今夏の電力、関電など3社不足…東電は余裕あり(読売新聞) - goo ニュース
東電に電力余裕があるなら、何で大々的に「電気料金値上げ」をしようとしたのだろう。
それも「値上げを認めないなら、供給を止める」という脅しもしている。
無茶苦茶な、電力業界だ事。
大飯安全宣言、絶対おかしい…8提案の橋下市長(読売新聞) - goo ニュース
「安全確認」とか言っているが、野田首相も藤村官房長官も、一度として大飯原子力発電所を現地視察し、その目で確認していない。
ただ書類に目を通して、「これで安心、安全」と確認しているに過ぎない。
内閣総理大臣として天皇陛下の御前で、どのように宣言して認証を受けたのか、すっかり忘れている。
交通量多い抜け道、保護者ら通行止めを要望 京都事故(朝日新聞) - goo ニュース
暴走運転、また惨劇…集団登校の列に突っ込む(産経新聞) - goo ニュース
大分県公安委員長、事故届け出ず 運転中に2歳児と接触(朝日新聞) - goo ニュース
「運転免許証」とか、「身分証」とかは、「犯罪許認可証」みたいなものになっている。
首相や大臣なども、皇居において天皇陛下から「認証」を受けるが、その「認証」を振りかざして言いたい方だい。議員など「も選挙当選認証」受け取ると、国民の事はそっちのけで権力抗争や派閣抗争に余念がない。
こうした「許認可証」の履行方法の取り違えが、国民生活を暗転させていく。
これにはマスコミメディアの方にも問題があり、真摯に底辺の人々の身になっていない。
例えば「道路交通法」というものの、今の交差点信号は「車優先」になっている。
先に歩行者用の信号を「黄色から赤」にしてしまい、その後で車用のが「黄色から赤」に変わる。
もし「歩行者優先」の「道路交通法」であるならば、先に車用のを「黄色から赤」にしてしまい、その後で歩行者用の信号を「黄色から赤」にすべきである。
この歩行者用の「青」の信号点灯時間は、現在は短か過ぎる。
これも「車優先」の法整備になっている。
暴走運転、また惨劇…集団登校の列に突っ込む(産経新聞) - goo ニュース
我々が願い、望んで止まない「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」の裏には、我々の願いと望みに比例して、暗黒の願望が広がる。
それは、「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」を願えば願うほど、望めば望むほど大きい姿を現す。
それが世のしきたりであり、娑婆世界の真理である。
即ち「願望」は、このような形でも「成就」していく。
映画やテレビでおなじみの時代劇に、「水戸黄門」がある。
この物語の中に、本当に有った事かどうか知らないが、次のような場面が出ていた事がある。
水戸黄門が助さん格さんを伴って、領内だったか諸国漫遊の時だったか、その道すがらに疲れたので「米俵」に腰をかけた。
そうしたら、それを見た農民が、
「この老いぼれ、これは領主さまに差し上げる年貢だぞ。それに腰掛けるものがあるか」
と言って「カンカン」になって怒っている。
それを見た助さんなり格さんが、「これっ、そんな失礼な事を・・・」というのを押し留めて、水戸黄門は膝ま付いてわびた。
我々にしても、「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」になろうとしているが、それはそもそもが「神仏への貢物」としなければならないものである。
それをいい気になって、我々のような卑劣でしかないものが、当然のように受け取ろうとしている。
「美味いものを食べる、楽しむ、いい服を着たり化粧をする」などと、「神仏」を差し置いて、押し並べていい顔をしたがる。
「自分の事」よりも、他のものへの「貢物」であるのに・・・・・
原発再稼働巡る「集団自殺」発言、仙谷氏が撤回(読売新聞) - goo ニュース
再稼働させたなら、必然的に「使用済み核燃料」が排出される。
その再処理施設としての青森県の工場も、少しも役に立たず、貯蔵プールにいっぱいに詰め込まれていて、満杯になろうとしている。
再稼働すると、使用済み核燃料は、どこへ行く。
今はまだ「瓦礫処理」も進んでいないのに、その上に「使用済み核燃料」の処理もできずなら、この国は、こういうごみで一杯になる。
撤回したとて、口先だけの事・・・・・・。
私の家の玄関脇に車庫があるが、その天井の蛍光灯の上に、毎年ツバメが来ている。巣が、5つもある。
そして子ツバメが産まれ、成長し、巣立つようになって南国へ去っていく。
親ツバメは、子ツバメがヒナにかえると、せっせと餌を運んでくる。
親ツバメ2匹が、入れ替わり立ち替わりして餌を与えている様は、「三帰依文」、そのままと言っていい。
「三帰依文」の「仏、法、僧」とは、このように有りのままに「子育て」する様と同等とみられる。そこには「自我意識、私情」はない。「無心」になって、親ツバメとしての「生きとし生けるもの」の行為を行っている。
感動するばかりだ。
それに比して、我々人間の「欲にかかられ、利益習得に追われ」て、肉親さえ踏みにじる浅ましさ。
それは「ツバメ」にも、劣る・・・・・・。
原発ゼロなら核燃料処理費7.1兆円 原子力委が初試算(朝日新聞) - goo ニュース
原子力発電所を稼働させると、使用済み核燃料の処理には、当然として取り組まなければならなかった事。
それを後回しにしておいて稼働させたものだから、福島第1知原発の事故によって行き場が無くなっている。
そうしてまた「再稼働」すれば、少しは少なくなるとか言う。
この「再稼働」にはまた、立地自治体の生活安定や職場のためにというけれども、これは都会などの繁栄のために、こちらの立地地域の仕事が奪われてことにあり、これを解消するために「原発を認め」させて仕事を与えている。
こんな事はしないで、地方の過疎地などに都市部の繁栄を集中化させないでやる政策をしていたなら、原子力に頼る政策などは必要なかっただろう。
それが「一億総金の生る木」を求めていたために、藪蛇がしゃしゃり出てくる。
サトウ・ハチロウ作、「おかあさん」を読んで・・・・・・。
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「お母さん」と言えば、「母、母親」の事ですね。
しかしサトウ・ハチロウの詩を読んでみますと、「お母さん」とは単なる「母、母親」などと肉親としての母親とは感じられません。
どういうふうに感じたかと申しますと、「時空を超えた母」と感じられました。
言い換えてみますと、「生命の母親」というふうに、です。それはまた、「この世の母親」と言ってよいかもしれません。
そしてそう思い感じますと、ここに今いる私共が、真実に「お母さん、母、母親」にならなければ、「生命の母親、この世の母親」に対峙できない事になります。
「やさしい母、可愛がってくれる母、すぐ涙する母、働き者の母」というふうには、私たちの胸には受け取られなくなります。
私たちが「おかあさん」と、素直に思い受け取れなくなってはなりませんね。
ところが今日では「高齢者虐待」ばかりでせなく、「児童虐待」が横行しています。哀しいかな、「心に思い胸に思うお母さん」は、いなくなっているのですね。
今日サトウ・ハチロウの「おかあさん」を読んで、「母と思うべき時空を超えた母、この世の母」というふうに感じますと、そこに「宗教」の世界を感じます。
「おかあさん」とは、「神であり仏」であると看做されるのです。「神であり仏」とみなさないならば、「おかあさん」と思い親しみ、敬う気持ちが浮かび様もありません。その「神であり仏」とみなす時、私たちは真の母親に、また父親になっていけると思います。