烏山川をさかのぼるシリーズは、前回水源の一つ高源院の「烏山の鴨池(弁天池)」に到着しましたが、今回は芦花公園あたりで合流している支流「水無川」を遡り、このシリーズの最終回になります。集合地点は前回同様京王線八幡山駅です。
写真:名もなき支流跡
改札前で集合なのですが、人数が多くなり通行の邪魔になりそうなので、先に近くの公園に移動してもらい、合流後ストレッチをしてウォーキング開始です。それなりの調べ方をすればこの地域での呼ばれ方がわかるのでしょうが、見つからないので「名もなき支流」です。八幡山駅付近で杉並区と世田谷区の区界が複雑に入り組んでいるのは、この支流が地域を分けていたということなのでしょう。
写真:都営八幡山アパート
写真:環八通り
ポケモントレーナーでしたっけ?以前はよく見たけれど最近では珍しくなりました。
写真:芦花公園
写真:八幡神社
写真:芦花公園
八幡山駅と芦花公園駅は京王線の隣の駅ですが、由来となった粕谷の八幡様は芦花公園と隣接しています。
写真:蘆花恒春園
徳富蘆花が暮らした茅葺の家が、都立公園として奇麗に保存されています。ガラスなども古いものに見えますが、きれいに磨き込まれています。
写真:世田谷自動車学校とガスタンク
教習所脇のこの道路が一番低くなっているので、この場所を水無川が流れていたものと思われますが、このあたりにはそれをうかがわせるようなものは見当たりません。
写真:水無川暗渠
このあたりではまだ「水無川」の表記はなく「水際の散歩道」と書いた看板があるだけです。ここからは暗渠が続き、とても分かりやすいルートとなっています。
写真:水無川の説明
現在は自転車道になっているこの川は、古来より水無川と呼ばれ、旧烏山村と旧給田村の境を概ね南東方向に流れ下り、旧粕谷村を経て旧船橋村に入ると、現在の千歳清掃工場付近で、高源院(北烏山四丁目)鴨池等を水源とする本来の烏山川(本流)に合流していました。
この区間は、河川法上の名称は烏山川ですが、もともと烏山川(本流)とは別の支川であり、今も地元では水無川と愛称されています。
昔、水無川沿いに帯状に広がっていた水田は、水無田圃とよばれ、江戸時代の延宝2年(1674年)や元禄10年(1697年)調整の武蔵国烏山村検地帳に北水無、南水無と記載され、現在も橋やバス停の名称に水無の文字を留めています。
名の由来は、旧烏山字出井向(現北烏山八丁目付近)や旧北野村(現三鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたので、雨期以外は流れが細り、いつしか「水(の)無(い)川」と呼ばれるようになったようです。
後に延享2年(1745年)に、玉川上水(1654年開削)に牟礼分水が開削され、牟礼や北野の水田を灌漑した後、水無川に流れ落ちるようになりましたが、分水は稲作期のみの通水で安定した水源ではありませんでした。
時は下り、昭和39年河川法改正の際、水無川は「2級河川烏山川」(世田谷区北烏山~池尻)の一部として公示されました。この時より、河川行政上は水無川の名が消えて烏山川と公称される一方、合流点以北の本来の烏山川(本流)は、無名の普通河川になるという捻れが生じることとなりました。
昭和50年代以降、下水道整備が急速に進歩する中で、水無川の姿は暗渠へと大きく変貌し、かつて水無川という名の川であったことを知らない人も増えてきました。
平成19年5月、1900余筆の署名を添えた水無川の名の復活を求める要望書が、烏山を愛する郷土史研究者有志の方々から東京都及び世田谷区に提出されました。
これを受け、広く水無川の名とその歴史を後世に伝えるため、この看板を設置することにしたものです。
平成22年3月
烏山給田文化財保存会
世田谷区土木事業担当部
写真:暗渠が京王線にぶつかり途切れる
このあたりの京王線は高架化が予定されているようで、その際には暗渠がつながることと、この先自転車置き場になっている暗渠が遊歩道として復活することを期待します。
写真:首なし地蔵
水無川と旧甲州街道が交差する地点なので、このように石仏があるのでしょう。首のないお地蔵さんはかわいそうですね。
写真:甲州街道横断
甲州街道を横断すると畑が目立ってきます。
写真:ヒイラギナンテン
写真:中央自動車道
中央自動車道の下も何か工事をしていますが、水無川暗渠をつなげてほしいものです。このあたりが世田谷区と三鷹市の境になります。
写真:ミツマタ
意図したところでピントを合わすことが出来なかったのですが、ミツマタの季節になったのだなぁということで載せておきます。
写真:中川遊歩道
世田谷区では水無川だったのですが、三鷹市では中川に名前が変わりました。車止めや、街灯のデザインも変わりました。世田谷区の公園づくりもセンスを感じますが、三鷹市の遊歩道もおしゃれですね。
写真:畑
この畑の先で東八道路の“三鷹台団地南口”交差点でこの遊歩道が終わっている感じで、すこやか歩こう会の活動も、ここから最寄りの久我山駅に向かうルートで設定しました。地図で見ると三鷹台団地の中に暗渠らしきものがあるので、機会があれば確認に行ってみようと思います。
写真:東八道路未開通部分
中央高速の下を通る道路から富士見ヶ丘あたりで分岐して玉川上水沿いを通り、人見街道をかすめて中本宿通りあたりで開通している東八道路と接続するようです。週末のこのあたりの渋滞は嫌だったけど、車にあまり乗らなくなった今となっては玉川上水に残された自然の方が貴重に感じます。
写真:神田川
久我山駅近くの宮下公園をお借りして〆のストレッチをして、解散となりました。思ったほど寒くなくて、青空の元、気持ちの良いウォーキングでした。
その後渋谷へ移動し、有志九名でマークシティーのライオンへ。井の頭線ホームからアベニュー口(マークシティーのライオンの隣にある改札)への登り階段を「天国への階段」と称し、あの曲を口ずさみながら登りました。その後天国、ではなくライオンでのどを潤し、やっぱりそこは天国でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:名もなき支流跡
改札前で集合なのですが、人数が多くなり通行の邪魔になりそうなので、先に近くの公園に移動してもらい、合流後ストレッチをしてウォーキング開始です。それなりの調べ方をすればこの地域での呼ばれ方がわかるのでしょうが、見つからないので「名もなき支流」です。八幡山駅付近で杉並区と世田谷区の区界が複雑に入り組んでいるのは、この支流が地域を分けていたということなのでしょう。
写真:都営八幡山アパート
写真:環八通り
ポケモントレーナーでしたっけ?以前はよく見たけれど最近では珍しくなりました。
写真:芦花公園
写真:八幡神社
写真:芦花公園
八幡山駅と芦花公園駅は京王線の隣の駅ですが、由来となった粕谷の八幡様は芦花公園と隣接しています。
写真:蘆花恒春園
徳富蘆花が暮らした茅葺の家が、都立公園として奇麗に保存されています。ガラスなども古いものに見えますが、きれいに磨き込まれています。
写真:世田谷自動車学校とガスタンク
教習所脇のこの道路が一番低くなっているので、この場所を水無川が流れていたものと思われますが、このあたりにはそれをうかがわせるようなものは見当たりません。
写真:水無川暗渠
このあたりではまだ「水無川」の表記はなく「水際の散歩道」と書いた看板があるだけです。ここからは暗渠が続き、とても分かりやすいルートとなっています。
写真:水無川の説明
現在は自転車道になっているこの川は、古来より水無川と呼ばれ、旧烏山村と旧給田村の境を概ね南東方向に流れ下り、旧粕谷村を経て旧船橋村に入ると、現在の千歳清掃工場付近で、高源院(北烏山四丁目)鴨池等を水源とする本来の烏山川(本流)に合流していました。
この区間は、河川法上の名称は烏山川ですが、もともと烏山川(本流)とは別の支川であり、今も地元では水無川と愛称されています。
昔、水無川沿いに帯状に広がっていた水田は、水無田圃とよばれ、江戸時代の延宝2年(1674年)や元禄10年(1697年)調整の武蔵国烏山村検地帳に北水無、南水無と記載され、現在も橋やバス停の名称に水無の文字を留めています。
名の由来は、旧烏山字出井向(現北烏山八丁目付近)や旧北野村(現三鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたので、雨期以外は流れが細り、いつしか「水(の)無(い)川」と呼ばれるようになったようです。
後に延享2年(1745年)に、玉川上水(1654年開削)に牟礼分水が開削され、牟礼や北野の水田を灌漑した後、水無川に流れ落ちるようになりましたが、分水は稲作期のみの通水で安定した水源ではありませんでした。
時は下り、昭和39年河川法改正の際、水無川は「2級河川烏山川」(世田谷区北烏山~池尻)の一部として公示されました。この時より、河川行政上は水無川の名が消えて烏山川と公称される一方、合流点以北の本来の烏山川(本流)は、無名の普通河川になるという捻れが生じることとなりました。
昭和50年代以降、下水道整備が急速に進歩する中で、水無川の姿は暗渠へと大きく変貌し、かつて水無川という名の川であったことを知らない人も増えてきました。
平成19年5月、1900余筆の署名を添えた水無川の名の復活を求める要望書が、烏山を愛する郷土史研究者有志の方々から東京都及び世田谷区に提出されました。
これを受け、広く水無川の名とその歴史を後世に伝えるため、この看板を設置することにしたものです。
平成22年3月
烏山給田文化財保存会
世田谷区土木事業担当部
写真:暗渠が京王線にぶつかり途切れる
このあたりの京王線は高架化が予定されているようで、その際には暗渠がつながることと、この先自転車置き場になっている暗渠が遊歩道として復活することを期待します。
写真:首なし地蔵
水無川と旧甲州街道が交差する地点なので、このように石仏があるのでしょう。首のないお地蔵さんはかわいそうですね。
写真:甲州街道横断
甲州街道を横断すると畑が目立ってきます。
写真:ヒイラギナンテン
写真:中央自動車道
中央自動車道の下も何か工事をしていますが、水無川暗渠をつなげてほしいものです。このあたりが世田谷区と三鷹市の境になります。
写真:ミツマタ
意図したところでピントを合わすことが出来なかったのですが、ミツマタの季節になったのだなぁということで載せておきます。
写真:中川遊歩道
世田谷区では水無川だったのですが、三鷹市では中川に名前が変わりました。車止めや、街灯のデザインも変わりました。世田谷区の公園づくりもセンスを感じますが、三鷹市の遊歩道もおしゃれですね。
写真:畑
この畑の先で東八道路の“三鷹台団地南口”交差点でこの遊歩道が終わっている感じで、すこやか歩こう会の活動も、ここから最寄りの久我山駅に向かうルートで設定しました。地図で見ると三鷹台団地の中に暗渠らしきものがあるので、機会があれば確認に行ってみようと思います。
写真:東八道路未開通部分
中央高速の下を通る道路から富士見ヶ丘あたりで分岐して玉川上水沿いを通り、人見街道をかすめて中本宿通りあたりで開通している東八道路と接続するようです。週末のこのあたりの渋滞は嫌だったけど、車にあまり乗らなくなった今となっては玉川上水に残された自然の方が貴重に感じます。
写真:神田川
久我山駅近くの宮下公園をお借りして〆のストレッチをして、解散となりました。思ったほど寒くなくて、青空の元、気持ちの良いウォーキングでした。
その後渋谷へ移動し、有志九名でマークシティーのライオンへ。井の頭線ホームからアベニュー口(マークシティーのライオンの隣にある改札)への登り階段を「天国への階段」と称し、あの曲を口ずさみながら登りました。その後天国、ではなくライオンでのどを潤し、やっぱりそこは天国でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール