社会空間研究所 建築・まちづくり通信

社会空間研究所の所員が建築・まちづくりに関する情報等を気ままに綴ったブログです。
2007年6月からスタートしました。

柳森神社から神田川沿いを隅田川まで歩く

2024-10-17 17:46:49 | まち歩き(東京)

■2024年10月11日、金曜日、晴れ

この日は長めのお昼さんぽ。

万世橋近くの柳森神社から柳原通りを両国橋(隅田川)まで歩いた。

この日歩いたルートは緑のライン。約3km。

柳原通りは10階建てぐらいの中小のビルが建ち並ぶ。用途はマンションとオフィスビルが混在する。

比較的新しいビルは、このように神田川に向けて1階部分を開けて、親水性が確保されている。

ビルの1階から見た神田川。水辺をもう少し修景しようよ。

首都高速の下を通る和泉橋南歩道橋。青い橋が和泉橋。

歩道橋から神田川を望む。

ポンポン船はなんか長閑な風景だ。

歩道橋を渡ってまた柳原通りへ。柳原通りの街並みはずっとこんな感じだ。市松模様の建物はホテルかと思ったら「田島ルーフィング」の本社だった。

和泉橋から見た田島の本社ビル。このビルも見てたら、博多のホテル・イルパラッツオを思い出した。

美倉橋まで来ました。和風の建物は公衆トイレ。

美倉橋周辺の街並み。

再び、柳原通り。

この辺りは新しいマンションが多い。

左衛門橋まで来ました。

左衛門橋から秋葉原方面を望む。

こちらは左衛門橋から墨田川方面。奥に緑の柳橋が見える。ここから下流に向かって屋形船が増えてくる。

柳原通りへ。

このビルはホテルかな?

ホテルの反対側に美味しいそうなジャージャー麺のお店があった。なんとなく惹かれるお店だ。お店の名前は「熊公」。

白い大きなビルは「開智日本橋学園中学・高校」。昔は女子高で違う名前だったような気がする。

東日本橋交番。

この交番のあたりに郡代の屋敷があったらしい。江戸時代に関東の幕府直轄領の年貢の徴収・治水・領民の紛争処理などを管理した関東郡代の役宅だそうです。

浅草橋。浅草橋って意外に寂しい橋だった。

正面のビルは両国郵便局。なんか両国郵便局とこの建物のデザインが結びつかない。

浅草橋から柳橋にかけて舟屋が多くなり、屋形船の数も増えてくる。このあたりは風情を感じる東京を代表する風景だ。絵になる。

再び、柳原通りへ。墨田川も近い。

両国橋近くにあったレリーフ。元芸大学長の宮田亮平先生の作品。神田あたりはなぜか宮田先生の作品が多い。

両国橋到着。

隅田川。ずっと神田川を見てきたから、隅田川が大河に見えた。写真の橋は総武線が走る鉄道橋。スカイツリーも見える。スカイツリーはまだ行っていない。

神田川の河口に小さな船着き場があった。

緑色の橋が柳橋。重厚感があり、かつ曲線がとても美しい橋だ。なんか生き物のようだ。

柳橋はライン川の橋のデザインを参考にした永代橋のデザインを採り入れたそうだ。昭和4年(1929年)に完成。

帰りは左岸側の道で戻りました。

10月11日だというのに、汗びっしょりのお昼さんぽでした。

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日比谷公園~東京ミッドタウン~赤坂三分坂(さんぷんざか)

2024-08-08 17:43:24 | まち歩き(東京)

■2024年8月6日、火曜日、晴れ

霞が関での打ち合わせの帰り、改修工事が進められている日比谷公園を覗いてきた。

霞門から公園に入る。

改修工事が進んだ第二花壇。全面的に段差がなくなり、広々とした芝生広場に生まれ変わっていた。開放感がある。夏場は緑陰がないのでチョット昼間は無理だ。

東京ミッドタウン日比谷を望む。

 

正面が大噴水。その奥が丸の内のオフィス街。

帝国ホテル。ここも再開発により建て替わる。完成は2036年予定。設計は田根剛氏。2036年だと80歳だから生きていないかもしれない。

噴水の正面が日比谷公会堂。噴水で見えなかったので噴水の前に。

第二花壇。「HIBIYA PARK」の文字は新しく設置されたようだ。なんとも中途半端だ。

第二花壇から見たミッドタウン日比谷。

このゴミ箱、オシャレなデザインのものに早く変えてほしい。ゴミ箱替えるのはすぐにでもできる。

心字池の生垣、雑草が生い茂っていた石垣が見えない。

千代田線で乃木坂へ。乃木坂から東京ミッドタウンにある「21_21 DESIGN SIGHT」に。

『未来のかけら 科学とデザインの実験室』(8/12まで)のチケットをいただいたので観に行きました。

が、な・なんとこの日は休館日。チケットをよく見たら、休館日:火曜日と書いてあった。

やっちまった!!残念!!

ミッドタウン隣りの緑豊かな路地を歩く。以前から、この一角、気に入ってるんです。確かこの建物の2階に「磯崎新アトリエ」が入っていたと思ったが、、、なかった。移転したようだ。

今は坂倉準三事務所になっていた。記憶だと上の階に坂倉事務所が入っていた気がする。磯崎アトリエが移転したので坂倉事務所がこのフロアも借りたのかもしれない。

こちらは隣のカフェレストラン

いつの間にか建っていたタワーマンション「パークコート赤坂檜町ザタワー」。

東京ミッドタウンの裏には港区立赤坂小学校&赤坂中学校があった。区立とは思えない。

さらに裏の方に進入すると、突然現れた急坂。「三分坂」、さんぷんざかと読むようだ。

名前の由来は、荷車を後押しもらうとき、急なので車銀を銀3分(さんぷん)ほど割り増ししたためと言われている。

https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/62.html

坂の途中にある「報土寺」。築地塀が美しい。ここに江戸時代に活躍した力士「雷電」の墓があった。

お墓詣りでもと思ったが暑かったのでやめてしまったが、行っておけばよかったと後悔。

https://www.kissport.or.jp/spot/tanbou/2101/

このあとお腹が空いたので、近くにあった「ステーキハウス大澤」でランチ。

ステーキは高かったのでビーフカレーを食べた。

大澤さんは歴史を感じさせる、雰囲気のあるいいお店だった。

お金が溜まったら、夜、妻とステーキを食べに来ようと思った(笑)。

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西池袋4丁目、池袋3丁目界隈を散策する // 阿部詩選手初戦で敗れる波乱

2024-08-06 14:02:26 | まち歩き(東京)

■2024年7月28日、日曜日、晴れ

この日は短いまち歩き。西池袋4丁目、池袋3丁目界隈を散策。

有楽町線の要町駅を降りて地上に。

山手通りと要町通りの交差点付近。このあたりを歩くのは初めて。

要町通りを池袋方面に歩くと、右側に緑道(谷端川南緑道)が見えた。灌木がきれいに刈り込まれている。

さらに池袋方面に進み、この路地を入る。

 

ここが「ニシイケバレイ」。緑が豊かだ。下の建物は木造モルタルのアパートをリノベした飲食店。

ニシイケバレイHP https://nishiikevalley.jp/

 

