「生物学の定説」を覆したSTAP細胞、研究の相乗効果に期待(産経新聞) - goo ニュース
こういうような万能細胞技術を確立したからと言って、輝かしい成果ではない。
今日は、世界各地で天災が起きている。そのために穀物や野菜などが不作になり、その結果値段が高騰している。
こういう天災を、どんなに科学技術や医療技術が発展しても、これらを制御できないでいる。
即ち何の成果も上げられない、「脳みそ空っぽ」の人たちが、名誉あるものと誉めたたえられている。
今日の新聞に、妊娠6か月の時に胎児が危ないというので帝王折檻したという赤ちゃんの事が出ていた。
出産時の大きさは、手の平に乗るくらいしかなく、体重も350グラム程しかなイ超低体重児だったという。そして4回手術が行われ、一歳になった現在では鼻からミルクを管で飲ませている状態ながら、すくすく育っているという。
こんな赤ちゃんながら、両親は一生懸命になって育てようとしていられた。
ところが医療技術には「出征前診断」というのがある。
この検査で陽性と出ると、ほとんどの妊婦は中絶している。体に異常がある子が生まれると、「育てられない」という理由からである。
親なのに、どんなに苦労してでも子供を育てようという、気概が無い。
子供として授かるのは、神の恵みと言える。その子がどんな体で産まれてきても、親ならば命掛けで育てるのが、人間としての務めだろう。
それが科学技術や医科学に操られて、あたら神から授けられた大切な一つの命を闇に葬ってしまっている。
それが「脳みそ空っぽ」の科学技術なのである。
万能細胞など再生医療技術も、体のあちこち、臓器などの欠陥や欠落があれば、この技術で再生すればいい事になる。しかしそういう欠陥や欠落のままに、人間として生きていこうという精神はなくなり、ただの物体でしかなくなるという事になる。
人間が人間として生きていくには、多くの苦労をこなしていかなければならない。苦労をしないで、楽に遊んで長生きしていけばいいというものではない。
与えられた体のまま、そのままにどんな苦労にも耐えていくことにこそ、人間としての値打ちが出てくる。
子のどんな体を与えられ、どんな体になっても苦労に耐えていくことは、学問ではない。道徳でもない。
これは「信仰」によって培われる。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140201521.html