目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

第十六回お鷹狩りすこやか歩こう会スタッフ研修

2018-10-29 11:17:31 | ウォーキング
めぐろウォーキングマーチ将軍お鷹狩りウォークが今週の土曜日に迫ってきました。事務局としてはコース選定の4月から準備し、大会を支える実行委員の皆さんにとっては、ウォーキング塾が実施されていた6月から準備を始めたことになります。目黒ウォーキング協会、すこやか歩こう会にとっても最大のイベントです。


日比谷見附
日比谷公園内にあります。見附についてWikipediaから引用します。
見張り番が置かれていた城門などの施設。例:赤坂見附(江戸城三十六見附の一つ)
Wikipediaの三十六見附の項目では日比谷見附ではなく日比谷門として紹介されています。外堀沿いの城門は「見附」と名がつく場所が多いように思いますが、中には虎ノ門のように「門」を用いている場所もあります。内堀沿いでは桜田門や和田倉門など「門」がなじみ深いですね。


国会前交差点
ロングコースは6月に行った実踏、9月に行ったコース確認共に雨に祟られていたのですが、この日はよく晴れました。気持ちの良い秋の一日でした。



国会前庭和式庭園
都内でも木々は少しずつ色づき始めているようです。将軍お鷹狩りウォークは毎回コースを変えていますが、この公園を通るのは十六回目にして初めてとなります。今回は国会議事堂側の歩道を歩き、これもこれまでのお鷹狩の歴史の中で初めて。立法を象徴する国会議事堂、少し遠景になりますが司法を象徴する最高裁判所を眺めながら歩きます。行政を象徴する首相官邸の近くを通れるといいのですが、こちらは警察の許可が下りないので、首相が総裁を務める自民党本部を紹介するしかないですね。
三権の長四名(議長は衆議院・参議院一名ずつ)の月給はみな同じで二百万円くらいと説明しましたが、誤りでした。総理大臣と最高裁判所長官の月給は2,071,000円ですが、議長の月給は2,182,000円です。


赤坂見附のサクラ
赤坂見附交差点に桜の花が咲いていたので、最近話題となってた塩害によるものかと思って写真に撮りましたが、写真を見るとソメイヨシノではないことがわかります。冬桜の十月桜か何かですね。
再度見附についてWikipediaから引用します。
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附(四谷)、市谷見附(市ヶ谷)などがある。
赤坂見附は枡形門の形式で、これは江戸城の田安門、清水門などと同じである。現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。現在見られる赤坂見附の遺構は、紀尾井町の国道246号沿いに残る石垣である。
この赤坂見附跡の西側には弁慶堀が水を湛え、赤坂見附交差点は国道246号(大山道)と外堀通りの交点となっている。



とらや
改装中でずっと暖簾がかかっていなかったので、6月の実踏の時には見逃していて「あれ?虎屋どこだっけ?」と思ったのですが、ようやく暖簾がかかりました。この場所にお約束のこの暖簾がないと寂しいです。最初に見たのは高校生の時、「『やらと』って何だ?」と思いました。


神宮外苑絵画館前広場
自転車のイベントをやっていて、大量の自転車に占拠されていました。

絵画館前の休憩を終えて再出発し、新国立競技場、神宮球場、秩父宮ラグビー場、青山通りを横断してパイナップルケーキのサニーヒルズ、青南小学校、岡本太郎記念館、六本木通りを横断して常陸宮邸、國學院大學、氷川の杜公園(土俵)、渋谷橋交差点、明治通りを横断して恵比寿橋、ビヤ坂を登りサッポロビール本社、恵比寿ガーデンプレイス、アメリカ橋、茶屋坂を下ってゴールの田道ふれあい広場に至ります。
新国立競技場は建設が進み、その姿が見えてきました。11月3日にラグビー日本代表対NZ代表戦が行われると聞いて秩父宮ラグビー場付近の混雑を心配しましたが、試合が行われるのは調布の味の素スタジアムでした。サニーヒルズの設計は新国立競技場と同じ隈研吾さん。岡本太郎記念館では木が覆い茂って太陽の塔が見えません。國學院大學のご厚意によりトイレ休憩を行います。氷川の杜公園の土俵では江戸時代勧進相撲が行われていました。公園にある土俵について渋谷氷川神社のご由緒を神社のページから引用します。
創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。

サッポロホールディングス様には今年もスポンサーとしてお茶を提供していただきます。アメリカ橋はかつての通称で、輸入した橋はすでに架け替えられているため恵比寿南橋が現在の名称です。この橋を歌った「アメリカ橋」は狩人のオリジナルかと思ったら湖東美歌さんが歌われたのがオリジナルだそうです。興味がある方はこちらから聞いてみてください。
茶屋坂は将軍お鷹狩りウォークでは区内で最も重要な場所です。目黒区のページから引用します。
目黒の坂 茶屋坂
更新日:2014年2月3日

