今回のコースは台東区が発行している「台東区ウォーキングマップ」の「Hコース 浅草寿地区健康推進委員おすすめコース(PDF:3,272KB)」をベースにスタートを上野駅、ゴールを南千住駅に改変したもので、吉原や山谷といった聞いたことはあるけど行ったことはないような街を訪れます。2008年に始めて歩き、今回大河ドラマ「べらぼう」にあやかって復活させてみました。

台東区役所

上野消防署

広徳公園
廣徳禅寺の遺跡
この地は、昭和46年まで廣徳寺があった場所で、この石碑は、練馬別院に移転の際に、廣德三十世雪底和尚によって詠まれた七言絶句を記したものです。また、石碑の裏側には、廣徳寺が移転した理由が記されています。
なお、この解釈にあたっては、廣徳寺海雲和尚のご協力を賜わったものです。
【七言絶句】
高掲法幢三百戴 タカク ホウトウヲカカケテ サンヒャクネン
(禅宗を掲げて下谷の地に移って、300年か経った)
已憂斯地累兒孫 スデニ コノチヲウルエテ シソンニツナグ
(時代の移り変わりや環境の変化もあったが今日まてきた)
無邊廣大先人徳 ムヘンコウダイナル センジンノトク
(未来永劫受け継がれるためにも、代々、世のため人のためにおこなってきた)
桃勒碑陰去故園 ワズカニ ヒインヲオサメテ コエンヲサル
(碑陰(石碑の裏面)を記して この地を去ります)
【石碑裏面】
廣徳寺は、希叟宗罕禅師が明叟和尚を小田原に招き、創建したとされ、その年代は、元亀天正の頃と推定される。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉により小田原域が落城し、その際、廣徳寺も焼失した。
その後、徳川家康が江戸の神田(昌平橋付近)に再興。そして寛永12年(1635年)に下谷に移っておおよそ300年が経った。当時は、江戸屈指の禅林と仰がれた。
昭和45年9月、台東区より敷地を新庁舎建設用地として観望され、時代の情勢を鑑み、これを受託し、練馬の別院へ移すことにした。
この地を去るにあたり、先人達の深い思に感謝し、石碑を建て移転の経緯を記し、 後世に残すものである。
台東区役所隣の公園をお借りしてストレッチをしました。廣徳禅寺は「びっくり下谷の広徳寺」といわれるほど広大なお寺だったようです。

浅草仏壇通り

ニイミ洋食器店

かっぱ橋道具街通り
仏壇通りを東へ向かい菊屋橋で左折して道具街通りを北へ向かいます。

生涯学習センター

国際通り



鷲神社
翌日の大河ドラマべらぼうの最後で、鈴木奈穂子アナウンサーが鷲神社を紹介していたのでタイムリーなウォーキングとなりました。

新吉原花園池(弁天池)跡

花園公園のトイレ


吉原神社



吉原の町並み

吉原大門跡
大河ドラマ人気でこれまでにない賑わいを見せていました。さすがに外国人は少なく日本人ばかりのように見えます。

矢吹ジョー


いろは会商店街
2008年に歩いたときはアーケードのある寂れた商店街でしたがアーケードは撤去されたようです。現在はかつての商店街でにぎわっていたような店が数件あるだけで、もはや商店街とは言えない感じです。

山谷労働者福祉会館
アニメあしたのジョーで描かれ子供心に怖い場所というか、別の世界と感じていた泪橋は現在、交差点とバス停にその名を残すのみで川も橋もありません。泪橋の名は小塚原刑場が近くにあったことに由来しているようです。

玉姫稲荷神社
神社についてはWikipediaから引用してみましょう。
760年(天平宝字4年)に創建された。武蔵国豊島郡王子村(現・東京都北区)の王子稲荷神社とも関係があるという。また新田義貞が北条高時を追討すべく、鎌倉に進撃(鎌倉の戦い)する際に、当社で戦勝祈願したという故事もあり、かなり歴史ある神社であると推測される。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で全焼してしまった。戦後まもなくは台東区立田中小学校(現在は閉校)の奉安殿を譲り受けて祭祀を行い、1953年(昭和28年)に各社殿が再建された。
当社の氏子には、地場産業である製靴業者も名を連ねており、毎年11月に「靴のめぐみ祭り市」と題して、靴の大安売り市が開かれている。

カンヒザクラ



石浜神社
神社についてWikipediaから引用してみます。
724年(神亀元年)に創建された。
奥州征討の折、源頼朝が戦勝を祈願し、また元寇の際に朝廷は鎌倉幕府7代将軍・惟康親王を勅使として戦勝を祈願させた。いずれの戦役にも勝利したことから、中世以降、関東武士をはじめ、多くの人々の崇敬を集めることになった。
なおこの地域には中世の鎌倉・南北朝時代から安土桃山時代頃にかけて石浜城が存在し、当社付近が城跡候補地の1つとされており、東京都の遺跡地図上では当社北側が埋蔵文化財包蔵地となっている。
当社には、神社には珍しく神道式霊園「石浜霊園」を経営しており、神道に基づく葬儀を挙行することができる。

カワヅザクラ
南千住駅に到達してウォーキングは終了。ストレッチをするスペースがなく解散しました。ちゃんと下調べしておかなければいけませんね。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。

台東区役所

上野消防署

広徳公園
廣徳禅寺の遺跡
この地は、昭和46年まで廣徳寺があった場所で、この石碑は、練馬別院に移転の際に、廣德三十世雪底和尚によって詠まれた七言絶句を記したものです。また、石碑の裏側には、廣徳寺が移転した理由が記されています。
なお、この解釈にあたっては、廣徳寺海雲和尚のご協力を賜わったものです。
【七言絶句】
高掲法幢三百戴 タカク ホウトウヲカカケテ サンヒャクネン
(禅宗を掲げて下谷の地に移って、300年か経った)
已憂斯地累兒孫 スデニ コノチヲウルエテ シソンニツナグ
(時代の移り変わりや環境の変化もあったが今日まてきた)
無邊廣大先人徳 ムヘンコウダイナル センジンノトク
(未来永劫受け継がれるためにも、代々、世のため人のためにおこなってきた)
桃勒碑陰去故園 ワズカニ ヒインヲオサメテ コエンヲサル
(碑陰(石碑の裏面)を記して この地を去ります)
【石碑裏面】
廣徳寺は、希叟宗罕禅師が明叟和尚を小田原に招き、創建したとされ、その年代は、元亀天正の頃と推定される。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉により小田原域が落城し、その際、廣徳寺も焼失した。
その後、徳川家康が江戸の神田(昌平橋付近)に再興。そして寛永12年(1635年)に下谷に移っておおよそ300年が経った。当時は、江戸屈指の禅林と仰がれた。
昭和45年9月、台東区より敷地を新庁舎建設用地として観望され、時代の情勢を鑑み、これを受託し、練馬の別院へ移すことにした。
この地を去るにあたり、先人達の深い思に感謝し、石碑を建て移転の経緯を記し、 後世に残すものである。
台東区役所隣の公園をお借りしてストレッチをしました。廣徳禅寺は「びっくり下谷の広徳寺」といわれるほど広大なお寺だったようです。

浅草仏壇通り

ニイミ洋食器店

かっぱ橋道具街通り
仏壇通りを東へ向かい菊屋橋で左折して道具街通りを北へ向かいます。

生涯学習センター

国際通り



鷲神社
翌日の大河ドラマべらぼうの最後で、鈴木奈穂子アナウンサーが鷲神社を紹介していたのでタイムリーなウォーキングとなりました。

新吉原花園池(弁天池)跡

花園公園のトイレ


吉原神社



吉原の町並み

吉原大門跡
大河ドラマ人気でこれまでにない賑わいを見せていました。さすがに外国人は少なく日本人ばかりのように見えます。

矢吹ジョー


いろは会商店街
2008年に歩いたときはアーケードのある寂れた商店街でしたがアーケードは撤去されたようです。現在はかつての商店街でにぎわっていたような店が数件あるだけで、もはや商店街とは言えない感じです。

山谷労働者福祉会館
アニメあしたのジョーで描かれ子供心に怖い場所というか、別の世界と感じていた泪橋は現在、交差点とバス停にその名を残すのみで川も橋もありません。泪橋の名は小塚原刑場が近くにあったことに由来しているようです。

玉姫稲荷神社
神社についてはWikipediaから引用してみましょう。
760年(天平宝字4年)に創建された。武蔵国豊島郡王子村(現・東京都北区)の王子稲荷神社とも関係があるという。また新田義貞が北条高時を追討すべく、鎌倉に進撃(鎌倉の戦い)する際に、当社で戦勝祈願したという故事もあり、かなり歴史ある神社であると推測される。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で全焼してしまった。戦後まもなくは台東区立田中小学校(現在は閉校)の奉安殿を譲り受けて祭祀を行い、1953年(昭和28年)に各社殿が再建された。
当社の氏子には、地場産業である製靴業者も名を連ねており、毎年11月に「靴のめぐみ祭り市」と題して、靴の大安売り市が開かれている。

カンヒザクラ



石浜神社
神社についてWikipediaから引用してみます。
724年(神亀元年)に創建された。
奥州征討の折、源頼朝が戦勝を祈願し、また元寇の際に朝廷は鎌倉幕府7代将軍・惟康親王を勅使として戦勝を祈願させた。いずれの戦役にも勝利したことから、中世以降、関東武士をはじめ、多くの人々の崇敬を集めることになった。
なおこの地域には中世の鎌倉・南北朝時代から安土桃山時代頃にかけて石浜城が存在し、当社付近が城跡候補地の1つとされており、東京都の遺跡地図上では当社北側が埋蔵文化財包蔵地となっている。
当社には、神社には珍しく神道式霊園「石浜霊園」を経営しており、神道に基づく葬儀を挙行することができる。

カワヅザクラ
南千住駅に到達してウォーキングは終了。ストレッチをするスペースがなく解散しました。ちゃんと下調べしておかなければいけませんね。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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