こっちはRCの集合住宅。1階に器屋さん(ガラスの器)が入ってた。写真撮るの忘れた。

木造モルタルの建物とRCの集合住宅の間の路地。自然な感じの緑(植栽)がとてもいい。

この壁面緑化もいい感じ。量感がいいのだろう。

上の建物を過ぎて右に入ると、左に平屋の木造の民家が見え、また緑豊かな路地空間が現われる。ニシイケバレイには樹陰があり、腰かけて話す、休む場がある。

右側の建物が木造平屋をリノベしたカフェ。

木戸門がカフェのエントランス。

要町通りに再び出る。左側の植栽のある集合住宅もニシイケバレイを構成する建物。

立教大学の方に向かう。雰囲気のある古い集合住宅。40年ぐらい前、世田谷の東松原でこんなアパートに住んでいた。

この建物、工場だと思ったら結婚式場のリビエラの建物だった。

立教大学の敷地内には旧江戸川乱歩邸があった

「立教学院内郵便局」なんていう郵便局も発見。

立教大学正門と本館。シンメトリーの美しいエレベーション。そして三角に刈り込まれた2本の高木が風格とやさしさを演出している。

 

立教学院のキャンパスマップ。立教学院は今年創立150周年を迎えるためか正門周辺がきれいになっている気がした。

ここから池袋3丁目。

再び要町通りに戻る。この沿道の集合住宅の開口部のパネルがおもしろい。

「三思館」入口と書いてある。立派な樹木だ。

これが三思館。たぶん建替えられたのだろう。建替え前の三思館を見たかった。上の立派な樹木は三思館の大家さんちのものだろう。

タイレストラン「メコン」

ルーテル東京池袋教会

黄色の看板のもんじゃ焼き屋さんがおいしそうだった。

このへんの街並みは下町っぽい。

谷端川南緑道を歩く

欄干に高松橋と書かれていた。

「要町病院」の看板が目を引いた。

この日歩いたルート。約2.3kmでした。

帰宅後、阿部兄弟の柔道をテレビ観戦。阿部詩選手が初戦で敗れる!!涙、涙でした。

オリンピック観戦は、緊張感があるから、なかなか疲れる。

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日比谷公園、虎ノ門界隈をプチ散策

2023-11-10 16:44:06 | まち歩き(東京)

■2023年11月1日、水曜日、晴れ

霞が関での打ち合わせの帰り、久しぶりに日比谷公園~虎ノ門あたりを歩いた。

日比谷公園では、第二花壇(噴水前の広場)の芝生広場への改修工事が進められていた。

第二花壇は、工事前、元気のないバラが植えられた花壇で、花壇部分が周りより一段低くなっていたため、利用しにくいスペースだった。

これが段差のない広い芝生広場に生まれ変わるので使い勝手が良くなる。

それと、ブランコ、鉄棒、滑り台など子供の遊具が並んでた場所も大芝生広場に生まれ変わるようだ。

できれば、心字池横の第一花壇も、もう少し植栽に気を使った、上質な花壇にしてほしい。

これも徐々に進められると思うが・・・・・。

とにかく、リニューアルオープンが楽しみだ。

日比谷公園から虎ノ門ヒルズ駅へ。

虎ノ門ヒルズステーションタワービルが竣工していたがひと気があまりなかった。まだテナントは埋まっていない?

左側のビルがステーションビル。右は金刀比羅神社の入る再開発ビル。

虎ノ門ヒルズステーションビルと虎ノ門ヒルズはペデストリアンデッキでつながっていた。

デッキの上は植栽が施されていたがひと気がないからか、なんかさみしい。そのうち人の流れが生まれ、賑わいが出てくるだろう。

ヒルズステーションタワービル側から見た虎ノ門ヒルズ。斜めのフレームが平衡感覚をおかしする。

金刀比羅神社。ここの再開発はおもしろい空間を創出している。

虎ノ門駅ホームの壁がアート。この作品好きです。

調べたところ、作者は彫刻家・中谷ミチコ氏、作品名は「白い虎が見ている」でした。

以上、日比谷公園、虎ノ門界隈プチ散策でした。

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溜池山王駅~アークヒルズ~東京タワー~三田~泉岳寺~高輪ゲートウェイ駅(その2)

2022-10-04 16:27:49 | まち歩き(東京)

前回の続き

アークヒルズ横の桜坂~スペイン大使館~スウェーデン大使館~アークヒルズ仙石山森ビル~虎ノ門・麻布台プロジェクト~東京タワー~三田~泉岳寺~高輪ゲートウェイ駅までの約6kmのコース。

今回は三田から。

▼桜田通り三田1丁目あたり。駅側の市街地は小さな敷地が多く、年代物の建物が多く残る。

▼三田三・四丁目地区第一種市街地再開発事業

▼この交差点は「札の辻」というようだ。札の辻という名称の由来は、ここに高札場(こうさつば)が設けられたことによるらしい。

▼辻の札の交差点には「バンダイナムコ未来研究所」があった。何だろうと思って調べたらバンダイナムコグループの本社オフィスビルをこう呼ぶようだ。

▼ビルに貼られた「御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)」の文字が妙に気になった。

HPによると和銅2年(709年)に神様をお祀りしてより1300年を超える神社で、江戸時代に現在の三田の地に遷座され、以来三田をはじめ芝、芝浦、高輪の氏神様として崇敬されている。

ちなみに、御田八幡神社の反対側に笹川記念会館がある。ここにあったのか。

▼第一京浜の泉岳寺手前の街並み。この反対側が高輪ゲートウェイ駅前で大規模開発が進められている。

▼大規模開発が進められている高輪ゲートウェイ駅周辺

▼高輪ゲートウェイ駅周辺の開発イメージ(第一京浜側)

引用:都市再生特別地区(品川駅北周辺地区)都市計画(素案)の概要(東日本旅客鉄道会社)
https://www.chisou.go.jp/tiiki/kokusentoc/tokyoken/tokyotoshisaisei/dai14/shiryou1.pdf

 

▼このあたりには江戸時代に江戸の南の玄関口として高輪大木戸が設けられ、治安の維持と交通規制のために夜は門が締められていた。

後日、地図で見たら「高輪大木戸跡信号」の近くに「財界二世学院ビル」なるものがあった。なんだろ?

▼第一京浜から見た泉岳寺中門。この道路の下に浅草線「泉岳寺駅」がある。これも後日、地図を見て知った。入口はどこにあったのだろう?

▼泉岳寺近くにあった酒屋さん。播州赤穂の地酒「忠臣蔵」をおいている。こんな銘柄もあるのか~

▼泉岳寺中門

▼突然現れた?大石内蔵助の立派な銅像

▼メインゲートの山門

▼境内

▼中門をくぐった右側に私立高輪中学高等学校があった。

▼同じく中門の中にあったお店。その壁には「忠臣蔵愛好会、忠臣蔵図書館、(財)中央義士会、当店でお尋ねください」と???

▼切腹最中は、なんか買いたくないな~。

▼「忠臣蔵を大河ドラマへ」というノボリがたってた。ストーリーが見えすぎているから難しいだろう。

▼周りは全て工事中だし、そんなに急いで開業しなくてもよかったのでは??

▼何もないところに佐藤健の大林組のポスターが

▼噂の無人コンビニ。

▼各ホームとも数人しかいない。1日の乗降客数が気になった。

今回はじめて赤穂藩浅野家の菩提寺、泉岳寺を訪れました。訪れる人も多いであろう有名なお寺ですから、趣のある環境下にあると思っていたのですがちょっと残念。もう少し周辺の環境整備に力を入れてほしいところです。

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溜池山王駅~アークヒルズ~東京タワー~三田~泉岳寺~高輪ゲートウェイ駅(その1)

2022-09-22 16:35:46 | まち歩き(東京)

■2022年9月14日、木曜日、晴れ、暑かった。

この日の街歩きは溜池山王駅からスタート。

アークヒルズ横の桜坂~スペイン大使館~スウェーデン大使館~アークヒルズ仙石山森ビル~虎ノ門・麻布台プロジェクト~東京タワー~三田~泉岳寺~高輪ゲートウェイ駅までの約6kmのコース。

▼緑のラインがこの日歩いたコース

▼右側がアーク森ビル(37階)

▼サントリーホール横の歩行者通路でなんかの撮影をしてた。何だろう。気になる。ドラマにサントリーホールが出てきたらこの撮影です。

▼サントリーホールを背にホテルオークラを見る。手前は高級賃貸マンション「アークヒルズエグゼクティブタワー」。ネットで募集中の案件みたら104㎡で74万円でした。0.71万円/㎡。うちのマンションもここにあったら55万円で貸せる。ここにないんだから計算しても意味がない(笑)。その前にこんな都心でマンションが買えるわけがない笑笑。

▼同じく高級賃貸住宅「ホーマットプレジデント」。こちらはさらに広い。専有面積はなんと200㎡前後。家賃は100万円、0.5万円/㎡で㎡単価は古い分、エグゼクティブタワーよりは安い。日本にこんな広い賃貸マンションがあるんだ。まさにエグゼクティブな都心居住だ。

アークヒルズから仙石山森ビル周辺はとにかく緑が多い。

▼泉ガーデンギャラリーのエントランス

ちなみに、「泉ガーデン」の泉は、住友財閥(グループ)の屋号である「泉屋」からきていることを誰かのブログで知った。

▼スペイン大使館の塀。ちょうど、犬を連れたご婦人が大使館から出てきました。

▼スウェーデン大使館の門扉。写真が門と塀ばかりじゃないか。

▼アークヒルズ仙石山森タワー(47階)

▼森タワーの前の小さな庭

▼こんな高級感のあるベンチ見たことない

▼スウェーデン大使館横の歩行者道。この道、夜は怖そうだ。

▼この坂を下ったところが「虎ノ門・麻布台再開発事業地区」

▼アークヒルズ仙石山森タワー。24階までが住宅、25~47階がオフィス。低層棟は住宅。たぶん、地権者の住宅と思われる。

▼低層部の足元部分

虎ノ門・麻布台再開発事業地区に含まれなかった地区

▼大橋茶寮(おおはしさりょう)

有名な茶室のようだ。今回の街歩きで一番の発見かもしれない。

『婦人画報』のHPによると、
「大橋茶寮」は創業78年。
文化庁より登録有形文化財に登録され、料亭、貸茶室、稽古場などからなる。
戦前、戦後ここを東京での足がかりに裏千家茶道を広めるため14代家元の淡々斎宗匠(たんたんさいそうしょう)が月に1度、道具を抱えて汽車に乗り、ここを稽古場とした。1957(昭和32)年に千代田区二番町に「東京道場」ができるが、ここでのお稽古は亡くななるまで続けられたらしい。

大橋茶寮についてもっと知りたい方は ↓

▷いのちをかけた茶人 守貧庵のあるじ 大橋宗乃さん
http://kyoto.wabisuke.jp/oohasityaryou.html

▷婦人画報HP
https://www.fujingaho.jp/lifestyle/tea-flower/a33374648/urasenke-oohashisouno-200722/

▷文化庁HP 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/141358

※実はもうひとつ発見がありました。後日、地図で見たら、大橋茶寮の裏側に「岩合写真事務所」というのがあったのですが、NHKの番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」も岩合光昭さんの事務所のようです。たぶん。事務所にもネコがいるのだろうか?

▼虎ノ門・麻布台再開発事業地区

▼完成イメージ(手前のオフィス・ホテル棟65階)

※森ビルのHPより引用しました。https://www.mori.co.jp/projects/toranomon_azabudai/

▼工事の様子(こんな状況ですが2023年竣工予定です)

▼手前のビルは霊友会

▼六本木・虎ノ門・麻布台周辺の開発事業マップ(R1年版/港区HPより引用)

こんなに再開発が進められているとは。

▼白井晟一設計のNOAビル(飯倉交差点)。1974年竣工のオフィスビル

▼友人が結婚式を挙げた聖アンデレ教会。本人に確認したらよく覚えていなかった。だから家庭な別居になるんだよ(笑)。

▼東京タワーです。誰でもわかるか?

▼東京タワーの横ではバスガイドさんが記念撮影をしていました。バスガイドさんを見るのは久しぶりだ。緑と白の「とうふ屋うかい」の看板が気になった。美味しい豆腐を食べたい。

▼うかい亭

▼うかい亭の近くにあった都立芝公園案内図。芝公園の都市計画決定区域には増上寺、東京プリンスホテル、ザ・プリンスパークタワー東京も含まれている。

ちなみに、この公園内にあるプリンスホテルは「都市計画公園等の特許事業」という制度を活用して整備されたものである。

https://blog.goo.ne.jp/shaku-ken/e/ee6cbab3514e786d40b12205c5c77152

その1はここまで。続きは次回。

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猛暑の中、傘をさして「日本橋浜町」をブラブラ

2022-08-16 18:17:03 | まち歩き(東京)

2022年8月9日、火曜日、晴れ、酷暑の中、日本橋浜町を散策してきました。

 

日本橋浜町はこれまで浜町公園とその周辺には何度か足を運んだことはありますが、思い浮かぶものはせいぜい明治座ぐらいでした。

今回歩いてわかったのは、とにかくマンションが多いということです。まさには都心型住宅地でした。

人口データを見ると、日本橋浜町の人口は令和4年8月1日現在12,100人で、平成10年(10月1日4,461人)から4半世紀で2.7倍に増えてます。

中央区及び日本橋地域の令和4年/平成10年比を見ると、中央区が2.35倍(173,044人/73,356人)、日本橋地域が2.61倍(52,675人/20,168人)です。

ちなみに、晴海はなんと4.29倍、勝どきは3.13倍です。

今回歩いたルート。

地下鉄都営新宿線の浜町駅を降りて公園の横に出てきました。入口の階段は大雨時、地下に水が入らないのようにしています。

公園に沿って墨田川方面に歩きました。

墨田川、浅草方面の眺め。水上バス乗り場になっています。

浅草橋方面の眺め

墨田川を背に金座通りを歩きました。

金座通りですが、1993年(平成5年)に日本橋浜町一丁目12番から日本橋浜町二丁目11番までの道が「金座通り」という愛称に設定されたそうです。

ここも金座通りです。清洲橋通りに向かっています。

マンションが並ぶ金座通り沿道

金座通りから浜町公園に抜ける道。こちらも沿道はマンションです。

金座通りから清洲橋通りに出ました。明治座です。あとで知ったのですが本仮屋ユイカさんが「脳内ポインズンベリー」に出演していました。本仮屋さん好きなんです(笑)。

明治座の対面の街並み。この渋めの蕎麦屋「招福庵」に入ってみたい。

清洲橋通り、明治座側の街並み。間口の狭い建物が多いです。

「重量挙会館」なるものを発見。重量挙げの協会の本部とかではないようです。

中央区観光協会オフィシャルブログのディープな中央区「会館編」によると、かつてこのビルの2階に「日本橋重量挙倶楽部」があって、袖看板がそのまま残っているようです。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2017/11/post-4731.html

このブログにはこのあと出てくる「日本マーガリン会館」についても書かれています。全日本マーガリン協会(一般社団法人)が所有する建物で、日本食品油脂検査協会(公益財団法人)などが入っているとのことです。

明治座の信号を渡ると、「明治座通り」という通りがありました。

「浜町 薮そば」の看板が。神田薮そばの暖簾分け?

明治座通りから横に入ると「鶏肉鶏卵 大金」というお店が目に留まりました。鶏肉と卵の専門店?

浜町緑道。暗渠になっている浜町川。

浜町緑道の横の通りには、個人住宅が結構残っています。

レトロ感のある床屋さん発見。緑色のきれいなタイル、しかもRになってる入口の壁、建った当時はモダンな床屋さんだった気がします。

弁財天

緑道を抜け「新大橋通り」にでました。

再開発ビル。手前はクレハ本社、奥はタワーマンション。

新大橋通りを渡り、まっすぐ歩いていると左側に宮内庁御用達べったら漬け「新高屋」の看板が見えました。

新婚当時、人形町の「べったら市」に奥さんと一度来たことがあります。

べったら市について関心のある方は ↓

http://www.niitakaya.co.jp/history/

この漬物屋の先にはチーズ専門店がありました。チーズフォンデュの鍋も売ってました。

高速道路の下にはリムジンバスの保管所がありました。保管所という名称がいい。

高速道路側の町名は「日本橋中洲」。こんな町名があるんだ。

高速道路沿いには昭和30・40年代に建てられたと思われる建物が。

次に、新大橋通方面に戻ると、「TOKYO MIDORI LABO」なる緑豊かな建物を見つけました。TOKYO MIDORI LABO は、日本橋浜町の開発を手掛ける安田不動産株式会社と、植栽設計から空間プロデュース、店舗開発など植物に関する幅広い事業を手がける株式会社DAISHIZENが中心となり計画、立ち上げた複合型のシェアオフィスの名称であり、かつ都市における緑や農の可能性を創造するプロジェクト名だそうです。

https://tokyomidorilabo.jp/

MIDORI LABOの近くには、雰囲気の良い設計事務所がありました。茶色のビルの1階。

このあたりにも古い個人住宅が残っています。

清洲橋通り沿いにあった「HAMATYO HOTEL」。まさに緑化ホテル。これから植物が成長するのが楽しみです。

高速道路の下には公園が設けられている。

清洲橋通りの近くにあった「金刀比羅宮」。

清洲橋に出ました。この日の清洲橋はとても美しく見えました。

清洲橋の南側には大川端のタワーマンション群が見えた。

対岸に松尾芭蕉発見です。記憶ではこの芭蕉は時間で向きが変わったような気がします。

清洲橋を渡らずまた日本橋浜町に戻っきました。古い八百屋さんもまだ健在です。

下の白い建物が「日本マーガリン会館」です。

歩いていたらいい匂いがしてきました。鰻屋さん「あさだ」です。

このかごをもって、築地あたりに仕入れに行くのでしょうか?あ、今は豊洲か。特上5,000円、上3,500、中3,300円、並3,100円でした。

この近くもマンションだらけです。

浜町ではこのような小さな神社をよく見かけました。

新大橋通りのバス停にはミストがついてましたが35度を超えていると、下にいてもあまり涼しくなかったです。

最後は水天宮に出て、本日のまち歩きは終了です。

それにしても暑かった。暑さ対策は傘が一番のような気がします。

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湧水と用水のまち 国立市青柳崖線周辺を歩いた(その2)

2022-07-26 14:30:04 | まち歩き(東京)

前回の『湧水と用水のまち 国立市青柳崖線周辺を歩いた』の続きです。

青柳崖線を背に南武線矢川駅方面に向かう。

途中、滝乃川学園なるものを発見。

滝乃川学園の正式名称は「社会福祉法人滝乃川学園」、1891年(明治24年)にキリスト教精神に基づき石井亮一が創設した、日本初の知的障がい児者のための福祉施設だそうです。

当時の所在地であった東京都北区滝野川にあったことからこの名称に。

渋沢栄一も理事長をしていた。

滝乃川学園について詳しく知りたい方は ↓

https://www.takinogawagakuen.jp/

写真の建物は昭和初期を代表する教育建造物で国の登録有形文化財に指定されている。

エントランス

住所は国立市矢川3丁目

学園内にはいろいろ文化財があるようです。

まもなく矢川駅です。甲州街道沿いの信号「矢川駅入口」

南武線矢川駅(北口)

南武線の線路(谷保方面)

矢川通り。桜並木です。桜並木が国立駅まで続きます。

桜はかなり老木のようでところどころで伐採されています。

南武線と平行に走る「さくら通り」沿いにURの団地「富士見第二団地」がありました。

この団地は緑がよく管理され、高木の高さ・間隔、5階建ての建物、隣棟間隔等のバランスがとてもよく、ヨーロッパの質の良い公営住宅団地のようです。

この団地を見て思ったのですが、集合住宅というのはエレベーション的に見ると、5階程度がいいような気がします。

また、エレベータがなく階段室型のため、エレベーションがスッキリしています。

ここから国立駅前の通り。それにしても豊かな緑だ。

このマンション、もしかして裁判になって減築が言い渡されたマンション?

下の写真の低層集合住宅は「ガーデン国立」。40年以上前、設計の課題が低層集合住宅で、担当の先生からこの住宅を見に行くようにと言われ、友人のワーゲンゴルフに乗ってきたことがある。調べたら1978年築。現在、8680万円(97㎡)で売りに出ている物件があった。管理が行き届いている。

ちなみにこのあたりの路線価は36万円/㎡。では実勢価格はいくらか?

一般に実勢価格は公示価格の1.1倍程度で、公示地価の8割が路線価と言われてるので、実勢価格は50万円/㎡でいったところしょうか。実際の取引価格はわかりませんが。

 →路線価36万円/㎡÷0.8×1.1≒50万円

当時、いい低層集合住宅が数多くつくられたがそれ以降は殆んど作られていない。もう一度、低層集合住宅の時代が来てほしいものだ。

このあたりは両側が一橋大学。

沿道は都市景観形成重点地区です。

こんなオブジェもありました。

共同溝化(電線等の地下埋設)した場合に出てくる地上機器も景観に配慮し隠している。

これが地上機器

やっと国立駅にたどり着きました。

復元された国立駅。1926(大正15)年に建設された木造の駅舎。

なんか浮いている。

この屋根部分の柱と梁はレールを使っているそうです。

15時30分に谷保駅をスタートし18時30分に国立駅に到着、3時間の国立散策でした。

崖線を抜ける風が心地よかったな~!!

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湧水と用水のまち 国立市青柳崖線周辺を歩いた(その1)

2022-07-22 15:41:26 | まち歩き(東京)

■2022年7月20日、水曜日、晴れ

湧水と用水のまち、国立市の「青柳崖線周辺」を歩いてきました。

スタート地点の南武線谷保(やほ)駅

 

この日歩いたコース(緑色ライン)。終点は国立駅。この日の歩行距離約7km。

谷保天満宮

  

谷保天満宮の裏手。この池も湧水。

神社の横を湧水が流れ、子供が何か捕まえようてしていた。

ちょっと歩くと府中用水があった。府中用水は江戸時代の初期から多摩川の流れを利用して少しずつくられていった農業用水で全長約6km。青柳崖線の湧水を取り込みながらいくつもの分流となって地域の田畑を潤している。

この府中用水は2006年農水省の「全国疎水百選」に東京都で唯一選ばれているようだ。

用水路のある農地から見える青柳崖線の樹林

この日は水がいきよいよく流れていた。

用水路の右側は谷保の城山歴史環境保全地域になっている城山公園

城山さとのいえ。農業体験及び農業の情報発信の拠点らしい。休憩もできる。

青柳崖線の緑と城山さとのいえ。手前はヒマワリ畑。

さとのいえの隣には移築された古民家もある。

古民家の裏側が崖線の樹林。樹木が大きく涼しい。

ハケ下散策路とあるが、「ハケ」は崖線のことをいう。「ママ」も同じ。

そういえば、茨城の田舎では里山を削ったところをバッケと呼んでいた。

この崖線と中央高速道路に挟まれた、緑豊かな環境の中にヤクルトの中央研究所がある。

ちなみに、今年もヤクルトは強い!!