「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒のさんま
江戸の初め、田道橋を渡り三田方面に通ずる坂上の眺望のよいところに、1軒の茶屋があった。徳川3代将軍家光は、目黒筋遊猟の帰りにしばしばこの茶屋に寄って休息をとっていた。家光は、茶屋の主人彦四郎の素朴な人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたため、この茶屋は「爺々が茶屋」と呼ばれるようになった。あるとき、家光は「いつもお前の世話になっている。何か欲しいものがあったら取らせるからいってみよ」との仰せ。彦四郎は恐縮しながら、自分の屋敷の周囲を1町ほど拝領したいむね申して、これをいただいた。

ここからは落語として創作された話である。

例によって遊猟の帰途、茶屋に寄った将軍は、空腹を感じて彦四郎に食事の用意を命じた。だが、草深い郊外の茶屋に、将軍の口にあうものがあろうはずはない。そのむねを申しあげたが「何でもよいから早く出せ」とのこと。やむをえず、ありあわせのさんまを焼いて差しあげたところ、山海の珍味にあきた将軍の口に、脂ののったさんまの味は、また格別だったのだろう。その日は、たいへんご満悦のようすで帰った。

それからしばらくして、殿中で将軍は、ふとさんまの美味であったことを思い出し、家来にさんまを所望した。当時さんまは、庶民の食べ物とされていたので家来は前例がないこと、たいへん困ったが、さっそく房州の網元から早船飛脚で取り寄せた。ところが料理法がわからない。気をきかせた御膳奉行は、さんまの頭をとり、小骨をとり、すっかり脂肪を抜いて差し出した。びっくりしたのは殿様。美しい姿もこわされ、それこそ味も素っ気もなくなったさんまに不興のようす。

「これを何と申す」
「は、さんまにございます」
「なに、さんまとな。してどこでとれたものじゃ」
「は、銚子沖にございます」
「なに銚子とな。銚子はいかん。さんまは目黒に限る」

この話が、落語「目黒のさんま」である。

さて、目黒のさんまの話はともかくとして、爺々が茶屋の子孫は、坂下の方に住んでおられた。目黒ニ丁目の島村家がそれで、同家は、代々彦四郎を襲名してきたが、やめたという。

島村家には、今なお当時の模様を伝える古文書―御成之節記録覚―や一軒茶屋の図が保存されている。そのなかから、将軍と彦四郎のほほえましいやりとりを紹介しよう。これは、元文3年4月13日猪狩りの折りに、茶屋場に立ち寄ったときのものである。

「藤の花は、咲くか咲かないか」
「少々、20房から30房ばかりですが咲きます」
「花は長いか短いか」
「野藤なので短こうございます」
「どのくらいの長さか」
「せいぜい7寸から8寸でございます」
「野藤ゆえ、そうであろう」

会話の調子が、前述のさんまのそれに似ているところがおもしろい。

そのほか、鷹狩りの折り、団子150串、田楽100串というような注文が出ていること、その代金が支払われていることなどが記録として残されている。

茶屋坂の今昔
茶屋坂は、昔はたいへん寂しいところだったらしく明治維新で世情が混乱のころには、茶屋場はたびたび泥棒に見舞われ、島村家は、ついに坂下の村の方に移ってくることになったという。今日では、茶屋場の跡を正確に知る由もないが、茶屋坂には、昔からきれいな清水がコンコンと湧いて樹木が茂っていた。

明治にはいって、山手線が通ると、目黒、恵比寿の中間ほどに位置する茶屋坂一帯は、工場立地の条件がそろい、海軍の火薬製造所が建設された。同工場は、あたりに住宅が建ち始める昭和の初めに移転したが、その後も海軍技術研究所などの施設が入った。

やがて、今日のマンション時代を迎えることになるが、そうなると、このあたりは高台で展望がきくうえ目黒というイメージがマンションにぴったり合って、高層建物が建ち並ぶようになり、まちの景観を変えてしまった。

昔から湧いていた清水も、マンション建設のつち音が響き始めると、水脈が変わってか、パッタリ止まってしまったという。将軍も食べたという目黒のさんま。今では秋に催される「目黒のさんま」祭りで、その味を楽しむことができる。



解体中の目黒清掃工場
田道ふれあい広場では少年野球をやっていたので今回は遠慮して、ふれあい橋でストレッチをして解散となりました。


石川県羽咋市遊穂
ショートコースのすこやか研修で早めに到着していた二人を誘って上目黒まで歩き、中目黒ひつじで生マトンのジンギスカンとビールで昼食。いつもの流れで伊勢五本店で日本酒を飲んだ後、ONCEで各々好きな飲み物を頼み、暗くなる前から酔っ払いとなりました。
お鷹狩り本番は今週土曜日。実行委員の皆さんは風邪などひかないように注意して、当日元気にご協力ください。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の小川町・寄居・秩父旅行 | トップ | 第16回めぐろウォーキング... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーキング」カテゴリの最新記事