前述の「歴史観無き、歴史観」は、
短歌 412の
★ 今あるを 不平不満で 愚痴るれば
いかなる道も 沿うをあたわず 2012/11/1
と対になっている。
その事「対になっている」という事が判れば、「歴史観無き、歴史観」の意味も、自然に判ってくる。
前述の「歴史観無き、歴史観」は、
短歌 412の
★ 今あるを 不平不満で 愚痴るれば
いかなる道も 沿うをあたわず 2012/11/1
と対になっている。
その事「対になっている」という事が判れば、「歴史観無き、歴史観」の意味も、自然に判ってくる。
我々は何かと「歴史、歴史」とは言うが、歴史そのものの根本に立つと、歴史観は歴史観では無くなる。
とはどういう事かと言うと、人間というものの初め発生は、一体の人間と言うべき生命体でしかなかった。それが増殖して行ったことから、「歴史」になっている。
となると、今現在は、この生命体の発生時としての、単なる延長でしかない。
そこから見てみると、「歴史観無き、歴史観」という結論が導き出される。
「歴史」を論って争い合うというのは、本当に歴史観が無いもののたわごと・・・・・・・・・