もう少し砕いていうと「きっちり」か「だいたい」か、と言うことになるでしょうか?
いや科学的なことは非常に大切で、説明が必要な時に科学的なアプローチをすると説得力が格段に違いますし、実際にそれを怠って失敗した、という例も沢山あります。
しかし果たして実営業に於いて「すべてが科学(きっちり)」か?というとそうでもありません。
肌感覚はときに科学を凌駕しています。
正確には営業中に「きっちりとしたデータや数値」を確認しながらは出来るものではありません。
例えば肉に振る塩だって同じ重さの肉でも形状は違って当たり前ですし、焼くときの外気温や湿度も違いますから「何グラムの肉なら何分」ではむしろ日の入り具合が違ったりします。
ワインの温度管理も今の温度を温度計で計ってもグラスの中での温度変化は日々違うわけです。
同時に同じ温度でも感じ方は冬と夏では違うのです。
その例は挙げればキリがありません。
では肌感覚が良いのか?というと素人のそれは危険すぎます。
充分に経験を積んだ人が「今日ならまだ大丈夫」「あ、この蒸し暑さだと温度上昇は早いな」「あのワインのあとは料理が出てからワインを注いだ方がギャップが少ないぞ」など肌感覚は有用です。
それを鍛えるには「数をこなす」「一秒を刻む練習をする」「グラスによる温度変化を調べておく」など自分なりに訓練と実証を積むことです。
つまり科学的なことも交える、ということになります。
どっちが大事かと言えば「両方大事」です。
ただし・・・・・・・
科学、と言うのは意外と「ほんとは違った」と言うことが多いものです。
医療でもスポーツの練習方であれ、犯罪捜査のDNA鑑定であれ・・・
「最新の研究では違うことが判った」などと言うことも少なくありません。
また科学的な最高の解説をする人が最高のプレイヤーではない、と言うことも良くある話。
熟練の技には「裏付ける言葉は知らなくても早くて確実」な何かがあるのです。
私たちの仕事は科学的な検証を忘れないながらも体で覚える、って事が年を追うにつれ身に染みているこの頃です。
今日も良い感覚で仕事が出来ますように‼‼
樋口誠
いや科学的なことは非常に大切で、説明が必要な時に科学的なアプローチをすると説得力が格段に違いますし、実際にそれを怠って失敗した、という例も沢山あります。
しかし果たして実営業に於いて「すべてが科学(きっちり)」か?というとそうでもありません。
肌感覚はときに科学を凌駕しています。
正確には営業中に「きっちりとしたデータや数値」を確認しながらは出来るものではありません。
例えば肉に振る塩だって同じ重さの肉でも形状は違って当たり前ですし、焼くときの外気温や湿度も違いますから「何グラムの肉なら何分」ではむしろ日の入り具合が違ったりします。
ワインの温度管理も今の温度を温度計で計ってもグラスの中での温度変化は日々違うわけです。
同時に同じ温度でも感じ方は冬と夏では違うのです。
その例は挙げればキリがありません。
では肌感覚が良いのか?というと素人のそれは危険すぎます。
充分に経験を積んだ人が「今日ならまだ大丈夫」「あ、この蒸し暑さだと温度上昇は早いな」「あのワインのあとは料理が出てからワインを注いだ方がギャップが少ないぞ」など肌感覚は有用です。
それを鍛えるには「数をこなす」「一秒を刻む練習をする」「グラスによる温度変化を調べておく」など自分なりに訓練と実証を積むことです。
つまり科学的なことも交える、ということになります。
どっちが大事かと言えば「両方大事」です。
ただし・・・・・・・
科学、と言うのは意外と「ほんとは違った」と言うことが多いものです。
医療でもスポーツの練習方であれ、犯罪捜査のDNA鑑定であれ・・・
「最新の研究では違うことが判った」などと言うことも少なくありません。
また科学的な最高の解説をする人が最高のプレイヤーではない、と言うことも良くある話。
熟練の技には「裏付ける言葉は知らなくても早くて確実」な何かがあるのです。
私たちの仕事は科学的な検証を忘れないながらも体で覚える、って事が年を追うにつれ身に染みているこの頃です。
今日も良い感覚で仕事が出来ますように‼‼
樋口誠