青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

短歌 210.

2011年01月29日 | 短歌に政治や社会
★ 降りしきり 絶えずに続く 止まず雪
       思い切り降れば 気が済むのかも   2011/1/29
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「男女平等」同権の魔性 (下)

2011年01月29日 | 人生設計
「男女平等、同権」を主張するという事は、それは「立場と権利」を認めて貰いたい事では、あるだろう。

だが「男女平等、同権」とか、あるいは「自由人権」を主張するという事は、それは取りも直さずに「見返り、代償」を求めるという事になってきてしまう。

早い話が「自分には、こういう取り分がある」とか、「貴方に対して、こうしてくれるように要求する資格がある」ことになってきてしまう。

「自由人権の主張」や「男女平等、同権の主張」は、こういう魔性をはらんだものでしかない。
それだから、「北朝鮮がミサイルを発射したから」とか、「中国漁船が領海を侵犯したし、中国は軍拡を進めているから」と言って、「子供手当」よりも、「空母建造」などというような事を、週刊誌などが取り上げて載せるような事になる。
こうした事は、すべからく事態に対する代償や見返り的な対処でしかなくなる。

我々が何故このように「民主主義」などの主義主張をせずにはいられないかと言うと、それは「不平不満、不足」感などを抱き、それによって危機感を抱くからに他ならない。
言わば我々は、危機感に溺れようとしている。

子供が水に溺れようとしていたら、親としては救わずにはいられないものである。
それと同じように、危機感に溺れようとしている人々を救おうとしての主義主張として、我々は「民主主義」を掲げた。
しかしこの民主主義は、これまでにも述べたように魔性性を持つ。
溺れる者を救おうとするものに何故このように魔性性を持つのかというと、(「男女平等」同権の魔性   (中))の中で大雪と原発の事を述べていたが、これは電気が便利だからといって必要以上に使う愚かさ、また使って貰うほど儲かるという仕組みという経済感覚の愚かさの事を述べたもので、それと同じように「自由人権」という「民主主義」の基本理念も、節度を超えると魔性化していく。

現にに水に溺れようとしているのに見捨てる親がいるし、炎天下に車の中に子供を放置したままパチンコしている親たちもいる。
こうした「溺れる子を救えない」という事は、「自分が溺れている」のに気が付かず、その「溺れている自分を救おうとしない」というのが、「民主主義」の魔性性であり、「自由人権」の魔性性であり、「男女平等、同権」の魔性性なのである。

「溺れ行く自分」を、自分自身が親となって救うという事、これを信仰といい、宗教という。
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