2021年7月6日、火曜日、曇り時々雨
この日は、田町駅からスタートし三田~元麻布~笄町界隈を散策した。
ちなみに「笄」はこうがいと読みます。
緑のラインがこの日の散策ルート。
歩行距離は7.9km。もはや散策の距離ではないかもしれない。
田町駅から桜田通りに出て慶應大学をちょっと過ぎたあたりを左に入った。
道はゆるい坂になっていた。左前方に鬱蒼とした緑と立派な門が見えた。
イタリア大使館の正門だった。
イタリア大使館の敷地は、もともとは松平隠岐守の中屋敷跡で、その後、華族の松方邸となった。
一つの街区が全てイタリア大使館の敷地になっている。とにかく広い。
ブラタモリでやっていたが敷地内には江戸回遊式の美しい庭園が残っているらしい。中は見えない。
イタリア大使館の前にあるお店「蕎麦切 砥喜和(ときわ)」という和食屋さんがちょっと気になった。
三井倶楽部に突き当たる手前から見たイタリア大使館。
長く続く塀が綱町三井倶楽部。ちなみに30年以上前にここで結婚式をあげたが、もう少し庭をちゃんと見ておけばよかった。
綱坂。格調高い雰囲気のあるいい坂である。
綱坂沿いに建つイタリア大使館職員住宅
三井倶楽部の南側に建つ高級マンション「三田綱町パーク」。
三井倶楽部西側の道路沿い。三井倶楽部の鬱蒼とした緑が見える。
こちらは「パークマンション三田綱町フォレスト」のエントランス。ちょっと成金趣味的なデザイン。
写真を撮り忘れたがこの坂を登ったところの左側にオーストラリア大使館がある。
日向坂を挟んで三井倶楽部の反対側にあった三田台郵便局、東京簡易保険事務センターは知らない間に取り壊され、現在「(仮称)港区三田一丁目計画(共同住宅棟・大学棟)」が進められていた。
三井不動産と三菱地所の大型マンションと慶應大学の施設もできるようだ。
※下の写真はブログ「ぼくの近代建築コレクション」の写真を無断掲載しました。ごめんなさい。
また、このブログによると、2017年1月30 日に日本建築学会から、かんぽ生命保険・日本郵政・都知事・港区長宛に「「旧東京簡易保険支局およびその敷地」の保存活用に関する要望書」が出されたようだが・・・・・。
三田の台地は環境が一変しそうだ。
こんな環境の良いところに黄緑色の柵はいただけない。景観に配慮するという意識はないのだろうか。
最近、工事現場の囲いは角の部分が安全性向上の観点から、透明のアクリル板が使われるようになっている。
ここから神明坂を下る。
古そうな神社が見えてきた。「元神明宮 天祖神社」。
天祖神社の石垣、なんか崩れそうでこわい。
キルギス共和国大使館。格調高いイタリア大使館もいいがこういう庶民的な大使館もいい。
住友不動産のオフィスビル?
神明坂を降り切ったところを左折したら、気になる建物が目についた。
「東京さぬき倶楽部」とある、が門が閉まっていた。
泉麻人さんのエッセイ「三田小山町歩き、のススメ」やウィキペディアによると
東京さぬき倶楽部はもともと「讃岐会館」という香川県人会の宿泊施設だったところで、
香川県生協によって建てられたが香川県人会に経営が譲渡され「東京さぬき倶楽部」に改名された。
その昔は武家屋敷→真珠王・御木本さん等いろいろ歴史を辿ってきた土地らしい。
12階建ての本館は大江宏さんの設計(昭和47年に建てられた)で、別館は明治時代につくられた木造建築で御木本さんの別邸だった。
当敷地は「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」の事業区域に含まれており、昨年2020年4月末に閉館している。
この建物の隣接地では既に「三田小山町地区」と「三田小山町東地区」の再開発事業が完了している。
再開発事業区域
三田小山町について、陣内先生の「東京の空間人類学」では次のように記載されている。
古川沿いの低地にある三田小山町は明治中期から早くも、水運と結びついた周辺での工場建設に伴い、小資本家たちによって路地と町屋・長屋を組み合わせた職工・商人のための地区がつくられ、近世的な雰囲気の庶民の生活空間を生み出した。
三田小山町の風景
あとで知ったのだが、泉麻人さんのエッセイによると、この辺りにある鳥塚クリーニング店はワイルドワンズの鳥塚さんのご実家らしい。
古川沿いの街並み
市街地再開発事業が計画されている三田小山町地区
市街地再開発事業の計画。2027年にはこんな姿に。
古川沿いに建つツイン一の橋。建物と周りの環境が香港にいるような錯覚を覚えた。
二之橋から見た日向坂。この先にオーストラリア大使館、三井倶楽部がある。
ここから仙台坂に入る。雰囲気のあるお寺「福泉寺」
韓国大使館。韓国大使館はここにあったのか。
森ビルが開発した高級マンション「元麻布ヒルズ」。設計は内井昭蔵氏
https://www.mori.co.jp/projects/motoazabuhills/
マンションの足元には大きなお寺「善福寺」があり、そのまわりにも寺が多い。
麻布山善福寺HP ↓
https://azabu-san.or.jp/index2.html
古い住宅地図で確認したが、写真手前の駐車場は長い間駐車場のままだ。森ビルが所有か?
