住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

放射線量が心配な人は霞を喰えって・・が

2011年07月05日 | 日記

 政治の方向付けの放任や、『政治屋』自身の心の荒廃によって、そこで暮らす人間同士の結びつきも隣家同士の関係もずたずたに切り裂かれだした。 タニガキさんが『絆』と言ったって、それは政治屋同士の既得権益防御の為の単なる『言い草』と一般人には写るだけである。

 政治の方向が、家庭の安寧、個人の行動や精神の自由に重きを置かなくなり、個人はバラバラに寸断され(悪く言えば既得権益層の金儲けの道具)、家庭の幸福の一端を成す親子関係、親戚関係形さえも形を成さなくなり始めている。 
セーフティネットから漏れ出した従来の中間所得層が『茹でがえる』状態となり、気が付いたときには一部の世襲既得権益層とは遥かに立つ位置が離れている事に愕然とするまもなく、大多数の国民が気が付いたら貧困層に貶められていたのが現在の日本国内の状況である。
最早『一人口は食えないけれども、二人なら食っていける』などと言った家族構成は、想像もできない社会環境になり始めている。


 それもこれも、新自由主義による貨幣への偏重が、アメリカンドリームを餌に必要以上に金銭にこだわらせた、政治的背景によるもの以外原因は見当たらない。 それは、突き詰めれば当然世界の金融資本家達が貨幣を牛耳る『ウオール街のロスチャイルドとロックフェラー』関係筋に行き着くことは疑いようがないが、ここではそれへの言及は止めておきたい。  

ま、それにしても、松本災害相の言動、『笑っちゃいますね』・・・
彼に、権力を持たせたら《お正月には、自分だけ『極上のメロン』を食べ悦に入るようなタイプ》 なのでしょうか。 まさに、半島の『キンサマ』を彷彿とさせます。



 一般人が出入りできるここ山形の地方版サイト『街の掲示板』でも、空間放射線量の20mシーベルトや、野菜のヨウ素やセシウムによる内部被曝を心配する人々に向かって、「そんなに心配なら、九州にでも行けば・・」とか、「心配なら食べる野菜を中国産に変えたら・・」と言うような、他人に対する配慮や思いやりが全く感じられない、コメントが散見されるようになった。
目の前に居ない人のことでも、その家族環境や、自然状況を慮った『優しさ、思いやり』が古典的日本人の大和魂に含まれているはずではなかったのか・・!!


 これは、ひとり山形だけの事ではない。 国レベルにおいても、平気でこのようなコメントを世に晒す者が多くなったように感じるのは、筆者だけではないようである。

  *** 以下引用  下記URLより  ***
         http://onodekita.sblo.jp/article/46404836.html

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 福島にとどまっている子どもたちは、放射線の直接の影響以外にも心身のストレスにさらされている。

 「5月から6月にかけ、妙に子どもたちのけがが多いんです。 担任している4年生のクラスでも周囲でも、骨折したり、何針も縫ったりと相次いでいます。」
「原発事故後の3ヶ月以上、放射線の影響を心配して外でなかなか遊べなくなった結果、運動不足となり転んで大けがしやすくなっているんじゃないでしょうか」とくびをかしげる。

(数ヶ月 外で遊べなくなったことで、こんなに簡単に骨折するのでしょうか?)


 もう一つの異変は「ささいなことで、けんかが増えていること。」という。 放射線が気になる子どもは教室の窓を閉めるが、あついと感じる子どもは窓を開ける「その開け閉めで言い争いになったりするんです。」

(中略)

 4月下旬、いわき市の小学校でPTAの会合があった。 放射線について国の基準に沿って対応すると説明した学校側に、保護者の中から心配の声が上がった。

すると、学年主任の教諭が釘を刺した。
「国が決めたことを大人が信じられないなら、子どもが動揺してしまう。 国の言うことを信じられないのなら、日本国民を辞めてもらうしかない。」




 首領様の言うことを信じられないのなら、国民を辞めてもらうしかいない。

とどこが違うのでしょうか。


 戦前、戦中をどうにかくぐり抜け、大いに反省した国民だったはずなのに、・・・

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 ***  以上転載  終   ***

 
 政治の無策のために、国民同士がいがみ合うと言うのも、なにか納得がいかない。
単に、無能政府に迎合するだけでなく、もう少し見えないところにも優しさ行き渡らせる為に、物事を考えて行動、発言して弱者の国民同士がいがみ合う事だけは避けられる事を考えたい・・。