3月10・11日(木・金)福岡出張
仕事の前にいつものようにまち歩き
今年は、福岡駅周辺を中心に天神まで歩きました。
▽リニューアル中の博多駅西口
▽博多駅ビル 主要都市の玄関になる駅ビルのデザインはもっと考えてほしいところです。主要都市でなくて全ての駅ビル、駅舎はね。
▽博多駅ビル内
▽黒田節の銅像(何度も訪れているけどこんなのあるの知らんかったたい)
一節
『酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士(くろだぶし)』
筑前今様(いまさま)と呼ばれた福岡藩の武士たちに歌われていたものが日本全国に広まったもの
今様:平安中期から鎌倉時代にかけて流行した、多く七・五調4句からなる新様式の歌謡
だそうです。
▽博多千年門
「博多千年門(はかたせんねんのもん)」は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲート。
博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成26年3月に完成。
▽承天寺通り
▽承天寺
▽庭が美しい境内
■承天寺 「御供所(ごくしょ)」HPより引用。
「御供所(ごくしょ)町界隈」は別名"寺町"
博多の代名詞とも言える夏の祭り「博多祗園山笠」の発祥の地。
承天寺は臨済宗東福寺派(りんざいしゅう とうふくじは)で、山号は萬松山(ばんしょうざん)。
仁治3年(1242)に創建。
境内は市道によって北東と南西に分かれている。
これは1963年の博多駅移転に伴う区画整理事業によって通されたもので
このため山門や仏殿は南西側、本堂や墓地などは北東側に分断されている。
博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、
町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われている。
現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、
山笠が「勢い水」と呼ばれる大量の水を浴びながら博多を走り抜け、
承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれているそうだ。
他にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われている。
▽承天寺近くの路地
▽承天寺近くにあった民家。なかなかいいね。
▽上川端商店街
博多弁「いぼる」
ぬかるみや田んぼなどに足が沈んでしまう時や、動けなくなってしまった時に使う。
ちなみに、茨城弁では、「ぶんのめる。ぶんのまる」
▽櫛田神社横の路地も昭和を感じる、残したい路地だ。
▽ブラタモリでも紹介された「櫛田茶屋」。ここの「櫛田のやきもち」が食べたかったが、開業前だった。残念。