![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/16/296d5eba117c60367193b0a02226dfb1.jpg)
このコースは「めぐろウォーキングマップ 目黒と富士の絆を歩く8.4km」のベースとなるコースです。めぐろウォーキングマップはネットに掲載されると聞いていたのですが、まだ掲載されていないようです。先日目黒区役所を訪れた際には、西口エントランスに山積みになっていました。緊急事態宣言が解除されれば各住区センターや体育館での入手可能となるはずです。裏面を見ると
めぐろウォーキングマップ
令和2年2月発行
発行 目黒区
編集 目黒区 健康推進部 健康推進課
文化・スポーツ部 スポーツ振興課
東京都目黒区上目黒二丁目19番15号
電話 03(3715)1111
協力 目黒ウォーキング協会
制作 (株)中央ジオマチックス
となっており、今年二月に発行されました。これまで目黒ウォーキング協会が協力して作成されたウォーキングマップは
めぐろ健康ウォーキングマップ
平成19年3月発行
発行 目黒区教育委員会
坂道ウォーキングのすすめ
平成22年3月発行
発行 目黒区
編集 目黒区健康推進部健康推進課
価格 200円
があります。この他に私の手元にあるのは、
さわやかWalkingイラストマップ
平成8年3月発行
発行 東京都健康推進財団
定価 114円
めぐろWALK
平成26年6月発行
発行 めぐろ観光まちづくり協会
があります。「めぐろWALK」は中目黒GT地下一階めぐろ観光まちづくり協会で入手可能だと思います。
めぐろウォーキングマップは東京都の事業でもあり、「トーキョーウォーキングマップ」に掲載されると聞いています。これまでのマップでは目黒区内で完結することが求められましたが、「近隣の区を訪れても良い」ということで「目黒と富士の絆を歩く8.4km」の提案が可能となりました。私が提案したコースからいくつか変更されています。変更提案があるたびに「わかってねぇなぁ」と思っていたのでその部分も含めて紹介してゆきます。
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東山一丁目のフジ
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東山二丁目のハナミズキ
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大橋のフジ
このウォーキングは土曜日に計画されていたのですが、記録的な大雨で代わりに日曜日に歩いているものです。現在すこやか歩こう会の活動は完全自由参加なので、いつ歩いてもいいのです。翌日月曜日も雨だったので、日曜日のこの晴天は貴重でした。東山一丁目の南半分は字小川で北半分は字東山です。二丁目三丁目は字東山になります。字東山は明治初期から帝国陸軍駒沢練兵場だったため、戦後は公務員住宅やその他国の施設が多くなり、字小川だった地域や隣接する字宿山とは雰囲気が異なります。練兵場だった地域は、以前無機質な四階建て団地が並んでいましたが、高層に集約され跡地が公園になって広々としたいい環境になりました。それに対し字小川や字宿山だった地域は小さな家が多く公園はほとんどありません。鎌倉街道の宿場として古くから商業に関係した人たちが密集していたものと思います。
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仰光寮
まだウォーキングスタート地点へ向かっている途中です。「仰光寮」という建物があると聞き、普段は通らない道を歩いてみました。都立駒場高校の敷地内にあり、この高校が元は女学校だったということを思い出しました。調べてみると元は東京府立第三高等女学校で、六本木ヒルズ近くにあった学校が戦後移転してきました。Wikipediaから仰光寮の項を引用します。
仰光寮(お花御殿)
敷地内には「仰光寮」と呼ばれる木造二階建ての建築物が残されている。これはもともと香淳皇后が当時の皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定した際、お妃教育の場として建てられた「お花御殿」である。彼女が入内した後、当時の東京市麻布区日ヶ窪に校舎があった東京府立第三高等女学校(現在の駒場高等学校)に下賜された。第二次世界大戦後に校舎を現在地に移転した際に仰光寮を移築し、現在に至っている。
現在は老朽化が進み立ち入り禁止の措置がとられているが、学園祭の際には例外的に寮中を見学することができる。
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目黒一中の井戸
校庭の隅に井戸がありました。手押しポンプがあるので現在でも枯れていないのでしょう。目黒区の標高の高い場所にありますがどれくらいの深さに地下水があるのか気になるところです。
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東大教養学部正門
緊急事態宣言中なので珍しく門が閉まっています。「関係者以外立ち入り禁止」となっていますが、普段近所の人は守衛さんに挨拶をして普通に入ってゆきますし、我々も構内を歩かせてもらっています。いまは裏門がすべて閉じられていて通り抜けができないので、場所によっては20分以上回り道をしなければなりません。マップ作製のさい構内を通るルートも提案したのですが、却下されました。まあ常識的に考えればそうだろうな。