崖線の上にあった「くにたち郷土文化館」。

また戻って用水路沿いを歩く。

用水の島状の敷地に住宅が建っていた。最高の環境だ。大雨の時はちょっと怖い。

ここがカフェだと良かったのだが・・・・。そうはうまくいかない。

このあたりは用水路の幅が広い。

ここは「矢川おんだし」。正面から矢川の湧水が流れてくる。矢川と府中用水の合流地点。

この先に「ママ下湧水公園」があった。きれいな、冷たそうな湧水が流れている。裸足になって、たも網もって魚とりをしたくなる。この近所の子供たちがうらやましい。

再び、崖線上に出る。しばらく歩くと神社があった。青柳稲荷神社。

崖線の上を歩いた。左には畑が広がっている。

ここから、滝乃川学園~矢川駅~国立駅まで歩いた。この先の報告は次回。

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下北沢の「ミカン」に行ってきました

2022-04-07 17:12:03 | まち歩き(東京)

■2022年4月6日、水曜日、晴れ

京王井の頭線「下北沢駅の高架下」に開発した商業施設「ミカン」に行ってきました。
訪れたのは水曜日の3時過ぎでしたが、オープン間もないことから、「ミカン」は多くの若者たちで賑わっていました。


「ミカン」のURL → https://mikanshimokita.jp/

ミカンの位置はマップのとおりです。
開発区域に茶沢通りの東側(C街区)も含まれてますがここは駐輪場でした。

出典:「ミカン」のURL → https://mikanshimokita.jp/

高架下の開発は、既に秋葉原駅~御徒町駅、横浜の黄金町駅周辺、東小金井駅~武蔵小金井駅間、阿佐ヶ谷駅、有楽町駅等をはじめ多くの駅で進めれれているので、特に目新しさはなかったです。

黄金町なら「アート」、御徒町なら「ものづくり」、小金井なら「コミュニティづくり」等といったコンセプトがありますが、ミカンについてはその開発形態、テナント等から見る限りではわからなかったです。個人的には、もう少し、若者文化の発信地「下北沢」が感じられるとよかったです。

あと、お店の外にみんなが座れるベンチがあるとよかった。

ボーナストラックのブログ ↓

https://blog.goo.ne.jp/shaku-ken/e/6738c21e0ca842a24db48ada7c2f43df

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歴史ある住宅地「成城学園」を歩く/成城石井~焼き栗~東宝スタジオ~砧~田村正和

2022-02-21 23:51:13 | まち歩き(東京)

今回のまち歩きは成城学園駅です。
小田急線を利用していながら、成城学園は降りる機会がなく、今回はじめておりました。

成城学園で以前からちょっとだけ気になっていたのは

1)成城石井の本店(1号店)
40年ほど前、成城大学に通っていた妹と井の頭線の東松原に住んでいた時期があり、その妹がここのスーパーの食品は美味しいと言って、時々、なんか買ってきてました。そんなわけで一度行ってみたかったのです。今ではエキナカをはじめ、いろんなところにありますが・・・・・。

2)駅南側に見える高木の木々
祖師ヶ谷大蔵駅から成城学園駅に向かう車窓(左側)から低層の住宅地の中に高木が何本も見えて、どんな敷地にある木々なのか気になってました。

この日、歩いたルートは地図の緑のライン。距離は3.8km。

改札を出て、とりえず北側にでてみた。
いきなり成城石井が目に入った。こんな駅前にあるとは知らなかった。
思っていたより意外に地味な外観。見た感じは普通のスーパーマーケット。
商品の品揃えが気になるところだったが、お店に入っていろいろ見てしまうと、日が暮れてしまうので今回は断念。お店の中は次の機会に。

成城1号店の前をまっすぐ北上。
2本目の交差点の右側が成城学園の正門。ちょっとここからではよく見えない。
正門に向かう道はきれいなイチョウ並木、北上した道はサクラ並木だった。

住宅地は歴史を感じさせる落ち着いた感じの瀟洒な建物が残っている。
いい住宅地の建物というのは、なんでもないデザインだが、門扉や植栽等を含めた設えに品がある。

と書いたものの、やっぱり住宅地の魅力を高めている一番の要因は成長した緑かな~。

ちなみにこのあたりの路線価は65~70万円/㎡。では実勢価格はいくらか?

一般に実勢価格は公示価格の1.1倍程度で、公示地価の8割が路線価と言われてるので、路線価70万円/㎡÷0.8×1.1=96万円、まあ100万円/㎡といったところでしょうか。

 

 

 

歩いていると、野村不動産の戸建て分譲「プラウドシーズン成城コート」の立て看板が目に入った。
デザインが素晴らしすぎる!!
平均価格2億3千万円台。全6棟のうち5棟を第1期として1月に販売し即日完売だそうだ。
(日経MJにこの分譲の記事がでてました)

この分譲地の先でとんかつ屋さんを発見。「とんかつ椿」。
地元で愛されている老舗のとんかつ屋さんっていう感じ。
同じく洋食屋さん?の「成城ランチpino」というお店も、いかにも親しまれているお店という感じでいい雰囲気。

さらに成城ランチpinoの近くで「伊藤衣服研究所」というコンクリートの打ち放しの建物を発見。
検索したところ、歴史のある有名な洋裁学校だというのがわかった。
http://www.ica-ito.com/

(伊藤衣服研究所の写真はどうやらとり忘れてしまったようだ)

 

路線バスが走る幹線道路沿いにでて駅に向かう。
西口駅前広場に出た。
パチンコ屋さんの大きな看板があった。成城学園にもパチンコ屋さんがある?
この周りの雰囲気はチョット雑多な感じであまり成城学園らしくないかもしれない。

駅広の道路を隔てた反対側に「アグリス成城」の建物が見えた。
お、これが有名な都市型市民菜園「アグリス成城か~」。
が、菜園が見当たらない。近くにあるのは大きな駐輪場のみ。
せっかく来たので探してみた。
ありました。駐輪場のずっと奥の方に。アグリス成城は駅のほぼ真上にあると勝手に思い込んでたが、思ったより駅から離れてた。

 

 

アグリス成城から駅南側の住宅地に移動。
世田谷美術館分館「清川泰次(きよかわ たいじ)ギャラリー」というのがあった。
画家・清川泰次さんのアトリエを区がギャラリーにした、とのこと。清川さんのことは全く知りません。
興味のある方は以下のURLを。
http://www.kiyokawataiji-annex.jp/
このアトリエの建物もスマートでいいデザインだ。

 

このギャラリーの先に大きなヒマラヤスギが見えた。かなりの巨木だ。


ここを左に折れて進むと、仙川(せんかわ)にかかる橋が見えてきた。

橋の手前に「くろがねや」という白い建物があった。ホームセンターのようだ。
多分、こっちは裏口かな。裏口から見ると店舗にはみえない。

 

 

 

仙川を渡ると、右手にまとまった緑が見えた。

ここはなかなかの豪邸だ。 

 

たまには動物の写真でも

 

この建物はとても気になった。間口は1.5mぐらい?だろうか。いったいどういうプランになっているのだろう?

