筆者の地方の場合、まず始めにジャスコや長崎屋がやってきた。
それらが来る前は、高級品嗜好の『総合デパート』と、日々雑貨を売る『パパママストア』が仲良く、地域社会の中に共存していた。
そこに、大手大量販売のスーパーが入り込む気配は、前々から見られていた。 『主婦の店』とか、地元の比較的大きい店が『スーパーマーケット』として、装いを新たにしてそれなりに成功の様相を呈していたからである。
其処に、大規模小売店に関する法律が緩和され、資本力に物を言わせて利便性の高い郊外に、中央の大手小売店が続々と地方に店舗展開を始めた。
そして、それが落ち着くと今度は空白区に『コンビニエンスストア』と言われる、中央のフランチャイズ店が雨後の竹の子のように、進出し始めた。
結果詳しい数値は分からないが、どちらも荒利の20%位は中央にかき集められる事に、成っているのだろう。 まるで、『上澄み液』を熊手で集めるかのごとくに・・・ 。
消費形態が変わったのは、交通事情、核家族化、其の他、いろんな要因が絡み合ってのことなので、一概に地方の人々を『マヌケ』呼ばわり出来ないかも知れないが、一見すると経済的植民地と言う感じは否めない。
一般住宅に関しても、大手のプレハブメーカーは早くから全国展開をしていた。 それが、今やプレハブだけでなく在来工法までも、大手の工務店が手がけるようになった。 やはり、地元の建築業を営む人たちは、2割の工賃をピン撥ねされて、大手の工務店の下請けに入って仕事をしている人が多くなった。
家電販売に関しても、やはり中央の大手家電量販店が、大手スーパーとタイアップしてかどうか知らないが、郊外の利便性の高いところに進出している。 パパママストアは今や青息吐息・・・ そして、ここも売り上げの何パーセントは、本店に上納する事は避けられないのだろう。
最近、この傾向は車の販売に関しても見られると思っている。 遅かれ早かれ、パパママの修理工場兼販売店は、大手ディラーの新車販売店に食われて、風前の灯と成るのではないか・・・・ 。
まさにこの状態は、ジャスコ原理主義あるいはグローバリズムの弊害その物では無いと、誰が言う事が出来るのだろうか。 このままでは、益々、ますます地方は疲弊し、地方の時代などと言う言葉さえも、聞かれなくなるのではないか・・・。 政治と言うものは、恐竜とゴキブリを同じ土俵で戦わせるばかりではなくて、ゴキブリを絶滅危惧種として、人口密度の低い地方でそれを保護する為の、知恵を出す必要が有るのではないだろうか ?
唯一つ、コンビニの『ロー○ン』が軽自動車に拠る、移動販売を行なうと聞いた事が、経済的なところでも時代は『輪廻転生』かと期待を持たせることだ。