戦艦三笠をゴールにした前回につづき、横須賀シリーズ第二弾。今回はさらに歴史を遡り江戸時代。開国の舞台となった浦賀です。
この冬一番と言われる寒波の中、東横線から見えるはずの富士山は雲の中。すっきりとした青空が広がっているものの、北の方の山々が少し霞んでいるのは雪が降っているためでしょう。横浜で京浜急行線の快特に乗り換え、堀内で各駅停車に乗り換えて終点の浦賀から歩き始めます。
写真:京浜急行線浦賀駅
写真:浦賀ドックの説明
写真:浦賀ドックの遺構
天然のドックのような浦賀湾の西側、浦賀通りを南へ進むと左手はずっと浦賀ドック。ドックの完成は黒船来航から六年後の1859年。ここで咸臨丸の整備が行われました。浦賀は開国の歴史を感じることが出来る、貴重な場所です。
写真:西叶神社
下見に来たときは誰もいなかったのですが、今回は日曜日ということでそこそこ観光客が訪れていました。「南国の神社の御神木は『ソテツ』」というイメージをして、手前にあった銀杏が写り込まないよう撮影しました。
写真:趣のある商店
このほかにも廻船問屋の建物など、西叶神社の近くには趣のある建物が多くみられます。
写真:「なっなんと、『欠航?』」
東の桟橋破損のために無期限欠航の張り紙。この渡船に乗ることが出来ないと浦賀湾の根元まで戻らなくてはならないので、ただでさえ12Kmと長いコースに2.4Kmのプラスアルファ。ショック!
しかし、東の船着場では愛宕丸に乗り込んでいる様子がうかがえます。そしてこちらへ向かってくる愛宕丸を見て、かすかな希望が。。。
写真:愛宕丸
写真:浦賀ドックを海から
写真:浦賀の渡し
どうやらこの時間帯から復旧のようです。助かったぁ!と会員の皆さんが大喜びしたのは言うまでもありません。歩こう会と言っても余分に歩くことを喜ぶほどウォーキングにのめり込んでいるわけではないのです。
写真:東叶神社
咸臨丸の航海無事を祈り、勝海舟が水ごりをしたという神社です。西叶神社も、東叶神社も拝殿から鳥居を望むとその先は海。近くには吉田松陰と佐久間象山がペリー来航への対応策を協議したという徳田屋の跡に石碑があったようです。見逃して残念!
写真:浦賀水道
この頃から雲が多くなり、お日様があるうちはいいのですが、曇るとかなり寒くなってきました。
写真:たたら海水浴場
写真:観音崎公園に残されたトーチカ
写真:アコウの木
写真:スイセン
写真:ゴジラの足跡1/10スケール
写真:黒船
観音崎公園で昼食としました。前回バスハイクでここを訪れた時と同じように、食事の最中はトンビとの戦い。今回はゆで卵をひっくり返され、道に散らばったゆで卵をトンビが後から回収に来ました。
写真:帝国海軍の対潜水艦施設跡
写真:浦賀水道を航行する船
写真:観音崎海水浴場
写真:横須賀美術館
写真:三軒家砲台跡
浦賀水道には首都東京防衛のための、様々な施設がありました。バスでショートカットするメンバーとはこちらで別れて、本体は少しピッチを上げて観音崎公園の上り坂を登り、高台へ。
写真:観音崎公園
写真:森のロッジのスイセン
観音崎公園を抜け、防衛大学脇の道を下り、再び国道16号へ下りてきます。
写真:富士山が見える方角
写真:白梅
写真:国道わきの遊歩道
写真:猿島
走水小学校バス停にあった説明書きによると、この方向に富士山が見えるそうです。言われてみれば麓の方が何となく見えているような気がします。このあたりはもうひたすら寒く、気合を入れて歩いていないと凍えてしまいそう。
写真:信楽寺(しんぎょうじ)
写真:ペリーと黒船が描かれたマンホールのふた
京急大津駅でショートカット組と合流し、おりょうさんのお墓がある信楽寺へ。伏見寺田屋で坂本龍馬の命を救ったおりょうさんのお墓が、開国の舞台となった浦賀近くの横須賀にあることが不思議に思えます。
京急大津駅で解散し、堀内で快特に乗り換えて三々五々に帰ってゆきました。一部有志、今回は京急蒲田で降りて、JR蒲田駅まで歩き、西口の天狗で反省会。1,000円以上食べて飲み放題が1,500円になる【おこ飲み宴会】はやっていないとのお話。全店舗でやっているものと思っていたので、ちょっと意外でした。そこそこ飲んで一人3,000円で収まれば、御の字です。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
この冬一番と言われる寒波の中、東横線から見えるはずの富士山は雲の中。すっきりとした青空が広がっているものの、北の方の山々が少し霞んでいるのは雪が降っているためでしょう。横浜で京浜急行線の快特に乗り換え、堀内で各駅停車に乗り換えて終点の浦賀から歩き始めます。
写真:京浜急行線浦賀駅
写真:浦賀ドックの説明
写真:浦賀ドックの遺構
天然のドックのような浦賀湾の西側、浦賀通りを南へ進むと左手はずっと浦賀ドック。ドックの完成は黒船来航から六年後の1859年。ここで咸臨丸の整備が行われました。浦賀は開国の歴史を感じることが出来る、貴重な場所です。
写真:西叶神社
下見に来たときは誰もいなかったのですが、今回は日曜日ということでそこそこ観光客が訪れていました。「南国の神社の御神木は『ソテツ』」というイメージをして、手前にあった銀杏が写り込まないよう撮影しました。
写真:趣のある商店
このほかにも廻船問屋の建物など、西叶神社の近くには趣のある建物が多くみられます。
写真:「なっなんと、『欠航?』」
東の桟橋破損のために無期限欠航の張り紙。この渡船に乗ることが出来ないと浦賀湾の根元まで戻らなくてはならないので、ただでさえ12Kmと長いコースに2.4Kmのプラスアルファ。ショック!
しかし、東の船着場では愛宕丸に乗り込んでいる様子がうかがえます。そしてこちらへ向かってくる愛宕丸を見て、かすかな希望が。。。
写真:愛宕丸
写真:浦賀ドックを海から
写真:浦賀の渡し
どうやらこの時間帯から復旧のようです。助かったぁ!と会員の皆さんが大喜びしたのは言うまでもありません。歩こう会と言っても余分に歩くことを喜ぶほどウォーキングにのめり込んでいるわけではないのです。
写真:東叶神社
咸臨丸の航海無事を祈り、勝海舟が水ごりをしたという神社です。西叶神社も、東叶神社も拝殿から鳥居を望むとその先は海。近くには吉田松陰と佐久間象山がペリー来航への対応策を協議したという徳田屋の跡に石碑があったようです。見逃して残念!
写真:浦賀水道
この頃から雲が多くなり、お日様があるうちはいいのですが、曇るとかなり寒くなってきました。
写真:たたら海水浴場
写真:観音崎公園に残されたトーチカ
写真:アコウの木
写真:スイセン
写真:ゴジラの足跡1/10スケール
写真:黒船
観音崎公園で昼食としました。前回バスハイクでここを訪れた時と同じように、食事の最中はトンビとの戦い。今回はゆで卵をひっくり返され、道に散らばったゆで卵をトンビが後から回収に来ました。
写真:帝国海軍の対潜水艦施設跡
写真:浦賀水道を航行する船
写真:観音崎海水浴場
写真:横須賀美術館
写真:三軒家砲台跡
浦賀水道には首都東京防衛のための、様々な施設がありました。バスでショートカットするメンバーとはこちらで別れて、本体は少しピッチを上げて観音崎公園の上り坂を登り、高台へ。
写真:観音崎公園
写真:森のロッジのスイセン
観音崎公園を抜け、防衛大学脇の道を下り、再び国道16号へ下りてきます。
写真:富士山が見える方角
写真:白梅
写真:国道わきの遊歩道
写真:猿島
走水小学校バス停にあった説明書きによると、この方向に富士山が見えるそうです。言われてみれば麓の方が何となく見えているような気がします。このあたりはもうひたすら寒く、気合を入れて歩いていないと凍えてしまいそう。
写真:信楽寺(しんぎょうじ)
写真:ペリーと黒船が描かれたマンホールのふた
京急大津駅でショートカット組と合流し、おりょうさんのお墓がある信楽寺へ。伏見寺田屋で坂本龍馬の命を救ったおりょうさんのお墓が、開国の舞台となった浦賀近くの横須賀にあることが不思議に思えます。
京急大津駅で解散し、堀内で快特に乗り換えて三々五々に帰ってゆきました。一部有志、今回は京急蒲田で降りて、JR蒲田駅まで歩き、西口の天狗で反省会。1,000円以上食べて飲み放題が1,500円になる【おこ飲み宴会】はやっていないとのお話。全店舗でやっているものと思っていたので、ちょっと意外でした。そこそこ飲んで一人3,000円で収まれば、御の字です。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール