昨日このコースのブログをほぼ書き終えていたのですが、秀丸が突然の異常終了で一時間かけて作成したブログがおじゃんになりました。(涙)
EXCELではよく経験したことですが、秀丸の異常終了は初体験。昨日はもう一度書き直す気力がなく、秀丸最新バージョンへのアップデートだけ行いました。今日は気分も新たに書き直しです。
このコースは恵比寿で行った忘年会用に恵比寿をゴールにする目的で作ったもので、初回は時間が足りずに渋谷から山手線に乗りました。二回目はゴールし、今回が久しぶりとなる三回目です。国立競技場が改修工事に入り封印していたのですが、工事の経過を見てゆくのもまた一興と考えを改めての企画です。
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑前と乗り継いで、新宿御苑大木戸門からスタートです。
写真:サンシュ
大木戸門の入場口の手前で場所をお借りしてウォーキング前のストレッチを行います。
写真:水道碑
写真:四谷大木戸の碑
写真:例の現場
新宿御苑大木戸門の由来は江戸時代四谷大木戸があったため。木戸が設けられたのは豊臣の残党が江戸に入ることを防ぐためというから、江戸初期に設けられたようです。それに加えてここには「水番所」という江戸幕府の出先機関がありました。羽村で取水され、開渠で玉川上水を流れてきた水は、ここから先地下を通り江戸へ向かっていました。その水位を管理するのが水番所で、水道局といったところでしょう。これらの碑は四谷地域センターにあるのですが、このセンターには東京都水道局新宿営業所が入居しており、江戸時代から400年続く水道局と言っていいでしょう。
写真:渋谷川の始まり
渋谷川にはいくつかの支流があり明治神宮の清正の井戸も源流の一つですが、ここは本流と言っていいと思います。かつては湧水を集めた小川であったと思われますが、玉川上水完成後は、この上水の余った水を流す吐水としての機能が加わり、源流から相当量の水が流れていたものと思われます。この場所は新宿御苑の北東角に当たり、渋谷川は御苑の東側を南へ向かって流れていました。
写真:多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)
新宿と言えばかつては内藤新宿と呼ばれ、信州高遠藩内藤家とのゆかりが深い土地。この神社にも内藤家の家紋である上り藤が描かれています。徳川家康は、内藤清成に馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、その結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられています。その伝説の駿馬も神社に祭られています。
写真:三菱鉛筆発祥の地
三菱鉛筆は明治二十年に「眞崎鉛筆製造所」としてこの地に創業しました。鉛筆を製造するための動力として渋谷川の流れを利用した水車が使われていました。かつての水番所からわずか200mの場所で水車を回すことが出来る水量があったのですから、玉川上水から相当量の水が流れていたのでしょう。
写真:伝沖田総司逝去の地
渋谷川が外苑西通りを横切るあたり(渋谷川にせり出した大京町交番がある)にこの解説板が新たに設置されていました。渋谷川は外苑西通りの東側、国立競技場との間を南下してゆきます。
写真:新宿御苑正門
写真:外苑橋交差点
普段使われることはありませんが、新宿御苑の正門は外苑西通りに面したところにあります。また通りにはかつて渋谷川が流れていたことを感じさせる「橋」がつく交差点名が残されています。
写真:国立競技場建設現場
写真:旧霞ヶ丘住宅跡
国立競技場は現在基礎工事が行われており見通しの良い状況になっています。東京オリンピックの際に建設された霞ヶ丘住宅は2020東京オリンピックのために解体されています。まさにオリンピックに翻弄される感じです。
写真:原宿橋の親柱
写真:ノースキャットストリート
写真:表参道
このあたりから人が多くなります。ショッピングの人と我々では歩く速さが異なるので、歩きにくいことこの上ない。
写真:さんどうばし親柱
写真:サウスキャットストリート
写真:ピンク・ドラゴン
表参道を境に北をノース、南をサウスと呼ぶようになっていますが、私のイメージとしては南のみがキャットストリートと呼ばれていた。ような気がする。渋谷川が明治通りを横切るあたりにピンクドラゴンがあり、渋谷川はここから明治通りに沿って南下してゆきます。かつてはこの辺りまでは渋谷川ではなく、穏田川と呼ばれていたことがあるようで、葛飾北斎の富嶽三十六景の「穏田の水車」が有名です。渋谷川は下流で笄川と合流して古川となり江戸湾に流れていました。
写真:宮下公園のボルダリング施設
写真:宮下公園のスケートボード施設