このあたりは大使館が多いのでお巡りさんも多い。
大井町から鮫洲に降りる坂も確か仙台坂だった。あそこも仙台藩の下屋敷があった。
大きな藩は下屋敷が複数あったんだ。
仙台坂を右に曲がってみた。アルゼンチン大使館の先にあった港区立元麻布保育園。ずいぶん立派な保育園だ。
港区七福神の毘沙門天
安藤記念教会会堂、大谷石造、建築年大正6年。エイジングな建物だ。
いい建物は時間の経過とともに味が出てくる。
中国大使館前にあったサウナ。なんか昭和の臭いを感じるようなサウナだ。周辺の環境とのアンバランス感が面白い。
このサウナ、気になってネットで調べたら「アダム&イヴ」という名前で、有名なサウナのようです。
https://kurotabe.tokyo/entry/sauna_adam_eve
中国大使館の塀には中国の観光スポットの写真が貼ってあった。
ここからがこの日の目的地「麻布笄町(こうがいちょう)」。
いまは笄町という町名はない。笄町は、江戸時代から1967年(昭和42年)まで存在した町名で、町域には現在の南青山6・7丁目から西麻布2・4丁目の一部が含まれる。
笄町を訪れた目的は、「近代日本の郊外住宅地」(片木篤+藤谷陽悦+角野幸博=編/鹿島出版会)で紹介されていた麻布笄町・桜田町分譲地の「いま」を確認するため。
下の写真は麻布桜田町分譲地です。ここは陸軍騎兵中尉西竹一の邸宅だったところ。
この西竹一は昭和7年のロサンゼルスオリンピックの馬術大障害でで優勝した人で、「バロン・ニシ」と呼ばれ欧米の社交界でも人気があったらしい。バロン・ニシってなんか聞いたことあるような、ないような~~。
高台の西邸を残して昭和6~18年にかけて三井信託が分譲した。
現在、この中心部には三井パークマンションが建ち、周辺もほとんどが低層の集合住宅となっているが一部戸建て住宅も見られる。
写真のとおり、都心の一等地に位置する緑豊かな閑静な高級住宅地である。
名門?笄小学校。
次は外苑西通りを渡って笄町分譲地へ。
この建物はなにかと思ったら、最近草刈正雄さん主演のCM「AFTER LIFE REDIDENSEの了聞」でした。
この堀田坂を登ったところに笄町分譲地がある。
左前方の森は「広尾ガーデンヒルズ」。日本赤十字病院の跡地に建てられた。
ここからが笄町分譲地。この分譲地は三井信託会社の分譲業務第一号として昭和元年から4年にかけた開発された。
もとは画家の黒田清輝と高木子爵の邸宅(高木子爵は良く知らない)の所有地を合わせた土地。黒田の遺言で美術界に貢献する事業に寄付す資金をねん出するために分譲したらしい。
下の写真の建物は分譲地内に建つ「コートヤードHIROO」
コートヤードHIROOは、築46年の旧厚生省公務員宿舎をフルリノベーション。集合住宅・商業の複合施設として再生された。住宅の他、オフィス、ヨガスタジオ、レストラン等が入っている。
興味のある方は https://cy-hiroo.jp/
この笄町分譲地も桜田町分譲地同様に、現在は低層の集合住宅が中心となっているがやはり戸建ても少し残っている。この両者のどちらを選ぶかと言われたら、緑の豊かさ・閑静さから、桜田町分譲地の方を選ぶ。
笄町分譲地のすぐ横は交通量の多い商店街だった。狭い道だが日赤もあるためか交通量が意外に多い。
以上、三田~元麻布~笄町界隈、約8kmの住宅地散策でした。このコースは歩いたことのないコースだったのでいろいろ目にするものが新しく、なかなかおもしろかった。
見落としたところも多いので時間があったらまた行ってみたい。
いろんな坂がいっぱいあったようだ。
【オマケ】
骨董通りに沿いに建つマンション。なんか大きな地震が来たら捻じれて倒れそうだ。
もちろん、建築確認がおりてますから大丈夫のはずです。
【参考文献】
・東京の空間人類学(陣内秀信著/ちくま学芸文庫)
・アースダイバー(中沢新一著/講談社)
・近代日本の郊外住宅地(片木篤+藤谷陽悦+角野幸博=編/鹿島出版会)
・三田小山町歩き、のススメ(泉麻人)