10月最後の週末は五週目なので活動はお休み。11月最初の週末は3日(木・文化の日)にイベントがあったのでお休み。二週続けて週末にウォーキングがないのは変な感じでした。
この日のコースは今年度雨で二回流れていました。三度目の正直となったこの日も秋らしからぬ南風が吹き荒れる天気でしたが、どうにか実施にこぎつけました。
復活したセブンイレブン
目黒祐天寺駅前店はビルの建て替えで一時無くなっていましたが建て替えが終わり復活しました。
ナンカ堂
会では「祐天寺ブティックナンカ堂」と呼ばれています。
C57 117号主動輪
「貴婦人」と呼ばれたC57ですが117号は宮崎植樹祭でお召列車となった由緒正しい蒸気機関車でした。幼稚園の角に展示されていますがオーナーはカレーステーション ナイアガラです。
祐天寺境内
地蔵菩薩像
こちらの境内をお借りしてストレッチをします。東横線の駅名にもなっている祐天寺は増上寺住職を務めた祐天上人の遺命により、祐海上人が建立しました。財政難の幕府が新しい寺社の建立を禁止する中、8代将軍吉宗公のお取り計らいにより開山した徳川家とのゆかりの深いお寺です。
中町せせらぎ緑地公園の紅葉
油面地蔵通り商店街の街灯
この街燈、菜の花をモチーフにしていると思うのですが軽く調べただけではわかりません。
目黒区立油面小学校
油面地蔵通り商店街
目黒通り油面交差点
油面の地名については目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 油面(あぶらめん)
更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 油面
「油面(あぶらめん)」は、衾(ふすま)・碑文谷(ひもんや)などとともに、初めての人にはまず読めそうにない地名の一つ。もとは、現在の中町一丁目に、同二丁目、中央町二丁目の一部を加えた一帯の旧字名だが、その名は、油面(あぶらめん)小学校、油面(あぶらめん)公園をはじめ、商店街通りや交差点、バス停などに今も残り、「住区」の名称ともなっており、その長い歴史に新たな一ページを加えている。
さて、「油面(あぶらめん)」の地名は、多くの地名の例に漏れず、土地の産物にちなむもの。江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面(あぶらめん)」となったと伝えられる。
ただし、「面」については、韓国などで、村長のことを面長といっているように、「村」の意味とする説もあり、この説によれば、「油面」は、単に「油のとれる村」の意味となる。
なお、菜種の栽培は昭和の初めごろまで行われ、開校当時(大正14年)の油面小学校は、菜の花畑と竹やぶ、雑木林に囲まれた、畑の中の学校だったという。路線バスが商店街や住宅地を縫うように走る今日の町並みからは、想像もできない風景である。
目黒消防署の半鐘
消火訓練
目黒通りを横断してさらに南下します。
羅漢寺川緑道
林試の森公園つばき門
落ち葉の林試の森公園
林試の森公園
ところどころ紅葉
祐天寺からずっと南下し林試の森公園で折り返しです。
目黒不動商店街の街燈
こちらのモチーフもわかりませんでしたが、ハスかな?
目黒不動の黄葉
十月桜
烏枢沙摩明王
トイレの神様です。美しい女神さまと聞いていたのですがこちらの神様は「烈火で不浄を清浄と化す」そうで、怖いです。
目黒新橋からソメイヨシノの紅葉
ふれあい橋の壁画
川を流れるソメイヨシノの紅葉
目黒清掃工場
山手通りを横断して太鼓橋から目黒川沿いをさかのぼってきます。太鼓橋あたりで少し降られました。
目黒川船入場のクロガネモチ
ここまで来ると雨もやんで北西方向は明るく。ウォーキング後のストレッチをして解散。
北京ダックを食べたいという声があり数人で恵比寿の中華エイトへ。久しぶりで堪能しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
この日のコースは今年度雨で二回流れていました。三度目の正直となったこの日も秋らしからぬ南風が吹き荒れる天気でしたが、どうにか実施にこぎつけました。
復活したセブンイレブン
目黒祐天寺駅前店はビルの建て替えで一時無くなっていましたが建て替えが終わり復活しました。
ナンカ堂
会では「祐天寺ブティックナンカ堂」と呼ばれています。
C57 117号主動輪
「貴婦人」と呼ばれたC57ですが117号は宮崎植樹祭でお召列車となった由緒正しい蒸気機関車でした。幼稚園の角に展示されていますがオーナーはカレーステーション ナイアガラです。
祐天寺境内
地蔵菩薩像
こちらの境内をお借りしてストレッチをします。東横線の駅名にもなっている祐天寺は増上寺住職を務めた祐天上人の遺命により、祐海上人が建立しました。財政難の幕府が新しい寺社の建立を禁止する中、8代将軍吉宗公のお取り計らいにより開山した徳川家とのゆかりの深いお寺です。
中町せせらぎ緑地公園の紅葉
油面地蔵通り商店街の街灯
この街燈、菜の花をモチーフにしていると思うのですが軽く調べただけではわかりません。
目黒区立油面小学校
油面地蔵通り商店街
目黒通り油面交差点
油面の地名については目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 油面(あぶらめん)
更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 油面
「油面(あぶらめん)」は、衾(ふすま)・碑文谷(ひもんや)などとともに、初めての人にはまず読めそうにない地名の一つ。もとは、現在の中町一丁目に、同二丁目、中央町二丁目の一部を加えた一帯の旧字名だが、その名は、油面(あぶらめん)小学校、油面(あぶらめん)公園をはじめ、商店街通りや交差点、バス停などに今も残り、「住区」の名称ともなっており、その長い歴史に新たな一ページを加えている。
さて、「油面(あぶらめん)」の地名は、多くの地名の例に漏れず、土地の産物にちなむもの。江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面(あぶらめん)」となったと伝えられる。
ただし、「面」については、韓国などで、村長のことを面長といっているように、「村」の意味とする説もあり、この説によれば、「油面」は、単に「油のとれる村」の意味となる。
なお、菜種の栽培は昭和の初めごろまで行われ、開校当時(大正14年)の油面小学校は、菜の花畑と竹やぶ、雑木林に囲まれた、畑の中の学校だったという。路線バスが商店街や住宅地を縫うように走る今日の町並みからは、想像もできない風景である。
目黒消防署の半鐘
消火訓練
目黒通りを横断してさらに南下します。
羅漢寺川緑道
林試の森公園つばき門
落ち葉の林試の森公園
林試の森公園
ところどころ紅葉
祐天寺からずっと南下し林試の森公園で折り返しです。
目黒不動商店街の街燈
こちらのモチーフもわかりませんでしたが、ハスかな?
目黒不動の黄葉
十月桜
烏枢沙摩明王
トイレの神様です。美しい女神さまと聞いていたのですがこちらの神様は「烈火で不浄を清浄と化す」そうで、怖いです。
目黒新橋からソメイヨシノの紅葉
ふれあい橋の壁画
川を流れるソメイヨシノの紅葉
目黒清掃工場
山手通りを横断して太鼓橋から目黒川沿いをさかのぼってきます。太鼓橋あたりで少し降られました。
目黒川船入場のクロガネモチ
ここまで来ると雨もやんで北西方向は明るく。ウォーキング後のストレッチをして解散。
北京ダックを食べたいという声があり数人で恵比寿の中華エイトへ。久しぶりで堪能しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール