読書日和

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戦後70年談話

2015-08-14 23:01:19 | 政治
本日、安倍晋三首相が戦後70年談話を発表しました。
「安倍談話」としてだいぶ前から注目されてきた談話です。
終戦の日は明日の8月15日ですが、明日は日本武道館で全国戦没者追悼式が開かれ天皇陛下がお言葉を述べられることから、その配慮で1日早めて本日の発表となりました。
今後は新たな談話が発表されない限り、この「安倍談話」が日本政府の公式見解となります。

率直に、良い談話だったと思います。
まず最初に西欧列強が世界を植民地支配していたことに触れたのは良かったです。
本日実家に帰省したのでテレビで談話発表を見ていたのですが、テレビが強調していた「植民地支配、侵略、痛切な反省、お詫び」という4つのキーワードのうち、植民地支配をここで出したことに良い意味で驚きました。
村山談話の時は日本が極悪非道な植民地支配をしていたように言っていましたが、この形であればそれが払拭されます。
「植民地支配から永遠に決別し…」という言葉はイギリスやオランダなど、白人至上主義の元にアジア諸国の国々に正真正銘の極悪非道な植民地支配をしていた西欧列強の国々に、やんわりと釘を差す形にもなっています。

「侵略」というキーワードは絶妙な使い方をしていました。
「事変、侵略、戦争。いかなる紛争の解決の手段として…」と、固有名詞を指す間接的な形で使用。
また「侵略の定義については歴史家の判断に委ねる」としました。
これで良いのではないかと思います。
白人至上主義が世界を支配していた当時の世界情勢からみて、日本の戦いを一方的に侵略と決め付けるのはおかしな話です。

「痛切な反省」「お詫び」については村山談話を引用し、歴代内閣の立場を振り返り、引き継ぐという形で使っていました。
「繰り返し、痛切な反省と、心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎないものであります」
注目は「(村山談話を)全体として引き継ぐ」という言葉で、これは村山談話も全文がおかしいわけではないので全体の流れは引き継ぎます、ただしおかしな部分については安倍談話にて払拭しますという意味だと思います。
政治の舞台なので直接そうは言いませんが、談話の発表を見ていてそのように感じました。
「先の大戦への深い悔悟の念」という言葉が入ったりとベストな形ではないですが、村山談話よりはマシになったと思います。

・日本の国際社会復帰を受け入れてくれたことへの感謝の気持ち
・先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません

この二つはかなり良いと思います。
特に「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」はとても重要なことです。
関係ないのに謝ることを強要するのは明らかにおかしな話です。

ちなみに談話の中で「台湾、中国、韓国…」と、台湾の名前が出てきました。
しかもこの使い方は台湾を一つの国として認めていて、これもかなり良いなと思います。
安倍晋三首相の台湾への思いが伝わってきました。

以上のように、マスコミ、中国、韓国が猛烈に使わせたがっていた村山談話でのキーワードを使いながらも、村山談話とは違う談話になっています。
私はこの談話を支持します。
安倍談話、マスコミが連日「村山談話と同じにすべき」と妨害していて大変だったと思いますが、よく頑張ってくれました。

※「詳細解説 戦後70年談話」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

戦後70年談話全文
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 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三
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お盆

2015-08-13 21:55:10 | ウェブ日記
今日からお盆です。
今年は13日~16日がお盆休みだったのですが、今日は出勤でした。
明日からは休めるようなので実家に帰省しようと思います。

今日は会社帰りに新幹線の切符とお土産を買いに出掛けました。
新幹線の切符は目当ての時間帯のものが買えるかが問題でしたが無事に買うことができました。
8時台の新幹線に乗って東京に向かいます。
前回は始発から2本目の新幹線だったので多少は朝が楽になるかなと思います。
復路の切符も買っておいたのでこれで安心です。

お土産はもみじ饅頭を前回より多めに買いました。
それと前回好評だった「島ごころ」という、レモンのマドレーヌのような菓子も買いました。
広島はレモンの名産地で、生産量日本一とのことです
これは山陽に来るまで知りませんでした。

