青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

裁かれる自己

2009年06月24日 | 人生設計
我々は、「人を批判、批評」したりするのを好む。
「得意」とする、ところでもある。
そして相手の「欠点、短所」などを、あげつらう。
それは、相手や人を「裁く」のと、同じである。

しかし我々は、そうして「相手や人を裁く」様な行いをしているけれども、その実は「自分自身を裁く」という行いをしていることに気が付かない。
それは、今の一つの行いが、その「裁き」を受けることになる。
いかなる行いであっても、その行いは、「裁き」の対象になっている。
けれども、我々は眼を外に向けていて、自らに向けていないから、「自らが裁かれている」とは感じない。

それが人から「批評、批判」にあったりして、「裁かれる」ことになっている。
しかしそれでも「裁かれている」という、気がしていない。反省する、気がない。なかなか、改める気になれない。

それは前にも述べたように、「後始末、整理整頓」がちゃんとできないことにある。
「裁かれるのは自己」という前提に立ち、「行いの後始末と整理整頓」をちゃんとして、その上での「批評、批判」なら、お互いが納得するだろう。

コメント
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