 

このあたり住所は「砧(きぬた)」だが、昭和初期の成城学園の分譲地内(喜多見区画整理地)に含まれている。

 

こういう平屋の住宅ってなんか好きだな。残念ながら近々取り壊されるようだが。

 

 

今回のまち歩きで高木の緑の正体がわかった。分譲時に敷地に植えられていた「アカマツ」、「ヒマラヤスギ」が電車から見えたのだ。なかなか見事なアカマツとヒマラヤスギである。

帰りに成城石井の前で売っていた焼き栗「紫禁城」(すごいネーミングの焼き栗だ)をお土産に買って帰った。焼き栗好きなんです。昔は焼き栗、街中でけっこう売ってたけど最近ほとんど見かけることがなくなった。渋谷のスクランブル交差点の近くでも「天津甘栗」を売っていた。

後日、地図で確認すると、南口側には「東宝スタジオ」や「東京都市大学(武蔵工業大学)の付属小・中・高校」あったようだ。東京都市大学の付属が成城にあるのは知らなかった。

それと、「砧」というと246沿いの「砧公園」のイメージから地域的に246側(東急田園都市線側)だと思っていたが意外に小田急線側だった。それで、世田谷区役所の砧総合支所は成城学園の駅前にあるわけだ。

成城といえば、確か俳優の田村正和さんのご自宅がある。さぞ豪邸だろう。これも昔の話になるが、友人が夏休み、高速道路のサービスエリアで休憩していたところ、白いロールスロイスが入ってきて、降りてきたのがあの田村正和さんだったので、家族で興奮したという話を思い出した。

次回は少し時間をかけて成城学園~砧~用賀あたりを歩いてみよう。地図をみたら用賀は広い範囲で区画整理が行われているようだ。

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大森駅~大森貝塚~山王地区~南馬込を散策してきました

2022-01-05 18:43:22 | まち歩き(東京)

■12月21日、火曜日、晴れ

この日、大田区南馬込に行く用事があった。せっかくの機会だと思い、あの有名な「大森貝塚跡」を見学してきた。

貝塚見学のあとは、一般にはあまり知られていない大田区の高級住宅地・山王1・2丁目を散策。

この日の散策ルートは下の地図の緑色の線です。

JR大森駅西口に出て、線路と平行に走る池上通りを品川方面に歩いた。

早速、DEEPな飲み屋街を発見。
池上通りから階段で5mぐらい下がったところの線路沿いに「山王小路飲食店街」という飲み屋街があった。
いわゆるションベン横丁的な飲み屋街である。
こういうところに美味しい居酒屋さんがあったりするのだが、さすがに地元の人が一緒じゃないと入れない。
高低差が5mほどあるのは、かつてここが水際だったのかも知れない。貝塚もあるし。

▼大森駅前

▼山王小路飲食店街

▼なかなかDEEPな感じでしょ

この商店街を横目で見ながら池上通りをさらに進むと、NTTビルの横に「史跡大森貝塚」という小さな案内が見えた。

お、いよいよ大森貝塚だと思い、わくわくしながらビルの裏口に通じるような小路に進入した。
玉砂利の道を進み階段を降りると、壁に「モース博士と大森貝塚」というプレートが埋め込まれていた。

これによると、アメリカ人のエドワード・モース博士が1877年6月、横浜から新橋へ向う車窓で、大森貝塚を発見したとある(そうか、電車に乗っていた時に発見したんだ)。
いよいよかと思い、さらに線路際に進むと、「我国最初之発見 大森貝塚」と書かれた立派な記念碑があった。が、肝心の貝塚の地層はここにはなかったのでR。

▼史跡大森貝塚

▼線路沿いに建てられている大森貝塚の記念碑

▼道路の反対側にあった日枝神社(参考まで)

スマホで地図を見ると、もう少し品川方面に「大森貝塚遺跡庭園」という公園があった。

ここに行けば「迫力ある貝塚の地層」が見られるだろうと足を運んだが、貝塚は公園の通路の一角にちょっとあるだけだった。
小学校で習ったあの「大森貝塚跡」はこれだけ~~??。
とても残念!!というよりショックだった。

まあ冷静に考えれば、明治10年に発見された貝塚がそんなに丁寧に保存されるわけもなく、やむを得ないと言えば、やむを得ないことであると、自分を納得させた。

▼品川区立大森貝塚遺跡庭園

▼本物の貝塚の地層はここだけだった。幅2~3m、高さ2mぐらいだろうか。

気を取り直し、高級住宅地山王地区の散策に。
池上通り沿いのファミリーマートから山王1丁目に入る。
このあたりは普通の住宅地である。歩いていると山王小学校にぶつかり、小学校沿いを歩いて山王交番前にでた。

▼山王1丁目の住宅地

▼名門?山王小学校

交番前の横断歩道を渡り山王2丁目に。行き当たりばったりに、永年の街歩きの感を頼りに歩く。
だんだん雰囲気のある住宅が目につくようになってきた。

さらに歩くと、建物の隙間にテニスコートが見えた。
近くまで行くと「大森テニスクラブ」という看板が見え、クラブハウスにはテラスも付いていた。クラブハウスはかなり老朽化しているがこのテラスの感じから察するにかつては名門だったような気がする。

大森テニスクラブの歴史等を知りたい方は以下のURLをご覧ください。
http://www.omori-tennis.com/index.php?mod=multiview&mvid=3

▼山王2丁目の住宅地

▼大森テニスクラブのクラブハウス

大森テニスクラブ沿いの道を西側に歩いていくと、軽い上り道となり、両側の住宅地は敷地の広い邸宅が続いている。

路線価を調べてみると山王2丁目では、ここの路線価が最も高く52万円/㎡だった。
ちなみに上原2丁目の住宅地は87万円/㎡もする。大山町だと95万円/㎡だ。

まあ、こちらは都心だからしょうがない。

ついでに田園調布も調べてみたら大山町と同じ95万円/㎡だった。

▼このあたりで一番路線価が高い住宅地

山王地区の散策を終え、環七を渡り、馬込東中学校の横を通り、目的地の八幡神社の方面へ。

この途中、おいしそうな魚屋さんを発見。イカ刺しとタコ刺しを購入。
早速、親戚の家でビールのつまみに食べたが、やっぱり想像通り美味しかった。

親戚で聞いたら、この魚屋さん、このあたりでは有名なお店で、俳優の中村トオル・鷲尾いさ子夫妻も買いに来るらしい。

約4kmの短い散策だったが、知らない街を歩くのはやはり楽しいものだ。次回はどこに行こうかな~。

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自由学園と目白の徳川ビレッジ

2021-09-24 18:35:31 | まち歩き(東京)

2021年9月20日、月曜日、敬老の日、晴れ。この日は夏日でした。

とってもいい天気だったので湘南にでも出かけたいところだが、緊急事態宣言中であり、近場で楽しむことに。

ということで、この日は、同じ沿線にありながら、これまで訪れたことがなかった「自由学園の明日館(みょうにちかんと読みます)」(フランク・ロイド・ライド設計)に行ってきました。

建物は想像していたよりもかなり小さかったがヒューマンスケールでとても落ち着く空間だった。

建物をひと通り見たあと、14時から講堂で建物に関するレクチャーがあるというので、せっかくの機会なのでお話を聞いた。

建物は1921年に建設され、平成元年(1989)9月より大規模な改修工事が行われた後、平成9年(1997)5月に重要文化財に指定された。大規模改修が行われる前は相当建物が傷んでいたようで、特に雨漏りがすごかったようです。

詳細はHP → https://jiyu.jp/

レクチャーの最後に昔の映像が流れた。

創立当初は女子部高等科(3学年)のみ。生徒たちには自治の精神を植え付けるため、学校給食の対応(食材の買付、食事の準備等)、学校生活のルール作り、生活用品のリサイクル、その他いろいろなイベントの企画・運営等全て生徒たちに委ねられた。なかなかすばらしい教育方針だ。

この創設者の孫の羽仁美央さんは同じぐらいの年齢だったが若くして亡くなったような気がする。。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでお茶を飲んだ。

 

東久留米にある自由学園の初等部の建物。この木造の校舎は現役だそうです。設計は遠藤新氏。

自由学園をあとにして、次の目的地「徳川ビレッジ」へ。

徳川ビレッジというのは、尾張徳川家が所有する約7,000坪の住宅地。

約30戸の高級戸建て賃貸住宅、ドミトリー、自宅及びその関連施設からなり、高木に囲まれた緑豊かな環境はとても日本の住宅地とは思えません。いきなり、海外の住宅地に迷い込んだような感覚に陥ります。