妹夫婦が来るとのことで、昨年4月に生まれた赤ちゃんにも会えると思います。
4ヶ月ちょっと見ていない間に歩けるようにもなってだいぶ成長しているようなので楽しみです。
もみじ饅頭も一緒に食べてみたいなと思います

尾道浪漫珈琲 ホットコーヒー

2015-08-10 21:00:25 | グルメ


尾道浪漫珈琲に再び行ってみました。
前回の記事に書いたように、今回のお目当てはホットコーヒーです。
2012年全国大会優勝のコーヒーの味に興味がありました。
昼食時だったのでサンドイッチも注文しました。

ホットコーヒー、まずはブラックで飲んでみました。
予想通りかなり美味しかったです。
ブラックが苦手な私にとって、ブラックでも飲めるコーヒーはかなりレベルが高いということです
苦いですが嫌な苦さではなく問題なく飲めます。
後味もよく、すっきりとしていました。

途中からミルクを入れてみました。
アイスコーヒーの時のように上品でまろやかな味になりました。
砂糖は入れなかったのですが、砂糖なしでも少し砂糖が入ったかのような味わいでした。
前回アイスコーヒーを飲んだ時にもこの感覚があって、不思議なものだなと思います。

サンドイッチは玉子のサンドイッチとハム・レタス・トマトのサンドイッチでした。
こちらもなかなか美味しくて意外とボリュームもあり、良い昼食になりました。
次は再びアイスコーヒーを飲もうと思います。
アイスコーヒーが一番美味しいのはやはり夏です

「思いわずらうことなく愉しく生きよ」江國香織

2015-08-09 17:09:11 | 小説
今回ご紹介するのは「思いわずらうことなく愉しく生きよ」(著:江國香織)です。

-----内容-----
犬山家の三姉妹、長女の麻子は結婚七年目。
DVをめぐり複雑な夫婦関係にある。
次女・治子(はるこ)は、仕事にも恋にも意志を貫く外資系企業のキャリア。
余計な幻想を抱かない三女の育子は、友情と肉体が他者との接点。
三人三様問題を抱えているものの、ともに育った家での時間と記憶は、彼女たちをのびやかにする。
切実な現実の底に湧きでるすこやかさの巣!
感動の長編小説。

-----感想-----
江國香織さんの作品は初めて読みます。
私にとっては綿矢りささんが「蹴りたい背中」で第130回芥川賞を受賞した時に「号泣する準備はできていた」で直木賞を受賞した人として印象に残っている人です。

物語の主人公は犬山家の三姉妹、麻子、治子、育子。
麻子は36歳、治子は34歳、育子は29歳です。
長女の麻子は結婚していて専業主婦であり、次女の治子は外資系企業の大手町の職場で働くキャリアウーマンで熊木圭介という人と同棲しています。
熊木はほとんど収入がないのでヒモとして治子が養っている状態です。
三女の育子は自動車教習所の事務をしながら阿佐谷(あさがや)で一人暮らしをしています。

犬山家には家訓があります。
人はみないずれ死ぬのだから、そして、それがいつなのかはわからないのだから、思いわずらうことなく愉しく生きよ
姉妹はそれをそれぞれのやり方で宗(むね)としていたとありました。

序盤で育子の友達の里美から電話がかかってきて、内容に驚きました。
そして育子の凄く冷静ながらも感覚が異質な受け答えが印象的でした。

麻子の初登場は驚きました。
明らかにまともな状態ではないように思えました。
三姉妹それぞれの視点で物語は進んでいきます。

「人生は考え抜くものじゃなく、生きるものなのよ」
これは治子の言葉です。
人生について考え抜いたような重い内容の日記を書いている育子についてこのように言っていました。

麻子の旦那は多田邦一(くにかず)と言います。
麻子は明らかに心のバランスを崩していて、その原因は邦一にありました。
邦一は麻子に家庭内で暴力をふるっています。
DV(ドメスティック・バイオレンス)、家庭内暴力と呼ばれるものです。

邦一の暴力は結婚後二年経って始まったとありました。
しかし不思議なことに麻子はこの男と別れようとしません。
なぜ麻子はこんな家庭内暴力男と一緒に居たがるのか理解不能で、ほとんど病的だと思いました。
育子が麻子の家に来ている時に邦一が会社から帰ってくる場面があり、どうなるのかかなり気になりました。

読んでいくと、三姉妹それぞれ特徴があることがよく分かります。
麻子に引けを取らず治子も育子も妙な部分があります。
治子は考えるよりも欲望の赴くままに突っ走るタイプで、育子は常に考えるタイプですがその考えが凄く冷めています。
男性との関わり方は麻子が異様、治子が破天荒、育子が冷めすぎという印象でした。

ついに麻子は肋骨が折れてしまいます。
しかし夫を非難するのではなく、自分の体の不甲斐なさを非難するところに異様さを感じました。
治子や育子が離婚するべきだと言っても聞く耳を持ちません。
そして麻子の態度を見ていると、異様な人は自分の異様さを全く分かっていないのだなと思いました。

女性三人の視点による物語と思いきや、たまに熊木圭介や多田邦一の視点になったりもしました。
特に多田邦一の視点での物語はこの男が何を考えているのか興味深かったです。

物語が進んでいくと、育子は隣の「岸」という家の主婦と知り合うようになります。
育子は岸ちゃんと呼んでいました。
そして岸ちゃんに息子の正彰を紹介され、二人は付き合うことになります。
この正彰との関わりが、それまでの人生を深く悟ってしまったかのような冷めた境地に少し変化をもたらしました。

一方、治子は欲望の赴くままに突っ走る性格が災いし熊木とギクシャクすることになります。
ただそこからの展開は治子らしくて驚くことになりました。

麻子は近所のスーパーでよく見かける、自分と同じく家庭内暴力を受けている相原雪枝という女性と関わっていくことになります。
相原雪枝の受けている暴力は麻子をさらに上回るもので、いずれ殺されてもおかしくない状況でした。
ただし相原雪枝も麻子と同じく「彼は子供っぽいだけだ、心根はやさしい」と夫を庇っていて、麻子は相原雪枝の言っていることが自分と同じなことに衝撃を受けます。
しかし麻子は雪枝は離婚すべきと考えているのに、自分は邦一と離婚せずちゃんとした関係を築けると考えているのが異様に見えました。
なぜ自分達夫婦も離婚すべきと考えられないのか不思議でなりませんでした。

ちなみにこの作品では「ペッツ」という駄菓子が登場します。
育子が持っているもので、これはちょっと食べてみたいなと思いました。

どこまでも邦一を心配する麻子はやはり異様だと思いました。
「じゃあこの人の暴力はどうするの?また首を絞められるわよ。蹴られたり、椅子で殴られたりしたいの?」
「治子ちゃんは大げさなのよ」
これでは治子が邦一に激怒するだけではなく麻子のほうにもイラつくのも無理はないなと思います。
愛というより病気に見えました。

終盤での麻子の変化は予想外でした。
これにより、意外な形で物語は進んでいきます。

三姉妹それぞれの物語の中では麻子の物語が非常に緊迫していました。
ただその麻子も最後には犬山家の家訓である「思いわずらうことなく愉しく生きよ」を思い出したように見えました。
三姉妹それぞれ問題を抱えながらも前には進んでいて、たしかに日々生きていく中で色々問題が出てくる以上、思いわずらわずに愉しく生きたほうが良いだろうなと思います。


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渡辺謙さんの主張 -安全保障法制-

2015-08-08 23:05:55 | 政治
8月1日、俳優の渡辺謙さんが自身のツイッターで安全保障法制について以下のツイート(つぶやき)を投稿しました。

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一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。
どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!
複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。
その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても。
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このツイートは今日私が確認したところリツイート数約15000、お気に入り登録数約12000でかなり話題になったようです。
ツイートを見ると、「戦争」とありますね。
そこで指摘しますが、戦争に向かっているのは日本ではなく中国の方です。
現在進行形で南シナ海及び南沙諸島を侵略してフィリピン、台湾、ブルネイ、ベトナム、マレーシアと激しく対立し、陸でもインドやブータンの領土を侵略してやはり激しく対立。
日本の尖閣諸島についても領海侵犯を繰り返し、ついには領空侵犯までし、領土を侵略しようとしています。
武力で他国の領土、領海を奪い取る凄まじい覇権主義国家ぶりを露わにしています。

どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!
この部分は憲法9条を賛美していると読み取れます。
世界に誇れるとのことですが、それほど素晴らしいのであれば、なぜ世界のどの国も自国の憲法に「憲法9条」と同じものを取り入れないのでしょうか。
他に取り入れている国は一ヶ国もありません。
素晴らしいはずなのに、矛盾を感じませんか。
実際には世界のどの国も現実をきちんと見ており、他国の侵略から自国を守れる憲法を定めています。
日本も「すぐ隣に武力によって露骨に平和を脅かす国がある」という現実をきちんと見た憲法にすべきというのが私の考えです。
参考記事 東京新聞5月4日の一面

複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。
これは集団的自衛権行使容認や憲法9条改正による抑止力に反対し、友好関係を築くことが抑止力となり領土を侵略されることはないと主張していると読み取れます。
友好関係とは、片方だけが一方的に築こうとしても築けるものではありません。
日本がいくら努力しても肝心の中国は友好関係を築く気はなく、あろうことか日本の領土である尖閣諸島を武力で侵略しようとさえしています。
私はこのような極めて悪質な国と無理に仲良くする必要はなく、距離を置くべきであると考えます(民間の交流であれば反対はしないです)。
そして相手は領土侵略への野心を剥き出しにしているのですから集団的自衛権行使容認、そして近い将来の憲法9条改正によって抑止力を向上させ、相手に侵略を思い止まらせるだけの体制を整えるべきです。
相手が話し合いで解決する気がなく武力で解決しようとしていて、かつその相手と戦争にならずに済むようにするためには、それが最も現実をきちんと見た政策だと考えます。

以上、影響力のある俳優さんの意見ということでいくつか指摘させてもらいました。
俳優さんの意見ということで鵜呑みにするのではなく、その発言は正しいものなのかどうか、自分の頭で一度考えてみることが大事だと思います。
これはテレビの司会者やコメンテーターについても言えることです。


参考記事
安全保障法制 -瀬戸内寂聴さん-

70回目の平和記念式典

2015-08-06 23:12:55 | 政治
今日は8月6日。
アメリカによって広島に原子爆弾が投下された日です。
この正真正銘の大虐殺である非道によって凄まじい数の人々が亡くなりました。
8月9日には長崎にも原子爆弾が投下されています。

今年は戦後70年目の節目の年です。
よく耳にするのが、「日本はこの70年平和だった」という言葉。
ではその平和は、誰によって守られてきたのでしょうか。
何もせずに、憲法9条を信じるだけで守られてきたのでしょうか。
違いますね。
一つは日米同盟によって守られてきて、もう一つは危機に接する現場で働く陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の方々によって守られてきました。
平和とは何もせずに守れるようなものではなく、その平和を守ってくれる方々がいて初めて守れるものです。
これを改めて考えるべき局面に来ているなと思います。

戦後70年が経ち、現在は平和が脅かされています。
戦争も辞さない態度で他国の領土を奪う覇権主義国家・中国の脅威です。
現在進行形で南シナ海及び南沙諸島を侵略してフィリピン、台湾、ブルネイ、ベトナム、マレーシアと激しく対立し、陸においてもインドやブータンの領土を侵略してやはり激しく対立。
日本の尖閣諸島についても領海侵犯を繰り返し、ついには領空侵犯までし、領土を侵略しようとしています。
戦後70年の節目の年、日本の安全保障環境は明らかに危機に曝されています。
武力によって露骨に平和を脅かす国がすぐそばにあるからこそ、この先も戦争を仕掛けられずに済む平和な国家であるためにはそれへの対策=安全保障法制が必要となってくるのです。
たぶん安倍晋三首相の平和記念式典への出席に対し、テレビと新聞が安全保障法制と結び付けて、安倍晋三首相は戦争をしようとしているというような印象操作をしてくる気がするので、これだけは指摘しておこうと思いました。

「焼くんじゃ」の海物語

2015-08-04 19:45:50 | グルメ
以前ご紹介した『「焼くんじゃ」のお好み焼き』の記事では、お店の人気第2位その名も”焼くんじゃ”をご紹介しました。
今回は「焼くんじゃ」の人気第1位、「海物語」のご紹介です。
海物語では「豚、玉子、そば」に生イカ、生エビを鉄板で焼いたのが入り、さらにネギをかけた状態になります。


まずクレープのように薄く生地を敷き、鰹節をまぶします。


キャベツを炒めています。


キャベツの上にもやしと天かすを乗せ、


豚肉も乗せます。


生地をひっくり返し、今度は麺を焼きます。
焼くんじゃの特徴である「細麺」が写真からも見て取れます。


私の注文した「海物語」用に生イカと生エビを焼き、誰かの注文した「焼くんじゃ」用にイカ天を焼いていました。


生地と麺が合体します。
手前が私の「海物語」、奥が「焼くんじゃ」です。
「焼くんじゃ」の方には大葉が入り、写真にも見えています。


玉子が登場します。


生地と麺の合体したものを玉子の上に乗せます。


それをひっくり返し、


広島限定カープソースをかけ、ネギを乗せれば、


お好み焼き「海物語」の完成です!

細麺のパリッとした焼き上がり具合がやはり焼くんじゃだなと思います。
この仕上がりが好きです。
作っているのを見ていると、麺を焼いている時もこしょうを振ったりして細かく味付けをしていました。
そして生イカと生エビを焼いている時には塩を振っていました。
生地には鰹節をまぶしていたし、こういった下味の積み重ねが美味しさにつながっていると思いました。
一つ一つの味がしっかりしていて、自信を持って美味しいとお勧めできるお好み焼きです。
今まで食べた広島のお好み焼きの中で一番美味しい気がします

広島駅から平和記念公園へ

2015-08-02 16:40:05 | フォトギャラリー
※「平和記念公園を散策」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

広島駅から平和記念公園に行くには、「広電」という路面電車で行くのが一番簡単です。
私は歩くのが好きなこともあり徒歩で行ってみました。
約30分くらい歩くと到着します。
広島駅から平和記念公園までの街並みを撮影してみたので楽しんでみてください

------ 広島駅から平和記念公園へ ------


広島駅南口前。


南口を背にし、歩いていきます。






ウインズ広島。
JRA(日本中央競馬会)の場外馬券売り場です






路面電車の稲荷町駅


稲生(いなり)神社。
道のすぐ横に神社があるのは何だか新鮮です




実は広島は、駅前より少し離れた場所のほうが栄えています。
この辺りから繁華街になっていきます。




路面電車の銀山町(かなやまちょう)駅。
銀山と書いてかなやまと読む、珍しい読み方です。


出発していきました。


胡町(えびすちょう)、薬研堀(やげんぼり)通り。
今歩いている大通りに対し、この薬研堀通りのようにいくつもの通りが交差しています。


歩道橋から、今歩いてきた道を振り返った眺め。


歩道橋から、これから向かう方を見た眺め。


道路の真ん中に路面電車が走っている景色はなかなか新鮮だなと思います


三越。


左に見えるのは路面電車の八丁堀駅。
この辺りが広島繁華街の中心地のようです。


「福屋」の八丁堀本店。






このSOGOが見えたら左に曲がります。




長距離散歩道もいよいよ後半になっています。


歩道橋から今通ってきた道を振り返った眺め。
空の色が違うのは別の日の夕方近くに撮影しているためです。


歩道橋からこれから進む方を見た眺め。






NHK広島放送局があります。


「平和大通り」との交差点に出ます。
ここを右に曲がります。


平和大通りまで来れば、平和記念公園まであと少しです。




平和大橋。


穏やかな川。


向こうの方に原爆ドームが見えています。




橋を渡りきって少し進むと、


ついに平和記念公園に到着です!
平和記念公園の詳細は「平和記念公園を散策」のフォトギャラリーを参考にしてください。
広島駅からここまで歩くと結構な運動にもなって良いのではと思います。
行きは路面電車で行って、帰りは色々なお店を見ながら徒歩で帰ってくるというのも良さそうな気がします


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

「純喫茶トルンカ しあわせの香り」八木沢里志

2015-08-01 21:18:25 | 小説
今回ご紹介するのは「純喫茶トルンカ しあわせの香り」(著:八木沢里志)です。

-----内容-----
コーヒーの香りとショパンの調べが、私をあの頃へと戻してゆく―。
店の常連千代子にとって、マスターの淹れるコーヒーはささやかな魔法。
二十年前、夫との関係に一人悩み、傷ついた気持ちを救ってくれたのがこの店だった。
心地よい苦味と懐かしい旋律が記憶を呼び戻し、不思議な出会いが訪れて……。
三つの温かい交流を描く、感動の第二弾。

-----感想-----
この作品は以前ご紹介した「純喫茶トルンカ」の続編です。
物語は以下の三編で構成されています。

午後のショパン
シェード・ツリーの憂鬱
旅立ちの季節

「午後のショパン」の語り手はトルンカの常連、千代子ばあちゃん。
純喫茶トルンカは東京の下町、谷中銀座商店街にあります。
この話はですます調で語られていました。

美味しいとか、楽しいとか、心踊るとか、そういう感情は大切。年をとると、それがよくわかります。生きる上で、明るい気持ちほど日々の支えになってくれるものもない。
これは千代子ばあちゃんよりだいぶ若い私でも気持ちが分かりました。
明るい気持ちは日々の活力になります。
なので日々を過ごす中で明るい気持ちを得ていくことが大事です。

ちなみにこの話では前作から4、5ヶ月が経過して季節は秋になっています。
千代子ばあちゃんが道を歩いている時に沼田と遭遇し、手術が無事に成功したことが分かりました。
そして谷中に引っ越そうとしていると言っていました。

千代子ばあちゃんはトルンカで思い出の曲を聴いたことによって、昔のことを思い出します。
その曲の名はフレデリック・ショパンの練習曲Op.25-1。
またの名を「エオリアン・ハープ」。
かつて千代子ばあちゃんが子供の頃の太平洋戦争の時代、春日井武彦さんという人がこの曲のことを教えてくれました。
やがて武彦は戦地に赴き、帰ってきたものの精神的におかしくなってしまっていて、千代子とも口をきかなくなってしまいます。
千代子が結婚したのを機に縁もなくなり、それ以来会わなくなっていました。

ある日千代子ばあちゃんがトルンカに行くと、ついさっきまでロケハン隊が来ていたとのことで盛り上がっていました。
ロケハンとはロケーション・ハンティングの略で、映画やドラマの製作の際、シーンにぴったり合う撮影場所を探して見つけてくる役目の人です。

「誰にでも大切な想いというのはある。それは忘れたと思っても、ほんとうには忘れられるものじゃない。それはただ、眠っているだけなんです」
沼田(ヒロさん)が言っていたこの言葉はたしかにそうだと思います。
私もしばらく考えていなかったことを唐突に考えるようになったりすることがあります。

物語の最初は金木犀が香るには少し早いとあったのですが、後半では金木犀が香りだしたとあり、次第に秋が深まっているのが分かりました。
やがてトルンカで映画の撮影が行われ、千代子ばあちゃんは監督に頼まれ映画にエキストラ出演することになるのですが、これに出演したことによって予想外の展開が待っていました。

<再会とは、人生における一番身近な奇跡である>
これはトルンカの常連の一人、絢子という人のオリジナルの格言です。
私も昨年の同窓会では叶わなかったですが、中学二年、三年の時の担任の先生にいつか再会してみたいなと思いました。


