住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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西山審議官、反省だけで済まない!業務上過失致死傷害罪・

2011年06月04日 | 日記
 
 3月12日現在で、圧力容器が圧力容器でない、いわゆる中の放射性物質洩れ、要するに早い時期から原子炉が損傷し異常加熱があり、その影響は遥か38Kmも離れたところ(川俣町)に現れた『テルル132』によって、証明されていた事が明らかにされた。
悪びれもせず、それを国民の前に出す『ニシヤマし』もたいしたタマだが、自分の罪が分かっているのだろうか?

 現地発電所の保安院の担当者も逃げるわけだし、犬HKの記者も逃げ出すわけである。
ここまで来たら、プルトニウムの飛散量も早い時期に、保安院の『ニシヤマし』より明らかにされる事に期待しようではないか。 小出しにして、国民に対する印象とショックを和らげようとする、そのやり方がいかにも姑息で、高級官僚と言うに相応しいやり方と感心させられる。
国民を、完全に1ランク下に見て、まるで違う世界に、コメントを発しているような感じがする。


  ***  以下引用 Ymiuri.Online 6/3付より ***

 東電福島第一原発から約6キロ離れた福島県浪江町で3月12日朝、核燃料が1000度以上の高温になったことを示す放射性物質が検出されていたことが分かった。

 経済産業省原子力安全・保安院が3日、発表した。検出された物質は「テルル132」で、大気中のちりに含まれていた。 原発から約38キロ離れた同県川俣町では3月15日、雑草から1キロ・グラム当たり123万ベクレルと高濃度の放射性ヨウ素131も検出されていた。

 事故発生から2か月以上たっての公表で、保安院の西山英彦審議官は「隠す意図はなかったが、国民に示すという発想がなかった。 反省したい」と釈明した。

 テルルの検出は、1号機から放射性物質を含む蒸気を放出する「ベント」の実施前だった。


  ***  以上引用  終  ***

ダブる大川小学校生徒と被爆国民

2011年06月04日 | 日記

 大分前、2ちゃんねるで『NHK』のことを、『犬HK』と言う表現に置き換えたコメントを見た。 NHKの資金源(運営費)は広く国民から集め、云わば税金と形は同じである。 運営費を半年分先払いしている者の一人としては、この度のNHK報道は『国民の健康と安全』より、政府の『直ちに健康に影響は無い』という『エダノ発言』を流し続けた。

 原子炉の状況にしても、爆発の映像(全て入手済みなのだろう)にしても、ただの一回も画面に流したことは無い。 或いは、私が見逃しただけなのかもしれないが、国営放送局としては、あまねく国民にその危険性を周知させる義務に近いものがあったと思う。

 いたずらに、原子炉の解説にだけ力を入れ、学識者と言えば東大の御用学者の口を借り、原子力発電の安全性と必要性のみを強調する有様であった。 福島県民、或いは東京都民その他多くの被爆した人々に対する、責任の幾ばくかでも感じている『NHK職員』は居るのだろうか。
 
 下に挙げる『大川小学校』の記事にしても、政府の不可抗力を国民にイメージ付けたいのか、ぼちぼちその姿勢が判って来るだろうが、素直にその記事に入ってよいものかどうかの、一抹の躊躇心がある。
残された家族の方々にはかける言葉もありませんが、校長先生以下の先生たちの無能さが小学校生徒の全滅に近い被害を、もたらしたと言ってよいのだろうが、全くその現実は現在の逃げ遅れの為に被爆した、国民の姿とダブって見えてしようが無い。


  *** 以下 引用 Nhk.or.jp 6/3付より ***

 巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。 津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。

 石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明になっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。 

 これまでの調査で、地震が起きたあと、校舎内からグラウンドに出た児童らは、学校から200メートルほど離れた高台に避難を始めるまで、およそ30分待機していたことが分かりました。 津波に飲まれながらも奇跡的に助かった現在6年生の只野哲也くんは、父親とともにNHKのインタビューに応じ、「先生たちはグラウンドの前でずっと話し合いをしていた。 そのとき、先生は『大丈夫だからな』とか言っていた」と話しました。

 当時、学校には子どもを引き取るため保護者も大勢集まっていました。 さらに学校は石巻市が指定する避難所になっていたため、近所の人たちが避難してきており、グラウンドではたき火の準備も始められたといいます。 そして、児童らが高台に向かって移動を始めた直後に津波に襲われたということで、そのときの様子を「様子を見に行っていた教頭先生が堤防から走ってきて、もう津波来てるみたいだから早く逃げてくださいって。

 そこから小走りに逃げた」と話しています。このあと、津波にのまれた只野くんは学校裏の山の斜面に打ち上げられたところを、近所の人たちなどに助け出されたということです。 只野くんは今回の地震で同じ学校に通っていた当時、3年生の妹と母親を亡くしています。 

 父親の英昭さんは多くの子どもたちが犠牲になった原因を知りたいとして、ほかの保護者らとともに学校に対して地震が起きたあとの状況や学校の対応について説明を求めています。 大川小学校では、4日の夕方、保護者を対象にした説明会を開いてこれまでの調査結果を説明する方針です。

  *** 以上 全文引用  終 ***