私が中学生のころまで、宮下公園は普通に歩くことが出来る公園でした。その後ブルーシートハウスが増え、近寄ることが出来ないちょっと怖い公園となっていましたが、ナイキが指定管理となり公園を整備したので、かつての賑わいを取り戻しました。
写真:渋谷駅東口
こちらは整備の真っ最中。地下鉄がビルの三階に吸い込まれてゆくかつての渋谷の象徴的な光景も、あと数年で見られなくなります。最終的はヒカリエのような高層ビルがいくつも立ち並ぶ街になるようです。
写真:渋谷警察署
写真:ミキプルーン
吾郎ちゃんが拘留された渋谷警察署です。
写真:金王八幡神社
渋谷の鎮守で、かつてこの場所は渋谷城があり川に囲まれた自然の砦でした。
写真:氷川神社
写真:氷川の杜公園の土俵
さらに南下すると國學院大学近くに氷川神社があります。現在渋谷区の公園となっている氷川の杜公園はかつて神社の一角だったのでしょう。江戸時代こちらで行われていた相撲興業は賑わいを見せていたという話を聞いたことがあります。
写真:明治通り
写真:庚申橋の庚申塔
江戸時代渋谷川の川幅はもっと広かったと思われますが、橋も今のようにたくさんかけられていません。渋谷の大山街道の一つ下流の橋が並木橋。その次がこの位置にあった庚申橋です。目黒や世田谷あたりの百姓が毎日野菜を担いでここを通り、江戸に住む人々の胃袋を支えていたのでしょう。
写真:恵比寿東公園
写真:渋谷川
駒沢通りを渡り、恵比寿東公園でストレッチをして解散となりました。渋谷川を写したのはこの一枚だけです。
東京オリンピックのため急増した水洗トイレへの対応で下水路となってしまった渋谷川は渋谷駅まで暗渠となっています。渋谷から下流は東京都の清流復活事業により、落合水再生センターで処理された高度処理再生水が流されています。
渋谷から下流も川沿いに道がなく現在は橋から川を眺めるしかないのですが、渋谷駅の再開発の中には渋谷川の水辺を楽しむことが出来る親水公園も作られる予定です。渋谷川や目黒川に再び流れが戻ってきた清流復活事業は、我々目黒区民の生活を潤していると思います。
この日の反省会は恵比寿ガーデンプレイスのライオンでした。黒ラベル生ビール一杯ごとにスピードくじを引くことが出来、八名で28杯の生ビールを飲んで26杯分の飲み物券をゲットしました。また飲みに行かなければ!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
EXCELではよく経験したことですが、秀丸の異常終了は初体験。昨日はもう一度書き直す気力がなく、秀丸最新バージョンへのアップデートだけ行いました。今日は気分も新たに書き直しです。
このコースは恵比寿で行った忘年会用に恵比寿をゴールにする目的で作ったもので、初回は時間が足りずに渋谷から山手線に乗りました。二回目はゴールし、今回が久しぶりとなる三回目です。国立競技場が改修工事に入り封印していたのですが、工事の経過を見てゆくのもまた一興と考えを改めての企画です。
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑前と乗り継いで、新宿御苑大木戸門からスタートです。
写真:サンシュ
大木戸門の入場口の手前で場所をお借りしてウォーキング前のストレッチを行います。
写真:水道碑
写真:四谷大木戸の碑
写真:例の現場
新宿御苑大木戸門の由来は江戸時代四谷大木戸があったため。木戸が設けられたのは豊臣の残党が江戸に入ることを防ぐためというから、江戸初期に設けられたようです。それに加えてここには「水番所」という江戸幕府の出先機関がありました。羽村で取水され、開渠で玉川上水を流れてきた水は、ここから先地下を通り江戸へ向かっていました。その水位を管理するのが水番所で、水道局といったところでしょう。これらの碑は四谷地域センターにあるのですが、このセンターには東京都水道局新宿営業所が入居しており、江戸時代から400年続く水道局と言っていいでしょう。
写真:渋谷川の始まり
渋谷川にはいくつかの支流があり明治神宮の清正の井戸も源流の一つですが、ここは本流と言っていいと思います。かつては湧水を集めた小川であったと思われますが、玉川上水完成後は、この上水の余った水を流す吐水としての機能が加わり、源流から相当量の水が流れていたものと思われます。この場所は新宿御苑の北東角に当たり、渋谷川は御苑の東側を南へ向かって流れていました。
写真:多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)
