我々は人間として生まれてきて、そして生きているし、生かされている。
この「生まれ、生き、生かされ」ているという事は、何のために「生まれ、生き、生かされ」ているのだろうか。
最近よく話題になっているが、「ips細胞」移植によって病気などが治療されると期待されているが、その「ips治療」によって、どんな「生きること、生かされること」といった価値観が現れるのだろうか。
この治療によって得られる価値観は、概ね「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」な「生き方、生かされ方」を期待するだけのものでしかないと思われる。
しかし人間として、それは「生命」として生まれてきたものは、総じて苦労の中で生きて行き、生かされていくものである。
決して「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」な「生き方、生かされ方」を約束されて、この世に生まれ、生き、生かされているものではない。
「苦労の中に生き、生かされる」という定めの元に、「生まれ、生き、生かされる」ことになっているのが、我々人間の価値観である。
それが我々は、避けて通り、避けて通ろうとし、それによって却って苦労の種になってしまっている。
だが「苦労するのが人生」と割り切るならば、人生は嬉しい。