「シェード・ツリーの憂鬱」の語り手は鈴村浩太(こうた)。
浩太はトルンカの看板娘、雫の幼馴染です。
コーヒーの木は直射日光を嫌うため、バナナやマンゴーのような生長が早くて高く育つ樹木を一緒に植え、適度に日陰のある場所を作ってあげるのですが、そういったコーヒーの木を守るための木のことをシェード・ツリーと言います。
雫の姉の菫(浩太はスミねえと呼んでいる)が亡くなる直前、浩太はスミねえから雫のシェード・ツリーになってほしいと頼まれます。
優しすぎるため傷つきやすい雫を守ってやってくれという、菫の最後のお願いでした。
以来浩太はシェード・ツリーとして道化を演じたりしながら雫を守っていきます。
この物語では浩太から見た雫について色々語られていました。

浩太は高校二年生でバレーボール部なのですが、野原という三年にシューズを隠されるなど嫌がらせされていました。
これは意外でした。
一年の時から先輩を押しのけてレギュラー入りした浩太のことが気に入らないようです。
浩太から見た雫のことと共に、浩太自身の物語にもなっていました。

この話にもトルンカでの映画撮影の件が出てきます。
なので「午後のショパン」と同じ時期だと分かりました。
「午後のショパン」で浩太が田所ルミという女優にサインを貰いにいく描写があったのですが、サインを貰いに行っただけに見えた浩太が実は結構この女優田所ルミと話していたことが分かりました。
田所ルミを通じて浩太は自分自身のこれまでのことと向き合っていくことになります。


「旅立ちの季節」の語り手はトルンカの常連、本庄絢子。
前作では26歳だった絢子はこの物語では27歳になっていました。
絢子はイラストれーたーで、花屋でのアルバイトもしています。

人間の最も偉大な力とは、その一番の弱点を克服したところから生まれてくる
これは「幸福論」で有名な思想家のヒルティの言葉とのことです。
絢子はこの格言が前向きで好きだと言っていて、私もなかなか良い格言だなと思いました。
ちなみに絢子は色々な人の格言をスラスラと言えるほどの格言マニアです。

この話では大学生アルバイトの修一が今月いっぱいでトルンカを辞めることが明らかになります。
来春から編集プロダクションに就職が決まっていて、そちらが人員不足でよく雑用係として呼ばれ、さらに卒業論文の製作もあるので辞めることにしたようです。

ある日絢子は美術大学時代の同級生、宇津井と再会。
宇津井はかつての恋人でもありました。
再会した宇津井からは鬱病になって会社を退職したという驚きの事実を知らされます。
宇津井は「病気だったと認められるようになったのは入院してずいぶん経ってから」と言っていて、これはたぶんそういうものなんだろうなと思います。
「認める」というのはそう簡単なことではないです。

絢子は「ヒロさん」こと、沼田弘之のことが気になっていました。
前作で沼田が心臓の手術を受けることになり、絢子は<再会とは、人生における一番身近な奇跡である>というオリジナルの格言を贈り、必ず再会しようと言っていました。
物語が進んでいく中で、どこで再会することになるのか興味深かったです。

ちなみにこの話でもトルンカでの映画撮影のことが登場します。
今作は同じ時系列の中でトルンカの常連の人達の出来事が描かれる形になっていました。
トルンカという同じ場所に集まる人たちそれぞれに、その人の物語があるんだなと思いましたし、そういうのこそ日常なんだと思いました。

<生きてるって素晴らしい>か。そんな風に、私も心から思える日が来るといい。借り物の言葉じゃなくて、私自身が実感して、口にできる日が。
宇津井の<生きてるって素晴らしい>という言葉を聞いて絢子が思ったことです。
私はこれを読んで、浜崎あゆみの「SEASONS」という歌に出てくる以下のフレーズが思い浮かびました。
今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう
やがて絢子も心から思える日が来るのではないかと思いました。

「一年や二年、人生で数えれば大した月日じゃない。人にはそういう時期があってもいいさ」
これはある重大決心をした絢子にヒロさんがかけた言葉です。
この言葉もかなり良いなと思いました。
ほんと大変な時期などがあったとしても、長い人生で見れば大した月日ではないのかも知れません。
旅立ちの時を迎えた絢子の行く先は必ず明るいものになると思えるような終わり方で良かったです。


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