青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

「死」とは

2009年06月19日 | 短歌に政治や社会
「脳死を一律死にしないで」=慎重な議論求める-移植法A案反対の遺族ら(時事通信) - goo ニュース

「脳死」や「心臓死」など、肉体の一部が「人の死」とするならば、他の部位の「壊死」なども「人の死」ということになる。

「死」という概念を考えるなら、それに合わせて「生」の概念も、また考えなければならない。
「生」の概念を考えるということは、「肉体の一部の死を人間の死」とするならば、「肉体の一部の生は、人間の生」であると言い得るからである。
臓器移植をしようということは、移植をしようとする者が肉体の一部が「死」しているからであるが「生」を持っている。それを「死」の部分を、「肉体の一部が「生」している者から移植し、非移植者には「生」を否定させて完全なる死を与えようとしている。
これは傲慢である。
「死」を、全体の「死」を持って「人間の死」と捕らえていない。

これはまた「生」を持つ者の、在り方を問うということでもある。
「生」とは、「人らしく生きる」ことであろう。このように「人らしく生きる」ためにであるならば、「肉体の一部に死」があっても、「らしく」生きられる。

だが今は、「欲に生きる」事のために「生」があり、その「欲に生きるため」に「臓器移植」を必要としている。
それで「人らしく生きれる」ものならばいいが・・・・
コメント
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