読書日和

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「純喫茶トルンカ しあわせの香り」八木沢里志

2015-08-01 21:18:25 | 小説
今回ご紹介するのは「純喫茶トルンカ しあわせの香り」(著:八木沢里志)です。

-----内容-----
コーヒーの香りとショパンの調べが、私をあの頃へと戻してゆく―。
店の常連千代子にとって、マスターの淹れるコーヒーはささやかな魔法。
二十年前、夫との関係に一人悩み、傷ついた気持ちを救ってくれたのがこの店だった。
心地よい苦味と懐かしい旋律が記憶を呼び戻し、不思議な出会いが訪れて……。
三つの温かい交流を描く、感動の第二弾。

-----感想-----
この作品は以前ご紹介した「純喫茶トルンカ」の続編です。
物語は以下の三編で構成されています。

午後のショパン
シェード・ツリーの憂鬱
旅立ちの季節

「午後のショパン」の語り手はトルンカの常連、千代子ばあちゃん。
純喫茶トルンカは東京の下町、谷中銀座商店街にあります。
この話はですます調で語られていました。

美味しいとか、楽しいとか、心踊るとか、そういう感情は大切。年をとると、それがよくわかります。生きる上で、明るい気持ちほど日々の支えになってくれるものもない。
これは千代子ばあちゃんよりだいぶ若い私でも気持ちが分かりました。
明るい気持ちは日々の活力になります。
なので日々を過ごす中で明るい気持ちを得ていくことが大事です。

ちなみにこの話では前作から4、5ヶ月が経過して季節は秋になっています。
千代子ばあちゃんが道を歩いている時に沼田と遭遇し、手術が無事に成功したことが分かりました。
そして谷中に引っ越そうとしていると言っていました。

千代子ばあちゃんはトルンカで思い出の曲を聴いたことによって、昔のことを思い出します。
その曲の名はフレデリック・ショパンの練習曲Op.25-1。
またの名を「エオリアン・ハープ」。
かつて千代子ばあちゃんが子供の頃の太平洋戦争の時代、春日井武彦さんという人がこの曲のことを教えてくれました。
やがて武彦は戦地に赴き、帰ってきたものの精神的におかしくなってしまっていて、千代子とも口をきかなくなってしまいます。
千代子が結婚したのを機に縁もなくなり、それ以来会わなくなっていました。

ある日千代子ばあちゃんがトルンカに行くと、ついさっきまでロケハン隊が来ていたとのことで盛り上がっていました。
ロケハンとはロケーション・ハンティングの略で、映画やドラマの製作の際、シーンにぴったり合う撮影場所を探して見つけてくる役目の人です。

「誰にでも大切な想いというのはある。それは忘れたと思っても、ほんとうには忘れられるものじゃない。それはただ、眠っているだけなんです」
沼田(ヒロさん)が言っていたこの言葉はたしかにそうだと思います。
私もしばらく考えていなかったことを唐突に考えるようになったりすることがあります。

物語の最初は金木犀が香るには少し早いとあったのですが、後半では金木犀が香りだしたとあり、次第に秋が深まっているのが分かりました。
やがてトルンカで映画の撮影が行われ、千代子ばあちゃんは監督に頼まれ映画にエキストラ出演することになるのですが、これに出演したことによって予想外の展開が待っていました。

<再会とは、人生における一番身近な奇跡である>
これはトルンカの常連の一人、絢子という人のオリジナルの格言です。
私も昨年の同窓会では叶わなかったですが、中学二年、三年の時の担任の先生にいつか再会してみたいなと思いました。


「シェード・ツリーの憂鬱」の語り手は鈴村浩太(こうた)。
浩太はトルンカの看板娘、雫の幼馴染です。
コーヒーの木は直射日光を嫌うため、バナナやマンゴーのような生長が早くて高く育つ樹木を一緒に植え、適度に日陰のある場所を作ってあげるのですが、そういったコーヒーの木を守るための木のことをシェード・ツリーと言います。
雫の姉の菫(浩太はスミねえと呼んでいる)が亡くなる直前、浩太はスミねえから雫のシェード・ツリーになってほしいと頼まれます。
優しすぎるため傷つきやすい雫を守ってやってくれという、菫の最後のお願いでした。
以来浩太はシェード・ツリーとして道化を演じたりしながら雫を守っていきます。
この物語では浩太から見た雫について色々語られていました。

浩太は高校二年生でバレーボール部なのですが、野原という三年にシューズを隠されるなど嫌がらせされていました。
これは意外でした。
一年の時から先輩を押しのけてレギュラー入りした浩太のことが気に入らないようです。
浩太から見た雫のことと共に、浩太自身の物語にもなっていました。

この話にもトルンカでの映画撮影の件が出てきます。
なので「午後のショパン」と同じ時期だと分かりました。
「午後のショパン」で浩太が田所ルミという女優にサインを貰いにいく描写があったのですが、サインを貰いに行っただけに見えた浩太が実は結構この女優田所ルミと話していたことが分かりました。
田所ルミを通じて浩太は自分自身のこれまでのことと向き合っていくことになります。


「旅立ちの季節」の語り手はトルンカの常連、本庄絢子。
前作では26歳だった絢子はこの物語では27歳になっていました。
絢子はイラストれーたーで、花屋でのアルバイトもしています。

人間の最も偉大な力とは、その一番の弱点を克服したところから生まれてくる
これは「幸福論」で有名な思想家のヒルティの言葉とのことです。
絢子はこの格言が前向きで好きだと言っていて、私もなかなか良い格言だなと思いました。
ちなみに絢子は色々な人の格言をスラスラと言えるほどの格言マニアです。

この話では大学生アルバイトの修一が今月いっぱいでトルンカを辞めることが明らかになります。
来春から編集プロダクションに就職が決まっていて、そちらが人員不足でよく雑用係として呼ばれ、さらに卒業論文の製作もあるので辞めることにしたようです。

ある日絢子は美術大学時代の同級生、宇津井と再会。
宇津井はかつての恋人でもありました。
再会した宇津井からは鬱病になって会社を退職したという驚きの事実を知らされます。
宇津井は「病気だったと認められるようになったのは入院してずいぶん経ってから」と言っていて、これはたぶんそういうものなんだろうなと思います。
「認める」というのはそう簡単なことではないです。

絢子は「ヒロさん」こと、沼田弘之のことが気になっていました。
前作で沼田が心臓の手術を受けることになり、絢子は<再会とは、人生における一番身近な奇跡である>というオリジナルの格言を贈り、必ず再会しようと言っていました。
物語が進んでいく中で、どこで再会することになるのか興味深かったです。

ちなみにこの話でもトルンカでの映画撮影のことが登場します。
今作は同じ時系列の中でトルンカの常連の人達の出来事が描かれる形になっていました。
トルンカという同じ場所に集まる人たちそれぞれに、その人の物語があるんだなと思いましたし、そういうのこそ日常なんだと思いました。

<生きてるって素晴らしい>か。そんな風に、私も心から思える日が来るといい。借り物の言葉じゃなくて、私自身が実感して、口にできる日が。
宇津井の<生きてるって素晴らしい>という言葉を聞いて絢子が思ったことです。
私はこれを読んで、浜崎あゆみの「SEASONS」という歌に出てくる以下のフレーズが思い浮かびました。
今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう
やがて絢子も心から思える日が来るのではないかと思いました。

「一年や二年、人生で数えれば大した月日じゃない。人にはそういう時期があってもいいさ」
これはある重大決心をした絢子にヒロさんがかけた言葉です。
この言葉もかなり良いなと思いました。
ほんと大変な時期などがあったとしても、長い人生で見れば大した月日ではないのかも知れません。
旅立ちの時を迎えた絢子の行く先は必ず明るいものになると思えるような終わり方で良かったです。


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