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東大前商店街
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三田用水跡の宅地
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三田用水の点検口
三田用水の前身三田上水が1664年に開削され1724年に三田用水になり1974年に廃止されました。用水自体は1.8メートルの幅があったそうで、この奇妙な宅地は用水だった土地を宅地化したためこんな奥行きがない土地になりました。2009年5月にタモリ倶楽部で三田用水遺構を歩く企画があり、ゲストに漫画家の江川達也さんが出演していました。このとき青葉台四丁目のクリーニング店の女性が「昔は蓋を開けて水遊びした」と話をしていました。タモリ電車クラブ(2006年設立)同様に「タモ江地形クラブ」が2009年5月に設立されています。Wikipediaから引用しましょう。
タモ江地形クラブ(TAMOE GEOMORPHOLOGY CLUB)
地理企画も数多く行ってきたため、三田用水の跡をめぐる回(2009年5月16日放送分(関東地区))において「都内歩いているだけ企画」と江川持ち込み企画がシリーズ化。江川が「タモ江地形クラブ」(TAMOE GEOMORPHOLOGY CLUB)を発足させた。この企画でゲスト出演していた石田靖とビビる大木は、タモリから「1日だけじゃ三田用水の跡について分かってない」と会員札は貰えなかった。
「凹んで楽しい 東京スリバチ学会による最新研究成果発表会」(2010年2月13日放送分(関東地区))ではマギーが裏ルートで会員札を取得し進行役を務めたが、その回の最後でタモリに没収された。
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駒場公園東門
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前田侯爵邸和館
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新設されたトイレ
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前田侯爵邸洋館
前田侯爵邸は和館、洋館ともに国指定の重要文化財となっています。
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駒場通りのハナミズキ
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大橋通り
第三機動隊のあいだを通る道を大橋通りというそうです。コースは財務省の職員住宅であるこの入口から入り大橋へ抜けるルートを提案しました。先週ご紹介した天覧台はこの敷地内にあり、ここがかつてどんな場所だったかを知るための重要な史跡だからです。しかし公務員住宅なのでという理由で却下され、大橋通りを通るルートに変更されました。
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オーパスブリッジ
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天空庭園
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富士山が見える気がする
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おおはし里の杜
目黒と富士の絆を歩く8.4kmでは提案に含めなかった上目黒氷川神社が含まれました。富士登山道があり毎年山開きも行われているのでよい選択だと思います。オーパスブリッジは玉川通りを横断する歩道橋でエレベーターがついているので便利です。天空庭園は首都高速大橋ジャンクションの上に作られた区営公園です。公園の高い部分はクロスエアタワーの9階と接続し、低い部分はプリズムタワーの5階と接続しておりエレベーターに乗らないとたどり着かない不思議な公園です。おおはし里の杜では里山が再現され田植えなどが行われますが、通常こちらに入ることはできません。
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錦鯉のかのう
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菅刈公園
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西郷山公園
マップのコースは目黒川沿いを歩き、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOがある南部橋のところで左折しますが、一本北の道を歩きました。菅刈公園西口から入り、畑の脇の坂道を登り北口から出て、さらに坂を登ると西郷山公園に到着します。このあたりには米国が占領した小笠原から引き揚げてきた人たちの住宅があったと聞きますがそれがわかるものを目にすることはありません。
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エジプト大使館
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カフェASO
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デンマーク大使館
