社会空間研究所 建築・まちづくり通信

社会空間研究所の所員が建築・まちづくりに関する情報等を気ままに綴ったブログです。
2007年6月からスタートしました。

上野西洋美術館~大塚~雑司ヶ谷~椎名町

2019-07-31 19:09:13 | まち歩き(東京)

■2019年7月21日、日曜日、曇り

この日は、上野の国立西洋美術館に、松方コレクション展を見に行った。

その帰り、大塚駅で降りて、都電で雑司ヶ谷へ。

雑司ヶ谷霊園周辺をブラブラし、そのまま西武池袋線の椎名町駅まで歩く。

スマホの万歩計によると、この日の歩数は18,500歩。

 

松方コレクション展はコレクション数がとにかく多い。

あと、加齢で目が悪くなったこともあり、ちょっと照明が暗いと思う。

作品としては、絵柄がわかりやすいのと、明るい色合いのクロード・モネやゴッホあたりに自然と目がいく。

※松方コレクション

現川崎重工業(当時川崎造船所)の社長だった松方幸次郎が

1910年代後半から20年代後半にかけてヨーロッパで大量の美術品を購入したもの。

国立西洋美術館、誕生秘話「美しく愚か者たちのタブロー」(原田マハ著)を読むと、

美術品の収集から、西洋美術館の誕生までの経緯をいろいろ知ることができるのでは。

(まだ読んでいません。近日中に購入予定)

 

▼国立西洋美術館前から撮ったスカツリー。雲に隠れる姿がなんか幻想的だった。

このあと、御徒町で買い物をして、山手線に乗車。

最近、御徒町はとにかく外国人が多い。飲食店も多国籍だ。

 

帰りは寄り道をすることにし、大塚駅で下車。

大塚駅から都電に乗り、雑司ヶ谷駅へ。

▼雑司ヶ谷駅

▼サンシャイン方向を見あげると、留学生が行方不明になって問題になっている東京福祉大学が見えた。

▼有名な都営雑司ヶ谷霊園

▼霊園に隣接する住宅地の路地

霊園を抜けて、鬼子母神駅近くに出る。

線路沿いは、地下道路トンネル工事をやっていた。

▼都電からちょっと入ったところにあるタンゴのライブをやるお店「エルチョクロ」。

このお店、前から気になっている。

このあと、鬼子母神の横を通り、さらに明治通りを渡り、山手線をまたぐ跨線橋へ。

▼その手前にあった公園

何かで読んだ。豊島区は公園のトイレをペインティングしている。

どうせなら、全面ペインティングがいいと思う。

▼西武線特急の新型車両が見えた。建築家の妹島和世さんのデザインだとか。

▼跨線橋です。この橋の名前は「花のはし」

▼跨線橋から目白駅方面を望む

▼西武線と山手線が交差するところ。宇宙人の落書きがゆるくていいかも。

次に向かったのは、以前から西武池袋線に乗っていて気になっていた

椎名町駅と池袋駅間にある「木が鬱蒼としている場所」と「和風の塀に囲まれた場所」

の正体を確かめに行った。

道が入り組んでいて、なかなかお目当ての場所にたどり着けなかったが、なんとかたどり着いた。

木が鬱蒼としている場所は、幼稚園と専門学校の敷地。

そして、和風の塀に囲まれた場所は想定外の立派な日本庭園だった。

こんなところに日本庭園があるとは知らなかった。

庭園の名は「豊島区立 目白庭園」、1990年開園。

▼豊島区立 目白庭園

もやもやを解消したところで、次に向かったのは戸建ての高級賃貸住宅街「徳川ヴィレッジ」。

▼徳川ヴィレッジ入口

▼一部で建替え工事が行われていた。どんな建物が建つのか楽しみ。

▼徳川黎明会※の門。こんな素敵なデザインの門は見たことがない。

※徳川黎明会(ウィキペディアによる)

東京都豊島区目白三丁目に本部・総務部を置く公益財団法人。

尾張徳川家伝来の美術品・文献資料等の収集・保管や一般公開を行い、

美術や史学の研究に資することを目的とし、徳川美術館と徳川林政史研究所とを運営している。

1931年(昭和6年)に財団法人 尾張徳川黎明会として設立された。

 

黎明会の前の道を北に歩き、西武池袋線の踏切を渡る。

渡ったところに「すいどーばた美術学院」があった。

すいどーばた美術学院というのは、芸術大学・美術大学受験のための予備校。

名称の由来は創設者高澤節がアトリエを置いていた地名からで、通称「どばた」というらしい。

▼椎名町駅近くまで来たら、山手通りの下は何かのイベントで屋台がいっぱい出ていた。

お腹が減っていたので、焼きそばを買ったが、これが超まずかった。

こんなんで400円も取るなよ~~。

イベント会場の横で立派なお寺を発見。

お寺の名は「金剛院」。そして、敷地内にはおしゃれなカフェレストランも。

椎名町の駅前にこんな立派なお寺があったなんて知らなかったな~。

▼金剛院

ここから、西武池袋線に乗って自宅のある富士見台駅へ。

あ~、歩いた歩いた。

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東北沿岸を行くロングトレイル『みちのく潮風トレイル』全線開通

2019-07-26 15:31:49 | 観光

2019年7月24日、水曜日、日本交通公社・旅の図書館の「たびcafe」セミナー

東北1,000kmをつなぐ『みちのく潮風トレイル』

  ~自然資源を生かしながた地域の活躍の場づくり~

に参加してきた。

ゲストスピーカーは環境省東北地方環境事務所の櫻庭祐輔さん。

こんなロングトレイルのコースが作られているなんて全く知らなかったので、とても興味深い話だった。

櫻庭さんの話を聞いていたら、早く『みちのく潮風トレイル』を歩きたくなった。

日本においても、『みちのく潮風トレイル』がきっかけとなって、ロングトレイルを楽しむ人が増えてくるといい。

 

たぶん、知らない方も多いと思うので、今回は「みちのく潮風トレイル」概要を当日いただいた資料と、櫻庭さんのお話をベースに紹介します。

はじめに、コースのルートは次のマップのとおりで、青森県八戸市から福島市までの太平洋岸を結ぶ約1,000km。

2019年6月9日に全線開通した。

海沿いのロングトレイルは、世界でも珍しい。

 

「みちのく潮風トレイル」をもっと知りたい方は 

http://tohoku.env.go.jp/mct/route/

 

▼英語版のコースマップ

八戸の種差海岸(たねさしかいがん)あたりがとっかかりとしてはお薦めの場所。

南三陸より南側は、コースから防潮堤が見えてきて、アスファルトの道が多くなる。

 

「みちのく潮風トレイル」は、東日本大震災からの復興につなげるため、環境省が2011年から取り組んでいる「グリーン復興プロジェクト」のひとつ。

もともと、この検討が始まったのは、欧米発祥のロングトレイルに取り組んでいた作家の加藤則芳さんが、

環境省に「ロングトレイルをつくることで、海外から旅行者が訪れ、被災地を広く知ってもらえる」と持ち掛けたのがきっかけとのこと。

加藤さんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)で2013年6月に他界。

 

既に欧米人が結構このコースを歩いていて、彼らはSNS等で情報を仕入れているそうです。

欧米人は、日本人と違ってロングトレイルを楽しむ人口が多いのだろう。

自分のまわりにロングトレイルを楽しむ人は見当たらない。

(余談)

また、この会に参加した人のお話では、フランス人の東北愛はすごいと言ってた。

近年、日本語ができるフランス人の数が大幅に増加しているという話もされていた。

 【ルート設定】

環境省職員による全線調査後、環境省、市町村担当者、地域の観光業者、地域住民らがメンバーとなって座談会や現地調査を開催し、路線情報を収集。

全線調査はゲストスピーカーの櫻庭祐輔さんで、こういうケースはないそうです。

櫻庭さんは指南役の加藤さんに「設定者が自ら歩いてルートを設定すべき」という教えに従って47日をかけて全線を歩いた。

これにより、今は使われていないが、かつて存在した古い道(多くは集落間の物運び道路、かつての通学路であった山道)が復活。

このため、地元の人もこのトレイルコースに愛着がわき、地域の方々が道の管理作業に参加したり、道案内やトイレ・休憩場所の提供などを行っている。

そして、これがみちのく潮風トレイルの魅力になっている。

【日本のロングトレイルコース】

 ◎東海道自然道(東京~大阪)

 ◎九州自然道(九州一周)

【トレイル関係の本の紹介】

▽「森の聖者 自然保護の父」 加藤則芳著

 

▽「トレイルズ」 ロバートムーア著

▽ワールド・トレイルズ

▽「日本10大トレイル」 シェルパ斎藤著

▽「ロング・ロング・トレイル」 木村東吉著

▽「ジョン・ミューア・トレイルを行く」 加藤則芳著

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「レストラン古賀」から美味しそうなにおいが

2019-07-23 11:00:40 | 代々木上原情報

2019年7月23日、火曜日、今日も雨

朝、オフィスに向かう途中、「レストラン古賀」から

美味しそうなにおいがしてきた。

たまらないな~。

ランチの仕込み中のようだ。

古賀は毎日お店の前を通る。

入りたいと思うのだが、フレンチだと、なんとなく敷居が高く、

一人だとなかなか入れない。

残念!!

レストラン古賀が入る建物は、以前は結構ボロボロな建物だったが

見事にリノベージョンされた。

リノベーションの成功事例の一つにあげてもいいだろう。

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打ち合わせ前の飯田橋10分さんぽ

2019-07-19 18:22:59 | まち歩き(東京)

まずは、恋愛パワースポットとして人気の東京大神宮へ。

平日の11時前だというのに、若い女性で賑わっていました。

▼このプランターを設置できるガードレール、なかなかいいですね。

こんなガードレールがあるとは。

それにしても、工事でインターロッキングをはがして、なぜ原状回復しないのか、

しないでいいのか、理解できません。

▼この古い町屋、片流れの屋根がモダンです。

アントニ・レイモンドの軽井沢の夏の家に似ています。

▼弓具店発見

▼沿道の植栽のバランスがなかなかいい。

こちらの歩道も原状回復されていませんでした。

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小田急ロマンスカー・ラインナップ

2019-07-17 19:15:06 | アート

小田急線新宿駅のホームで発見!!

「小田急ロマンスカー・ラインナップ」

鉄ちゃんではありませんがプチ感動!!

なかなかおしゃれ、アートです!!

小田急やるじゃないか。

 

ちなみに、乗車したことがあるのは「HiSE」まで。

それ以降のロマンスカーには乗っていない。

それも仕事でしか乗ったことがない。

今度、ゆっくり観光気分で乗ってみたいな~。

 

デザイン的には、

RSEからVSEの時代は、従来のロマンスカー・カラーとは異なっていたが

最新型のGSEで、また、ロマンスカー・カラーに回帰した感じだ。

▼1957-1992 SE >1963-1999 NSE>1980-2018 LSE

ロマンスカーは1957年から走っていたとは。案外歴史が古い。

▼1987-2012 HiSE>1991-2012 RSE

▼1996- EXE>2005-VSE

▼2008-MSE>2017-EXEα>2018-GSE

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都市農地賃借法の導入事例

2019-07-11 19:48:19 | 農業

2019年7月11日、金曜日、雨

本日、都市農地活用支援センター主催の都市農地制度に係る情報交換会に行ってきました。

この中で、N区における都市農地賃借法(都市農地の賃貸の円滑化に関する法律)の

導入事例の紹介がありました。

 

都市農地賃借法について、知りたい方は ↓

http://www.maff.go.jp/j/nousin/kouryu/tosi_nougyo/taishaku/tosi_taisyaku.html

都市農業、都市農地に関する最新情報等を知りたい方は、「都市農地活用支援センター」のHPを ↓

http://www.tosinouti.or.jp/

 

賃料は東京都の市街化調整区域農地の賃料を参考に設定しているとのことでした。

契約期間は3~5年。

ちなみに、日野市の賃借法1号は30年契約だそうです(借りた農地を自ら耕作するタイプ)。

貸したい人はいるが借りたい人がいないらしい。

貸し手は短く貸したい、借り手は長く借りたい。

紹介された事例の賃料等は次のとおり。

資料が配布されなかったのでメモが取れた範囲での紹介です。

【事例1】

 ◎農地の賃料:600㎡、5万円/年 → 83円/㎡・年

 ◎市民農園の収入:5万円/区画・年 → 65万円

【事例2】

 ◎農地の賃料:5,600㎡、56万円/年 → 100円/㎡・年

 ◎市民農園の収入:5万円/区画・年 → 565万円(113区画)

【事例3】

 ◎農地の賃料:2,700㎡、1.2万円/年 → 4.4円/㎡・年

 

ちなみに、この制度を活用した調布にある市民農園の利用料は結構いい値段です。

でも、これぐらいとらないと事業としては成立しない気がするが・・・。

農地の賃料は不明です。

シェア畑仙川:所在地/仙川町1-28-3外、面積/2,099㎡

8㎡(月額9,800円)、3㎡(月額6,400円)

開設者:株式会社アグリメディア

※調布の事例はネット情報

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大宮の盆栽町はハワードの日本型ガーデンシティだった

2019-07-01 18:00:38 | まち歩き(東京)

だいぶ以前に購入した本だが、ほとんど目を通していなかった

「近代日本の郊外住宅地」(鹿島出版会)

を久々に手に取り、ぺらぺらめくってたら、目次の「盆栽村/大宮」が目に留まった。

それも執筆は鈴木博之さんだった。鈴木さんが著した「東京の地霊」(文芸春秋)は面白かった。

ついでに、「郊外住宅地の系譜」(鹿島出版会/山口廣編)もお薦め。

こちらは東京の住宅地で、近代日本は全国。

 

盆栽村はだいぶ前に一度訪れたこともあり、

もともと駒込等に住んでいた植木職人が

関東大震災後にまとまって移住した場所である、程度の知識はあったが

まさか、移住してくる盆栽事業者の受け皿として

オーダーメードの区画整理事業が行われた土地だとは知らなかった。

ましてや、盆栽村は

良好な住環境のもとに職住近接を実現したハワードの日本型ガーデンシティだった、ということも。

驚きである。

▼案内サイン

▼現在の街並み(2011年8月に訪れた時の写真)

以下、この本(「近代日本の郊外住宅地)に書かれていた盆栽村の概略を記します。

◎植木屋さんは大名庭園がなくなり、職業として衰退していったこと

◎そんな中、盆栽は、木戸孝允、伊藤博文、大隈重信等明治の有力者たちに好まれ、庶民にも人気を広げた。

◎市街化が進んで、環境的に植木や盆栽業を続けるのが難しかった時に、関東大震災が起き、郊外への脱出を決意させるきっかけとなった。

◎駒込新明町(現本駒込)、団子坂(現千駄木)に住んでいた盆栽業者が中心になって、「日本盆栽発展の根拠地たるにふさわしい土地」を探した。※今の不忍通り沿線の地域になる。

◎中心になった盆栽業者は、団子坂の清水利太郎、蔵石篤夫、加藤留吉、鈴木重太郎。

◎盆栽の栽培に必要なより広い土地、盆栽に適した土壌、新鮮な空気水があるところをさがし、そこが大宮の大砂土村本郷、土呂地であった。町名は、昭和15年に大宮市に大砂土村が合併された際、大宮市盆栽町になった。

◎面積は約10ha、減歩率は約25%、1区画は300坪~1,500坪(区画は盆栽業者のニーズに合わせた)、道路幅員は10.8m。

◎ここは分譲ではなく借地であった。

◎大正14年に最初に移り住んだのは、清水利太郎(清大園)、蔵石篤夫(薫風園)、内海親之亟(蔓青園)、米津梅太郎(好石園)等

◎団子坂から移ったのは7~8軒、新明町からは4~5軒、そして全国から20軒ほど集まった。

◎ハワードの田園都市は、住環境の良いところに、職住近接のまちをつくることであり、盆栽村はまさに日本型の田園都市を実現したところである。

◎ちなみに、森鴎外の長男も東京から移り住んでいる。

◎終戦後、町内の5軒が進駐軍に接収された。それだけ、この住宅地が質の高いものであったという証拠である。

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