東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

橘花 永野治海軍中佐

2016-12-22 | Weblog
今日は少し時間があったので上野の国立科学博物館へ行った。昭和20年8月7日に初飛行に成功した橘花の図面があった。開発責任者は永野治海軍中佐です。

私が入社試験を受けたのは40年以上前の10月ごろだったと思う。永野治副社長が直接面接に出て来られた。永野四兄弟の末弟で橘花を開発したというのは後で聞いた。海軍中佐だったころは血を吐くほど開発に没頭していたらしい。
私は入社の面接なのでいつも以上に緊張し、これはどうも私の自己嫌悪に陥いるべき特質のようだが、外見上は身を固くして朴訥と質問に答えていた。後述するがその時に同席された松平精常務のこともよく覚えている。
一応は副社長と常務の面接は通ったようで入社することになった。今になって深く反省しているが、博士課程を終えてきた新入社員には多いに期待されていたと思う。永野副社長のジェットエンジン、松平常務のゼロ戦と新幹線のような成果を出せなかったのが心残りだ。
その時に一緒に入社面接を受けたのは3人だった。実はその時の面接ではもう一人の博士課程修了者がいる。その後40年以上お付き合いすることになるのだが、まずはここまでにしておこう。

翌年の春、4月1日の入社式に出た。そこには新入社員が500名ほどがあふれるくらい騒めいていた。ここから企業人生が始まったのだ!






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