旧山手通り沿いには多くの大使館があります。カフェは臨時休業中、向かいのTサイトも休業中です。
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猿楽塚
猿楽塚(さるがくづか)
猿楽町29番 ヒルサイドテラス内
区指定史跡 昭和51年3月26日指定
ここにあるこんもりした築山は、六~七世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
ここにはその円墳が二基あって、その二つのうち高さ五メートルほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉道が通っていて目黒川に下っていました。
渋谷区のように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。
渋谷区教育委員会
私が始めに聞いたのは源氏にまつわる話でした。抜粋するとかえってわかりにくいので、白根記念渋谷区郷土博物館・文化館で行われた特別展「渋谷に残された伝説」の展示趣旨をそのまま引用します。
渋谷は現代の日本を代表する都市であるが、そうした中にも数多くの伝説が息づいている。本展示では、渋谷の伝説について、その内容ごとに分けて紹介する。
中世の渋谷には、鎌倉街道や「渋谷城」と呼ばれる城館があったこともあり、中世の武将などに関わる伝説が多く残されている。源義家が旗を洗ったという伝説をもち、幡ヶ谷の地名の由来ともなった「旗洗池」、源頼朝が申楽の道具を埋めたという猿楽町の「猿楽塚」など、源氏の武将に関わる伝説、そして源義朝の家臣で「渋谷金王丸」と呼ばれる謎の人物に関わるものがとくに多い。また、常盤御前が植えたという「常盤松」や「渋谷長者」の伝説も残る。
江戸時代に入ると、渋谷は東側からしだいに武家屋敷が広がっていく。そのため、加藤清正が掘ったといわれる「清正の井」などの伝説が生まれるが、その一方で、江戸の郊外でもあるため、大和田道玄という山賊が住んでいたとされる「道玄坂」などの伝説もみられる。近代に入っても、道玄坂の「人喰い松」という伝説が新たに生じるなど、都市ならではの伝説もみられる。
伝説は必ずしも事実を反映したものではないが、こうした渋谷の伝説を絵画資料などを通して紹介することにより、そこから読み取れる渋谷の地域性や、意外な魅力を多くの方に知っていただければと思う。
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ヒルサイドテラス
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新旧豪邸
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地蔵・道しるべ
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目黒元富士跡
新旧豪邸は手前から旧朝倉家住宅、レンガ色のマンションがキングホームズ、その後ろにちらっと見えているのがアトラスタワーです。目黒元富士には丸且(まるたん)という富士講が持ち帰った溶岩で築山を築き富士山を見ながらミニ富士に登る場所でした。淀橋台の台地は目黒台より高いので、この辺りではどこからでも富士山が見えました。明治維新後この地に岩倉具視の別荘が建てられ、築山は壊されて上目黒氷川神社に納められそこに浅間神社が建立されました。浅間神社には丸且の石碑が残っています。
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槍ヶ崎交差点
この場所は切通しです。代官山という山はなく淀橋台と目黒台の境界なのですが、渋谷川と目黒川が渓谷を形成し山脈のように高台が残ります。その高台が槍の穂先のように薄くなっていた場所が槍ヶ崎と呼ばれ、玉電中目黒支線を通すため薄くなっている部分にトンネルを掘りました。道路拡張に伴いトンネルは切通しになり、トンネルの上を流れていた三田用水は掛樋になりました。玉電中目黒支線は都電に譲渡されますが、子供の頃都電中目黒駅と、三田用水の掛樋があったことはしっかりと覚えています。
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目黒新富士跡
新富士の跡は別所坂公園内にあります。元富士が作られたのが1812年で新富士が作られたのは1819年と7年しか違いません。元富士が人気の観光地になったのでそれにあやかって新富士を築いたのでしょう。歌川広重の目黒新富士には富士山、築山、三田用水が描かれています。
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別所坂公園の長い階段
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新道橋下の壁画
槍ヶ崎から別所橋のルートは急坂なので、皀橋へ下る玉電中目黒支線のためのゆるやかな坂は新道坂と呼ばれ、交差する道を越えるための陸橋が架けられています。中目黒駅から目黒学院へ通う中高生が多く通るこの道には、目黒学院の代名詞ともいえるラグビーが描かれています。ウォーキングは別所坂公園でストレッチをして終了し、緊急事態宣言中なのでおとなしく帰宅の途につきました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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