この戸建て賃貸の規模は、敷地面積が小さなもので100坪、大きいものだと250坪を超える。

延床面積も小さくて50坪、大きいものだと100坪を超え、けた違いにおおきな住戸規模であり、まさに大邸宅街です。

建物のデザインはいたってシンプルで、築年数は経っているがメンテナンスがしっかりしていることから、エイジングな建物になっています。

もともと尾張の徳川さんは現在のフランス大使館のある敷地に住んでいましたが、昭和5年に目白に移ってきたらしい。

以前は、住宅地の入口に「ここからは私有地につき立ち入りを禁ずる」と書かれた掲示板があり、入りにくかったのですが今回はこの掲示板がなかった気がします(見落としたかな?)。

東京の住宅地に関心のある方は是非。おススメの場所です。

直ぐ近くには「吉村順三記念館?資料館?」があります。

徳川ビレッジの詳細は以下のHPをご覧ください。

http://www.tokugawa-village.jp/about/index.html

 

 

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常盤橋・神田橋界隈から丸の内・日比谷公園を散策

2021-08-25 17:55:19 | まち歩き(東京)

8月19,20日、木曜、金曜。

二日続けて、千代田線の大手町駅で降りました。

19日は常盤橋タワーが竣工したというのでチョット見てきました。

20日は急きょ友人の勤務する共立女子大学に。

大手町などめったに行かないのに、重なる時は重なるものです。

▼緑のラインが歩いたルート

今回のルート上にはアート作品が多かったのでカメラに収めてきました。

アートというのは、理解するのが難しいとあらためて思いました。

正直、良さがあまりわからなかった。残念!!

▼学士会館。学士会館の建物の横に「新島襄生誕地記念碑」がありました。

新島襄はここにあった上州安中藩の江戸藩邸で生まれたようです。

それで新島学園は安中市にあるのか。

 

▼この建物は?広告代理店の博報堂本社です。博報堂ってここにあったんですね。

  

 

▼この外壁のデザインも気になりましたが、それ以上に足元の盆栽のような植栽が気になりました。

なんか妖気を感じる。建物のデザインと植栽がミスマッチでは。

 

▼豊展観守像。これも妖気を感じます。

千代田区に住む人々の豊かさと発展するまちを観守する姿をこがね虫と人間の擬人化により造形表現したらしいです。

 

▼サンケイビル

 

▼サンケイビル前のオブジェ。アレクサンダー・リーバーマン作。

こういうのって、いくらぐらいするのだろう??気になります。

  

▼日本郵政本社ビル前のオブジェ。ヒロシ・スギモト作。名古屋駅前にもこれを大きくしたようなのがあったな~。

 

▼最近、ベンチが気になります。日本郵政のビルの歩道側にはいくつものベンチが設けられていました。

こんな緑に囲まれたベンチがあるというのはいい。横にもなれる。

▼ビルの東側にもこんなオブジェがありました。清水九兵衛作。なかなか難解なデザインだ。

 

▼僕的には常盤橋架道橋の方がよっぽどアートに見えます。

 

▼リニューアルされた江戸城常盤橋。なんか薄っぺらい仕上げです。

 

 

 

▼常盤橋タワーの入口(常盤橋川)で高速道路避難口を発見

 

以下は目的地のひとつ常盤橋タワー地区です。

▼運河側の緑地は高木が生い茂り、爽やかな風がとおり、気持ちのいい場所でした。

  

  

▼小千谷市から運ばれたきれいな錦鯉が泳ぐ池。この水は井戸水?錦鯉は國魚だったんですね。

この池、水がきれいで錦鯉が映えます。錦鯉が楽しめる池なんてなかなかないんじゃないでしょうか。

  

広報データによると、TOKYO TORCH全体の完成は2027年度のようです。

ちなみに、2027年度完成予定の「Torch Tower」の高さは「あべのハルカス」(300m)を上回る390mです。

 

▼常盤橋タワーとTorch Towerに挟まれたオープンスペースのイメージ

低層階の建物外周部に緑豊かなデッキを設けるのは最近の流行のデザインのようです。

▼大手町の森。この森は千葉の里山で育てた森をそのまま持ってきました。ここもいい風が吹いていました。山ごと持ってくると、蝉やカブトムシ等昆虫の幼虫も一緒に運ばれてきます。吹いていなくても、視覚的に涼しく感じます。

 

ここからは丸の内仲通り。最近の大手町、丸の内界隈はとても緑が多く、ビルで日影ができるので以外に涼しいかもしれないです。

▼淀井敏夫作。タイトルは「ローマの公園」。なぜローマの公園?

 

▼國府理作。タイトルは「屋根裏の庭」。

 

▼長谷京治作。タイトルは「風の椅子」

 

▼前川国男設計の東京海上ビル。美しいエレベーションです。東京海上ビルを撮ったのは初めてかも。

オブジェの作家、タイトルは不明。

 

▼仲通にある「MARUNOUCHI STREETPARK」

 

▼金氏徹平作。タイトルは「hard boiled daydream」。これ写真に撮ったら立体に見えました。

 

▼三沢厚彦作。タイトルは「animal 2016-01B」

 

▼最近はニューヨークのブライアントパークをまねて、公園に卓球台が置かれるようになってきました。

 

 

 

▼皇居外苑を日比谷豪から眺める。なんか殺風景な感じがしないでもない。

▼村野藤吾設計の日生劇場。これも美しいエレベーションだ。聞くところによると、中の劇場の空間がかなりいいらしいです。

 

▼この辺りも再開発されるようです。

▼日比谷公園有楽町門付近。新しく置かれたこの青い鉢、なんか違和感がありますね~。本多静六が泣いています。

 

▼日比谷見附の石垣から「心字池」方面を眺める。ここのベンチ、なんか落ち着きますよ。是非、座ってみてください。

▼日比谷公園の第二花壇はいつの間にか芝生広場になっていました。

裸足で入りたい~~!!

 

以上、常盤橋・神田橋界隈~丸の内~日比谷公園、約5kmの散策でした。

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三田~元麻布~笄町界隈を歩く

2021-07-09 19:04:21 | まち歩き(東京)

2021年7月6日、火曜日、曇り時々雨

この日は、田町駅からスタートし三田~元麻布~笄町界隈を散策した。

ちなみに「笄」はこうがいと読みます。

緑のラインがこの日の散策ルート。

歩行距離は7.9km。もはや散策の距離ではないかもしれない。

田町駅から桜田通りに出て慶應大学をちょっと過ぎたあたりを左に入った。

道はゆるい坂になっていた。左前方に鬱蒼とした緑と立派な門が見えた。

イタリア大使館の正門だった。

イタリア大使館の敷地は、もともとは松平隠岐守の中屋敷跡で、その後、華族の松方邸となった。

一つの街区が全てイタリア大使館の敷地になっている。とにかく広い。

ブラタモリでやっていたが敷地内には江戸回遊式の美しい庭園が残っているらしい。中は見えない。

イタリア大使館の前にあるお店「蕎麦切 砥喜和(ときわ)」という和食屋さんがちょっと気になった。

三井倶楽部に突き当たる手前から見たイタリア大使館。

長く続く塀が綱町三井倶楽部。ちなみに30年以上前にここで結婚式をあげたが、もう少し庭をちゃんと見ておけばよかった。

綱坂。格調高い雰囲気のあるいい坂である。

綱坂沿いに建つイタリア大使館職員住宅

三井倶楽部の南側に建つ高級マンション「三田綱町パーク」。

三井倶楽部西側の道路沿い。三井倶楽部の鬱蒼とした緑が見える。

こちらは「パークマンション三田綱町フォレスト」のエントランス。ちょっと成金趣味的なデザイン。

写真を撮り忘れたがこの坂を登ったところの左側にオーストラリア大使館がある。

日向坂を挟んで三井倶楽部の反対側にあった三田台郵便局、東京簡易保険事務センターは知らない間に取り壊され、現在「(仮称)港区三田一丁目計画(共同住宅棟・大学棟)」が進められていた。

三井不動産と三菱地所の大型マンションと慶應大学の施設もできるようだ。

※下の写真はブログ「ぼくの近代建築コレクション」の写真を無断掲載しました。ごめんなさい。

また、このブログによると、2017年1月30 日に日本建築学会から、かんぽ生命保険・日本郵政・都知事・港区長宛に「「旧東京簡易保険支局およびその敷地」の保存活用に関する要望書」が出されたようだが・・・・・。

三田の台地は環境が一変しそうだ。

こんな環境の良いところに黄緑色の柵はいただけない。景観に配慮するという意識はないのだろうか。

最近、工事現場の囲いは角の部分が安全性向上の観点から、透明のアクリル板が使われるようになっている。

ここから神明坂を下る。

古そうな神社が見えてきた。「元神明宮 天祖神社」。

天祖神社の石垣、なんか崩れそうでこわい。

キルギス共和国大使館。格調高いイタリア大使館もいいがこういう庶民的な大使館もいい。

住友不動産のオフィスビル?

