、焼きそばを買ったが、これが超まずかった。
こんなんで400円も取るなよ~~。
イベント会場の横で立派なお寺を発見。
お寺の名は「金剛院」。そして、敷地内にはおしゃれなカフェレストランも。
椎名町の駅前にこんな立派なお寺があったなんて知らなかったな~。
▼金剛院
ここから、西武池袋線に乗って自宅のある富士見台駅へ。
あ~、歩いた歩いた。