目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

目黒区北東部の庚申塔めぐりコース 約8.3Km

2016-04-17 13:45:34 | ウォーキング
九州各地で地震の被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
ウォーキングで家を出る直前まで熊本県益城町の避難所に避難している友人と話をしていて、いつものコンパクトデジカメを持って出るのを忘れました。そんなことから今回は写真少なめです。

目黒区のホームページに「区内には約70基の庚申塔がありますが、ここでは散歩がてら見に行けるもの、保存状態の良いものなどをいくつか紹介します。」と21基の庚申塔が案内されています。そのうち緑が丘庚申塔は所在が分からなかったのですが、それ以外の20基を2回に分けて巡る企画の前半です。


写真:東山の和菓子屋さんの前のボタン
菅刈公園に集合し、ストレッチの後出発しました。山手通りを渡ってわが母校東山中学校の脇にある馬頭観音を見る前に通った和菓子屋さん「雅庵」ではきれいに咲いたボタンを飾っていました。


写真:寿福寺藤棚
さくらが終わったと思ったらもう藤の季節です。寿福寺の境内にはウコン桜もきれいに花を咲かせていたのですが、アングル的にきれいに撮ることが出来ずに断念しました。寿福寺の庚申塔を見た後は野沢通りを渡って墓地へ。目黒区青葉台から世田谷区野沢竜雲寺へ抜ける野沢通りですが、地元ではオリンピック道路と呼ばれていました。これは昭和39年の東京オリンピックの前、幻となった昭和15年の東京オリンピックのメイン会場に予定されていた、現在の駒沢公園への道として昭和13年に整備されました。
寿福寺の墓地では江戸時代の綱差、キジ捕りの名人といわれた川井権兵衛さんのお墓があります。「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる、三度に一度は追わずばなるまい、ズンベラ、ズンベラ…」と俗謡に歌われた上目黒村の有名人です。
次は小川坂の入り口にある宿山の庚申塔へ。小川坂の由来は小川一族が住んでいたから。小川一族の末裔が営んでいたスーパー八百角は、数年前に閉店してしまいました。小川坂は目黒区のホームページには鎌倉街道として紹介されています。代官山から目切坂を下り、宿山橋を通って小川坂を登ってくると野沢通りの旧道にぶつかる丁字路に庚申塔が置かれていたものです。

目黒ゴルフ練習場脇の小路を降りて蛇崩川緑道。すぐに右に曲がり蛇崩川支流緑道へ。普段は人通りのない細い通路を20人の人たちが通り抜けるので、見かけた人は何ごとかと思うでしょう。支流緑道は五本木まで続き、すぐに五本木庚申塔へと至ります。


写真:十日森神社の狛犬
このお狐様は乳をあげているようです。神社で休憩時間を取り住区センターのトイレを借りました。駒沢通りを恵比寿方面へ向かい、さわら庚申塔。そして先ほどとは違う目黒川の支流、谷戸前川暗渠を下ってゆきます。幾筋もの小川が流れ、水が豊富な場所だったのでしょう。
とちの木庚申では、庚申塔は地べたにおかれ扱いが雑なのでそのうちなくなってしまうのではないかと思っていましたが、そばにあるとちの木の方が切られてしまっていました。


写真:藤の花
そのまま川筋を辿り山手通りへ出ます。通りを渡るとひいらぎ庚申。近くにある田道庚申塔は屋根もありよい状態で庚申塔に描かれた鶏やお日様、お月様がきちんと識別できます。
再び山手通りを渡って目黒区で一番急と言われる十七が坂を上り、十七が坂上庚申塔。ばくろ坂上庚申塔、藤の庚申塔、天祖神社庚申塔など、庚申塔銀座とも言っていいくらいの密集度です。目黒不動から宿山へと向かうこの尾根道が、江戸時代主要な通りだったことを偲ばせます。


写真:藤の庚申塔
駒沢通りを下り総合庁舎の脇にあるのがけこぼ坂庚申塔。石造りの祠に収まっています。最後の難関別所坂を登り、坂の上にあるのが別所坂上庚申塔で、こちらは鉄筋コンクリートの祠。平均斜度では十七が坂に負けていますが、高低差はナンバーワンだと思います。このコースを作っておいてなんですが、最後の別所坂はきついです。
別所坂公園でストレッチをして、解散となり一部有志は恵比寿の中華エイトで、北京ダックに舌鼓を打ちました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
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