青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

社会改革計画

2008年11月06日 | 人生設計

初めに断っておくが、これから述べ、記述するものは、「革命」のためでも「クーデター」を、あおる為にでもない。
「革命」とか「クーデター」とかは、ここで私が述べると述べないとに関わらず、「行われる時」には起き、「行われない時」には起きない。それ故に、ここで述べる事は何の意味も持たないが、一つの思いであり、考えである。
だから「改造」ではなく、「改革」である。

今日の有様はどういう状態かというと、「奴隷解放」や「農民一揆」勃発前夜のような、状況を思わせる深刻な状態にある。ことに「高齢者や障害者、母子家庭や父子家庭」など、それも低所得者層ほど生活苦に見舞われていて、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められている。それは「虐げられた奴隷たち」のように、「暴税に追い詰められる農民」ように、これでもかこれでもかと追い詰めてくる。
こうした事の解決法は、二つしかない。座して死を待つか、立ち上がるかである。それを、私達は、今決めなければならないようだ。

問題は、どちらにしてもそれで終わりではなく、その後の事にある。それを、ここでの命題としている。

最も良いと思えるのは、終戦時に行われた「財閥解体」のような手法をとることだろう。また「農地解放、土地開放」といった事も、必要になる。

私達は、「保有、所有」という概念に、縛られている。束縛といってよいこの概念に縛られているがために、自分自身が身動き取れなくなっている。

例えば「領土」。
この「保有や所有」は、私達人間だけの概念に過ぎず、空気や水、渡り鳥などには、そんな概念がない。
ところが人間は「領土、領土」といっても、大気汚染や台風などや、鳥インフルエンザなどの伝染病などには、領土の概念が通じていない事が明らかになっていても、まだなお「領土」に拘っている。
こうした「保有と所有」の概念からの開放が、今の「社会改革」には、求められる課題だといえるだろう。
そしてこの「保有と所有からの開放」がなされるという事は、「民主的自由人権」の擁立につながる。

しかしこの為には、「個人の意識改革」が必要になる。
次回は、この「個人の意識改革計画」について、記述したい。

コメント
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