青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

一言居士に

2008年11月21日 | 人生設計
私は平凡な、人間である。もうすぐ高齢者の仲間入りをする、学歴も中学出でしかないただの人間だが、ちょっとばかし世間を見渡してみて、こんな事を思って一言。

釈尊は「人の心は、何処へでも行ける」と言われた。しかし社会を営み、そこで生き生活していくには、こうした自由奔放になりがちな心を制御して、秩序していかなければならない。
だが現実には、それが出来ていない。それは社会が行うものではなく、あくまでも「個人、個人」が行わなければならないものであり、この「個人」が行うものが、「個人の自由と人権」によって、各「個人の裁量」に委ねられているからである。

私達人間は、こうした「心の制御と秩序」のために、教育を受けている。しかしこの教育は、ただ「受ける」だけに止まっている感がある。
「こうすればああなる」というような、実体験の帰結といったものが、いうなれば「精神論」というものが教育と融合していない。
だから今回の首相の、「常識はずれの医師が多い」などという発言になる。

思ってみれば、国際宇宙ステーションとか物理学分野での素粒子探求のための大型加速器建設とかなどには、多額の予算や資金をつぎ込みながら、そうした事ばかりしてよいかどうかという、即ち「そうすればどういう結果、帰結になるか」というような「心の制御と秩序をする」ということには、野放しな状態になっている。
むしろ「心の制御と秩序をする」ということに、予算と資金をつぎ込むべきだと思うのである。
そうすることが、今日の社会混乱の「回避」に、つながって行く事だろう。
コメント
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