那須太社 錦輔 の日記

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経済学者の栄光と挫折 東谷暁

2023-05-04 14:57:02 | 読書感想文

藤井聡や堤未果の本を読んで、経済学の事も少し知りたくなって借りてきた。

が、難しくてじっくり読み通すことは断念して拾い読みした。

以下、備忘録的な感想。

・ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946) ケンブリッジ大学出のイギリスの古き良き学問エリート。大きな政府、財政出動。ホモセクシャル。

・フリードリッヒ・フォン・ハイエク(1899-1992) オーストリア人、社会主義・ファシズムへの警鐘、計画経済・福祉国家への批判、ロンドン大学に招請されてからはケインズと論争を繰り広げる。1950年にシカゴ大学に移りフリードマンの盟友となる。本書によるとアメリカのリバタリアンからはフリードマンと並ぶ新自由主義の先駆者と評されているが、フリードマンとは思想的に異なるそうだ。どこが違うのかは全く理解できていないけど。

・ジョン・K・ガルブレイス(1908-2006) カナダ生まれ、アメリカに帰化、ケンブリッジ留学、ケインジアン、大企業に対する批判、労働組合/消費者団体、「不確実性の時代」、新しい社会主義、消費者主権、左寄り、フリードマンらリバタリアンから批判をうける。

・ピーター・F・ドラッカー(1909-2005) 経営学、労使協調、アメリカより日本で読まれている。

・ミルトン・フリードマン(1912-2006) 反ケインズ、新自由主義、マネタリスト、リバタリアン、ノーベル経済学賞受賞、小さな政府、減税、民営化、レーガノミクス、サッチャリズム。

・ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-) ノーベル経済学賞受賞、2011年9月のOccupy Wall Street運動を支持(アメリカでは上位1パーセントの富裕層が富を独占している、という状況に対する抗議活動/We are the 99%。アンチ新自由主義的な運動)

・ポール・R・クルーグマン(1953-) ノーベル経済学賞受賞、我が国や第三世界の国々にスティグリッツ氏とともに様々な提言を行っている、らしい。しばしば前言をひるがえす、との事。

 

名前を聞いたことのある経済学者が何人も出てきたが、経済学の大きな流れとしては

・ケインズ 経済には国家が介入して善導する必要がある

・フリードマン 経済を国家がコントロールする必要はなく、自由化しなければならない

・マルクス 計画経済、人間社会は段階を追って進化し、最終的に共産主義に行きつく

という3つの流れがある、という事で合っているのではないかと思う。

 

週刊ダイヤモンドのサイトに簡単な系譜が載っていた。

https://diamond.jp/articles/-/109385

あと、これもまだ読んでないけど分かりやすそう。

https://capitalism-slaves.com/existing-economy/economic-thought/3865/

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アーサー・ヘイリー 「ストロング・メディスン」

2023-05-04 13:24:14 | 読書感想文

 久坂部羊の「MR」が面白くて、書評など読み漁っていときこの本の事も知り、同じ医療関係の傑作小説だと評されていたので借りてきたのだが、かなり面白かった。

けど、去年の秋に読んだ内容がほとんど思い出せない。

確か新進気鋭の医師と製薬会社の女性セールスが結婚して、奥さんが頑張って出世して会社組織を改善していくんだが、学会からその製薬会社に招請されて入社した男が小悪党で、奇形児が生まれる危険性の高い新薬を世界的に売り出そうとして会社を危機に陥らせる、みたいな話だった。

分厚い本だったがほとんど中だるみが無くて、まさに巻を置くをあたわず、これぞ世界のエンターテイメント、と感じた。

作者のアーサー・ヘイリーはこの本を書く前にすでに何冊もベストセラーを出しており、いったん創作活動から身を引いて悠々自適の生活だったのだが、病を発して治療を受けたことからまた意欲をかきたてられてこの本を書いたらしい。

この作者の他の小説もまた時間のあるとき読んでみたい。

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日本滅亡論(藤井聡)、「お金」と「人事」で世界が見える「平和な国」日本の裏側(堤未果)

2023-04-09 23:31:00 | 読書感想文

youtubeを見ているとやたらこの2冊を発行している経営科学出版の宣伝が出て来るので買ってみた。

日本滅亡論を読んで、平和な国日本の裏側を読み始めた。

あと、ダイレクト出版という所の宣伝も出て来るので、西鋭夫氏の新説・明治維新も買ってみたが、こちらは期待外れ。

お金の流れを追え、といって明治維新の定説に異論を唱えているが、自分でお金の流れを追ってない。

新事実は全くなくて、聞いたことのある推論ばかりだった。

 

経営科学出版の本に関しては、中々面白い。

自分はいい歳をして経済のこととか全く分かってないのだが、どうも経済学というのは単なる学問ではなく宗教的な思想であるらしく、おおまかに3つの流れがあるという。

1つ目は新古典主義といって経済学の父、といわれた18世紀イギリスのアダム・スミスの思想を援用した思想で、要は経済と言うのは政府が介入すべきではない、ほっておけば自然とバランスが取れて行ってうまく収まる、という考え方。

今の国際金融資本はこれを巧妙に利用して、自らに国家機関が規制をかけられないように立ち回っている。

シカゴ学派と言われるミルトン・フリードマンが立ち上げた思想らしく、社会主義者であったチリのアジェンデ政権がクーデターで倒されたタイミングでピノチェト新大統領に招かれて弟子を送り込み、規制緩和、民営化を進めてチリ経済を外国資本に売り渡したと言われている。

