首相の「読み間違え」で、その人格性が疑われている。
先の「緊急首脳会議」では、英語で演説、スピーチしたそうだったが、それなのに母国語はこのようにめちゃくちゃなのだから、やはり「まんがオタク」のような人で、とても宰相が務まる人ではないらしい。
これは「教育」施策の弱点が、正体が暴露された事でもある。
現に首相のこうした読み間違えに止まらず、社会的な立場にある人達の倫理を外れ、人間性も外れた行動をしている。そこには、「教育論」の間違いが、根底にあるといわなければならない。
「教育論の間違い」といっても漠然としているが、簡単に言えば「専門的」になってしまっているといわなければならなくなる。
「教育」は、単に科目の「教育」だけが「教育」ではない。「生活」も教育であり、「経済」も教育であり、「人との触れ合い」も教育であり、個々のものはそれぞれのものと関連を持って大きな「教育」となる。更に「物」との関連も教育であり、「自分自身や他の生命」との関連もまた教育である。
しかし今日の「教育方針」は、型にはまった教育をもってして「教育」としている。その為に、一刻の宰相までもがおかしな言動をする事になる。
我々は、「共に生き、助け合って」、すべてのものが共生して生きようとしていかないと、こういう状態の正体が、次々と暴露されていく。
全てのものと関連性を持った、共生のための教育を心がけて欲しい。