東西圧縮回流記

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苦節250年真田幸村の子孫

2020-12-17 | 歴史散歩
 真田幸村の次男や娘たちが伊達政宗の重臣白石城主の片倉小十郎景綱、重綱に引き取られ、次男の子孫が現在の宮城県蔵王町矢附に所領を得た後、子孫達は密かに生き延びてきたという。

 それは大阪夏の陣(西暦1615年)から明治維新1868年以降までなので、徳川の時代を250年以上も幸村の子孫であることを名乗らなかったという。

 やはり戦に敗れることは並大抵のことではなく、子孫断絶は当然のことだった。その中で、敗れた真田幸村の子孫が生き残ったことは人間の生命や歴史を想い巡らし、また安堵感を呼ぶものだ。






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