神明坂を降り切ったところを左折したら、気になる建物が目についた。

「東京さぬき倶楽部」とある、が門が閉まっていた。

泉麻人さんのエッセイ「三田小山町歩き、のススメ」やウィキペディアによると

東京さぬき倶楽部はもともと「讃岐会館」という香川県人会の宿泊施設だったところで、

香川県生協によって建てられたが香川県人会に経営が譲渡され「東京さぬき倶楽部」に改名された。

その昔は武家屋敷→真珠王・御木本さん等いろいろ歴史を辿ってきた土地らしい。

12階建ての本館は大江宏さんの設計(昭和47年に建てられた)で、別館は明治時代につくられた木造建築で御木本さんの別邸だった。

当敷地は「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」の事業区域に含まれており、昨年2020年4月末に閉館している。

この建物の隣接地では既に「三田小山町地区」と「三田小山町東地区」の再開発事業が完了している。

再開発事業区域

三田小山町について、陣内先生の「東京の空間人類学」では次のように記載されている。

古川沿いの低地にある三田小山町は明治中期から早くも、水運と結びついた周辺での工場建設に伴い、小資本家たちによって路地と町屋・長屋を組み合わせた職工・商人のための地区がつくられ、近世的な雰囲気の庶民の生活空間を生み出した。

三田小山町の風景

あとで知ったのだが、泉麻人さんのエッセイによると、この辺りにある鳥塚クリーニング店はワイルドワンズの鳥塚さんのご実家らしい。

古川沿いの街並み

市街地再開発事業が計画されている三田小山町地区

市街地再開発事業の計画。2027年にはこんな姿に。

古川沿いに建つツイン一の橋。建物と周りの環境が香港にいるような錯覚を覚えた。

二之橋から見た日向坂。この先にオーストラリア大使館、三井倶楽部がある。

ここから仙台坂に入る。雰囲気のあるお寺「福泉寺」

韓国大使館。韓国大使館はここにあったのか。

森ビルが開発した高級マンション「元麻布ヒルズ」。設計は内井昭蔵氏

https://www.mori.co.jp/projects/motoazabuhills/

マンションの足元には大きなお寺「善福寺」があり、そのまわりにも寺が多い。

麻布山善福寺HP  ↓

https://azabu-san.or.jp/index2.html

古い住宅地図で確認したが、写真手前の駐車場は長い間駐車場のままだ。森ビルが所有か?

このあたりは大使館が多いのでお巡りさんも多い。

大井町から鮫洲に降りる坂も確か仙台坂だった。あそこも仙台藩の下屋敷があった。

大きな藩は下屋敷が複数あったんだ。

仙台坂を右に曲がってみた。アルゼンチン大使館の先にあった港区立元麻布保育園。ずいぶん立派な保育園だ。

港区七福神の毘沙門天

安藤記念教会会堂、大谷石造、建築年大正6年。エイジングな建物だ。

いい建物は時間の経過とともに味が出てくる。

中国大使館前にあったサウナ。なんか昭和の臭いを感じるようなサウナだ。周辺の環境とのアンバランス感が面白い。

このサウナ、気になってネットで調べたら「アダム&イヴ」という名前で、有名なサウナのようです。

https://kurotabe.tokyo/entry/sauna_adam_eve

中国大使館の塀には中国の観光スポットの写真が貼ってあった。

ここからがこの日の目的地「麻布笄町(こうがいちょう)」。

いまは笄町という町名はない。笄町は、江戸時代から1967年(昭和42年)まで存在した町名で、町域には現在の南青山6・7丁目から西麻布2・4丁目の一部が含まれる。

笄町を訪れた目的は、「近代日本の郊外住宅地」(片木篤+藤谷陽悦+角野幸博=編/鹿島出版会)で紹介されていた麻布笄町・桜田町分譲地の「いま」を確認するため。

下の写真は麻布桜田町分譲地です。ここは陸軍騎兵中尉西竹一の邸宅だったところ。

この西竹一は昭和7年のロサンゼルスオリンピックの馬術大障害でで優勝した人で、「バロン・ニシ」と呼ばれ欧米の社交界でも人気があったらしい。バロン・ニシってなんか聞いたことあるような、ないような~~。

高台の西邸を残して昭和6~18年にかけて三井信託が分譲した。

現在、この中心部には三井パークマンションが建ち、周辺もほとんどが低層の集合住宅となっているが一部戸建て住宅も見られる。

写真のとおり、都心の一等地に位置する緑豊かな閑静な高級住宅地である。

名門?笄小学校。

次は外苑西通りを渡って笄町分譲地へ。

この建物はなにかと思ったら、最近草刈正雄さん主演のCM「AFTER LIFE REDIDENSEの了聞」でした。

この堀田坂を登ったところに笄町分譲地がある。

左前方の森は「広尾ガーデンヒルズ」。日本赤十字病院の跡地に建てられた。

ここからが笄町分譲地。この分譲地は三井信託会社の分譲業務第一号として昭和元年から4年にかけた開発された。

もとは画家の黒田清輝と高木子爵の邸宅(高木子爵は良く知らない)の所有地を合わせた土地。黒田の遺言で美術界に貢献する事業に寄付す資金をねん出するために分譲したらしい。

下の写真の建物は分譲地内に建つ「コートヤードHIROO」

コートヤードHIROOは、築46年の旧厚生省公務員宿舎をフルリノベーション。集合住宅・商業の複合施設として再生された。住宅の他、オフィス、ヨガスタジオ、レストラン等が入っている。

興味のある方は https://cy-hiroo.jp/

この笄町分譲地も桜田町分譲地同様に、現在は低層の集合住宅が中心となっているがやはり戸建ても少し残っている。この両者のどちらを選ぶかと言われたら、緑の豊かさ・閑静さから、桜田町分譲地の方を選ぶ。

笄町分譲地のすぐ横は交通量の多い商店街だった。狭い道だが日赤もあるためか交通量が意外に多い。

以上、三田~元麻布~笄町界隈、約8kmの住宅地散策でした。このコースは歩いたことのないコースだったのでいろいろ目にするものが新しく、なかなかおもしろかった。

見落としたところも多いので時間があったらまた行ってみたい。

いろんな坂がいっぱいあったようだ。

【オマケ】

骨董通りに沿いに建つマンション。なんか大きな地震が来たら捻じれて倒れそうだ。

もちろん、建築確認がおりてますから大丈夫のはずです。

【参考文献】

・東京の空間人類学(陣内秀信著/ちくま学芸文庫)

・アースダイバー(中沢新一著/講談社)

・近代日本の郊外住宅地(片木篤+藤谷陽悦+角野幸博=編/鹿島出版会)

・三田小山町歩き、のススメ(泉麻人)

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