成都の和果子
成都の和果子
成都の和果子
成都の和果子
和果子の起源
四川省の成都で、伝統的な和果子を紹介するコーナーがあった。中国の和果子に、「艹」がないのは、元々の起源は果実を使った菓子だったのかもね。最後の画像の紹介文を訳すと、「最古の記録は晋の時代に記録されていて、元・明・清の時代に茶文化は最盛期を迎え、東洋文化の質感と温かさを伝えた」となっている。成都の和果子は、果実や大豆や小豆などを使い米や小麦で包むという作り方は日本も同じ。
日本の和菓子を調べると様々な諸説があるが、遣唐使が唐菓子としてが日本に伝えたとある。その後に、茶の文化と共に日本独自に進化したのが今の日本の和菓子だという事かな。「とらや」のHPを見ると、和菓子の歴史「はじめに伝えられたのは、飛鳥~平安時代、遣唐使などによって中国からもたらされた唐菓子」と言い切っている。
今の日本の文化の源流を辿ると、中国や朝鮮などから文化流入があり、その後に日本独自の文化と融合し今の日本文化が形成されているのは間違いない。もし仮に、日本の東側に国が存在したら大陸の影響と日本の影響を受けて、更に違う文化の国が出来たかも知れないね。文化を理解している中国人が京都や奈良に行って驚くのは、唐の時代の建築や文化がそのまま残っているのを見て涙する人がいるのは分かるな。四川省の成都は、先の大戦の影響を受けてない都市なのと隣のチベット文化の影響もあり、今後中国の四大都市の次に栄る都市になるような気がする。パンダの都市でもあるしね。
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