私は、訳有って子供が乳飲み子の頃から、ほぼ一人で息子を育てた。
一言で振り返れば、「よくここまで育てられた」ものである。 もう少しで、青少年の少年の部分が取れることになる。 もちろん、それが出来たのは、自営業という職業柄であったからということも、大きく影響していることだろう。
子供が、『寝る』あるいは『起きる』というのは、わが子の場合『昼夜』の境が無かった。 もちろん子供さんによっては「夜、ぜんぜん起きなくて楽だわ。」と言う母親も居られるが、殆どがそうではないのだろう。
他人様の事情はよく解りませんので、自分の場合を言えば一夜に大体4回『夜泣き』する子であった。 多い少ないは有るが、それが毎日続くのである。
夜鳴きをしたら、紙おむつを取り替え、ミルクを作り飲ませて、再びまどろみの世界に戻すには、大体一時間掛かる。
自分が寝付くにも時間は必要であるし、睡眠の深さも常に浅いことは云うまでもない。 平均すれば一日4時間も寝る時間が有っただろうか?
そして、日中忙しいときには何回となく所謂『現場』に子供を連れて、客先にお邪魔した。 「女に、この芸当は無理だ。」と言ったら、差別論者だと攻められるだろうか?
日中の、仕事中でも正確な判断は出来ないし、怪我の頻度も多くなった。 ともかく3年くらいは常にこのような睡眠不足の状態で生きていた。 もし子供が二人なら、無理だったかもしれない・・・ 。
自分の生命を失うことがなかったのは、脳梗塞で半身不随の『母親』が未だ生きていたからに他ならなかった。 少なくても、自分が天国に行くのは両親を見送ってからと、Uターンしたときの覚悟があったからである。
それでも私に、子供を残してくれた妻に感謝するとともに、生きる喜びと試練を与えてくれた、子供には言葉には出来ないほど感謝している。
だが、その気持ちを本人に伝えたことはない。
誰が、わが子の餓死を望むだろうか。 結果がそういう現象として現れることは、母親をそういうノイローゼ状態に追い込む社会のシステムに問題があるのではないだろうか。
二人の乳飲み子を抱えて、正常な判断が出来なくなった母親には限りない同情を禁じえない。
全く胸の痛む、事件が続くものである。 根幹に流れるグローバリズムと言う、アメリカの市場原理主義、新自由主義、金銭優先主義が、主な原因であることは解っているのだが、政治家は処方箋を実行しようとしない。 経済格差縮小が最も手っ取り早い政策ではあるがと思うのだが・・・ 。
それでも、日本社会は世界と同時に淡々と時代を重ねていく。 アメリカの抱き付き心中に引き摺られながら・・・・ 。