経緯としては右派なのだが、思想としては極左である。

2つ目はマルクス・レーニン主義。20世紀において各社会主義国・共産主義国で他の思想を許容しない独善性から何度も大虐殺を引き起こしいったん廃れた思想だが、新古典主義に席巻された現在の世界において弱者救済という題目で再び勢力を回復しつつある。

3つ目がケインズ主義。19世紀のイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズの思想を受け継ぐ考え方で、一国の経済と言うのは適宜国家機関がコントロールして行く必要がある、という考え方。

自分は原典を読んだわけでもないし、勉強したわけでもないが、愛国者として尊敬している藤井聡さんや堤未果さんが推しておられるケインズ主義を支持したい。

現代ではポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツがケインズ派らしく、藤井聡さんは推しておられるのだが、現在進行形の人でもあるし自分が勉強不足でもあるので評価は保留したい。

飛んだ食わせ物である可能性もある。

藤井聡さん、堤未果さんの著書を読んで、政治のことは難しくて分からないから、信頼できる政治家に任せておこう、と思っていたことを自分でも調べて考えてみようかな、という気持ちになった。

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詩や句から今も昔も変わらない人の心がうかがえる

2023-03-26 09:02:09 | 読書感想文

最近、本を読み通すのが難しくなって、目が悪くなってきたのも原因だと思うが、残念なことだ。

去年老眼鏡も作り、それを使えば確かに裸眼より読み易いがけっこう面倒くさい。

 

それでなんとなく俳句をネットで検索して楽しんでいる。

 

尾崎放裁の「咳をしても一人」

与謝蕪村の「春の海、ひねもすのたりのたりかな」

気楽に楽しめていい。

日本人の漢詩もいい。

伊達政宗の

「馬上少年過ぐ

世平らかにして白髪多し

残躯天の許すところ

楽しまずんばこれ如何せん」

なんてたまらない。

元になった「酔余口号」という漢詩は

馬上少年過 世平白髪多

残躯天所赦 不楽是如何

一国を率いて戦って天下を取る事は出来なかった大武将が、若き日の戦いの日々を「馬上少年過」のたった5文字で表している。

 

小林一茶は江戸時代の人だが、現代人と同じような感覚、言葉遣いで親しみやすい。

1763年に信濃北部の農家に生まれて、子供のころ江戸に奉公に出されたという。

1615年が大坂夏の陣で豊臣家が滅ぼされ徳川家の体制が確立した年だが、その148年あとの生まれだ。

最後の将軍徳川慶喜が大政奉還したのが1867年、明治維新が1868年だからその105年前の生まれでもあり、江戸時代の真ん中あたり、ちょっと後半よりに生まれた人である。

お城には2本差しの武士がいた時代だ。電気やガス、水道はないし、冷蔵庫も洗濯機もガスコンロもない。自動車も電車も電話もない。ネットももちろんないしテレビも新聞もない。

 

けど、その句はとても親しみやすい。

「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」

「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」

「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」

ちいさな生き物の可愛らしさを詠んだ詩が良い。

あと良いのがこれ。

「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」

北国に春が来て深々とした冬景色から一転、家から出てきた子供たちが外で元気いっぱい遊びまわっている風景が目に浮かぶ。

この唄など現代の風景と変わらない。

江戸時代が平和であったという事もあるだろうが、人って今も昔もそんなに変わらないんだろうだな、と思う。

 

子供を題材にした歌だと後白河上皇の

「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」

という歌?もあった。

後白河上皇は1127年生まれ。

武士が台頭してきて貴族を凌駕しつつ相争い始めた動乱の時代の人で、若いころには保元平治の乱、壮年から晩年には源平合戦にかかわっている。

遊びを・・・の唄は言葉遣いは難しいが、歌っている中身は、子供たちの遊ぶ声を聞いてると嬉しくなる、といった意味でこれも現代でも変わらない気持ちを歌っていて、権力闘争の真っただ中にいた人でもそういう感覚があったんだ、今も昔もそういう所って同じなんだな、人間と言うのは根本の部分は変わらないんだなと思う。

※深読みすると、遊女の事を歌っている、という説もネットで読んだが自分は素直に子供のこと歌っているとうけとめたい。

昔の詩を読んでいると、科学技術が進歩して、色々な思想が世に問われてきたが、結局人間は何も変わらないのじゃないかとおもう。

 

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かえっていく場所 椎名誠

2023-03-15 21:45:56 | 読書感想文

野田知佑さんが歳を取って様子がおかしい、みたいな事がネットの書評に書いてあったので読み始めたが、それほど大したことは書いてなかった。

他の話もあまり興味を覚えず、途中で読むのをやめてしまった。

かつて「哀愁の街に霧が降るのだ」に熱中したものだが、椎名さんも年相応に体の不調もあるようで筆があまり走っていないし、自分もがんばって本を読みとおす根気がなくなった。

いちばん古い話が2001年の雑誌の1月号に掲載されているからもう20年以上前のエッセイになる。

だから息子の岳君はまだアメリカの学生で、娘さんもまだ結婚してないようで、椎名家に孫はまだいない。

他の本の書評に書いてあったが、20年以上経過した今は岳君はサンフランシスコで写真家、娘さんはニューヨークで弁護士として働いているらしい。

なんだかうらやましい。

自分もアメリカで暮らしてみたいな、なんてふと思った。

でも、ニューヨーク、ロスアンジェルス、サンフランシスコ、そういった大都市なら行こうと思えばいく事は出来ると思うが、実際行く事はないだろうな。

 

なんか、椎名さんを見習ってもう少し外に出て人と交わってインプットするようにしないと、だんだん摩耗していつも不機嫌な気難しい老人になってしまいそうだな。

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