新宿と言えばかつては内藤新宿と呼ばれ、信州高遠藩内藤家とのゆかりが深い土地。この神社にも内藤家の家紋である上り藤が描かれています。徳川家康は、内藤清成に馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、その結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられています。その伝説の駿馬も神社に祭られています。
写真:三菱鉛筆発祥の地
三菱鉛筆は明治二十年に「眞崎鉛筆製造所」としてこの地に創業しました。鉛筆を製造するための動力として渋谷川の流れを利用した水車が使われていました。かつての水番所からわずか200mの場所で水車を回すことが出来る水量があったのですから、玉川上水から相当量の水が流れていたのでしょう。
写真:伝沖田総司逝去の地
渋谷川が外苑西通りを横切るあたり(渋谷川にせり出した大京町交番がある)にこの解説板が新たに設置されていました。渋谷川は外苑西通りの東側、国立競技場との間を南下してゆきます。
写真:新宿御苑正門
写真:外苑橋交差点
普段使われることはありませんが、新宿御苑の正門は外苑西通りに面したところにあります。また通りにはかつて渋谷川が流れていたことを感じさせる「橋」がつく交差点名が残されています。
写真:国立競技場建設現場
写真:旧霞ヶ丘住宅跡
国立競技場は現在基礎工事が行われており見通しの良い状況になっています。東京オリンピックの際に建設された霞ヶ丘住宅は2020東京オリンピックのために解体されています。まさにオリンピックに翻弄される感じです。
写真:原宿橋の親柱
写真:ノースキャットストリート
写真:表参道
このあたりから人が多くなります。ショッピングの人と我々では歩く速さが異なるので、歩きにくいことこの上ない。
写真:さんどうばし親柱
写真:サウスキャットストリート
写真:ピンク・ドラゴン
表参道を境に北をノース、南をサウスと呼ぶようになっていますが、私のイメージとしては南のみがキャットストリートと呼ばれていた。ような気がする。渋谷川が明治通りを横切るあたりにピンクドラゴンがあり、渋谷川はここから明治通りに沿って南下してゆきます。かつてはこの辺りまでは渋谷川ではなく、穏田川と呼ばれていたことがあるようで、葛飾北斎の富嶽三十六景の「穏田の水車」が有名です。渋谷川は下流で笄川と合流して古川となり江戸湾に流れていました。
写真:宮下公園のボルダリング施設
写真:宮下公園のスケートボード施設
私が中学生のころまで、宮下公園は普通に歩くことが出来る公園でした。その後ブルーシートハウスが増え、近寄ることが出来ないちょっと怖い公園となっていましたが、ナイキが指定管理となり公園を整備したので、かつての賑わいを取り戻しました。
写真:渋谷駅東口
こちらは整備の真っ最中。地下鉄がビルの三階に吸い込まれてゆくかつての渋谷の象徴的な光景も、あと数年で見られなくなります。最終的はヒカリエのような高層ビルがいくつも立ち並ぶ街になるようです。
写真:渋谷警察署
写真:ミキプルーン
吾郎ちゃんが拘留された渋谷警察署です。
写真:金王八幡神社
渋谷の鎮守で、かつてこの場所は渋谷城があり川に囲まれた自然の砦でした。
写真:氷川神社
写真:氷川の杜公園の土俵
さらに南下すると國學院大学近くに氷川神社があります。現在渋谷区の公園となっている氷川の杜公園はかつて神社の一角だったのでしょう。江戸時代こちらで行われていた相撲興業は賑わいを見せていたという話を聞いたことがあります。
写真:明治通り
写真:庚申橋の庚申塔
江戸時代渋谷川の川幅はもっと広かったと思われますが、橋も今のようにたくさんかけられていません。渋谷の大山街道の一つ下流の橋が並木橋。その次がこの位置にあった庚申橋です。目黒や世田谷あたりの百姓が毎日野菜を担いでここを通り、江戸に住む人々の胃袋を支えていたのでしょう。
写真:恵比寿東公園
写真:渋谷川
駒沢通りを渡り、恵比寿東公園でストレッチをして解散となりました。渋谷川を写したのはこの一枚だけです。
東京オリンピックのため急増した水洗トイレへの対応で下水路となってしまった渋谷川は渋谷駅まで暗渠となっています。渋谷から下流は東京都の清流復活事業により、落合水再生センターで処理された高度処理再生水が流されています。
渋谷から下流も川沿いに道がなく現在は橋から川を眺めるしかないのですが、渋谷駅の再開発の中には渋谷川の水辺を楽しむことが出来る親水公園も作られる予定です。渋谷川や目黒川に再び流れが戻ってきた清流復活事業は、我々目黒区民の生活を潤していると思います。
この日の反省会は恵比寿ガーデンプレイスのライオンでした。黒ラベル生ビール一杯ごとにスピードくじを引くことが出来、八名で28杯の生ビールを飲んで26杯分の飲み物券をゲットしました。また飲みに行かなければ!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール