文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

以下はリアルタイムのベスト10である。

2019年05月12日 23時36分04秒 | 日記

1

記事の中身ではなく「欠陥機」「占領意識」「空に凶器」「相次ぐ恐怖」などという毒々しい見出しの迫力に圧倒され、思考が麻痺した。

2

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

3

一連の報道は、具体的事実が曖昧なままに、米軍への敵意だけがむき出しになっている記事や論説が目立った。まさにプロパガンダだ。

4

オスプレイ事故に関する県紙の一連の報道を見ていると「欠陥機オスプレイの墜落」というストーリーが先に出来上がっていると感じる。

5

八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。救命活動は一分一秒を争う

6

航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 

7

沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 

8

日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」

9

自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。 そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。

10

台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。


日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」

2019年05月12日 18時11分26秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「沖縄民族主義」を煽る知事 
沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。
オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 
反基地派が目の敵にしているこの航空機は、ヘリと固定翼機の長所を併せ持つ技術革新の精髄である。
航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 
八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。
救命活動は一分一秒を争う。
日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」。
報道に幻惑されない住民も多いのだ。
少なくとも八重山では、事故をきっかけにオスプレイヘの反発が燎原の火のごとく住民に広がっているという事実はない。 
沖縄では「開発段階で事故が多発した」ことを名目に、既に実用化されているオスプレイが「欠陥機」扱いされ「配備撤回」が政治的スローガンと化してしまっている。
「欠陥機オスプレイ」を「海兵隊撤退」のカードに使おうという反基地派の思惑で、純然たる技術革新の成果が政争の具にされてしまったのだ。 
12月22日、米軍北部訓練場の部分返還に伴う返還式典が名護市で開かれた。
反基地派のオール沖縄会議はこの日に合わせて「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」を同じ名護市内で開き、主催者発表で約4200人を動員した。
政府から返還式典への参加を要請された翁長知事も抗議集会に出席。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を改めて訴え「新基地は造らせない。オスプレイ配備を撤回させる。マキテーナイビラン(負けてはいけない)」と沖縄方言の叫びで決起を促した。 
スピーチに方言を織り交ぜて県民を駆り立てるのは翁長知事の常套手段だ。
「沖縄民族主義」に火をつけて政府との対立を煽っているようにも見え、私は好きではない。
方言が沖縄と本土を分断する道具に使われるのは悲しい。
同じ沖縄でも、沖縄本島と宮古諸島、八重山諸島の方言は全く異なる。私たちには知事が何を言っているのか分からない。
少なからぬ離島住民が、知事がスピーチで方言を使うたびに「所詮は沖縄本島だけの知事なのか」と冷ややかな視線を送っている。 
それはともかく、この集会に出席した「オール沖縄」の国会議員たちの「反オスプレイ」発言はどれも聞くに堪えぬ内容だった。 
「欠陥機でないというなら、安倍総理、どうぞ、総理専用機にオスプレイを使ってください。稲田大臣、機体をピンクに塗って、喜んでオスプレイを使ってください。ただし沖縄の上空でオスプレイを飛ばすことは絶対に認めない」(自由党の玉城デニー衆院議員) 
「オスプレイは間違いなく構造的欠陥を持った飛行機だ」(社民党の照屋寛徳衆院議員) 
「沖縄県には69力所もオスプレイの着陸帯がある。ほとんどが住宅地のすぐ近くだ。すべての着陸帯の撤去へ、翁長知事とともに力を合わせて頑張ろう」(共産党の赤倣政賢衆院議員) 
責任ある立場にある政治家が、惟たる根拠もないまま、オスプレイが今にも落ちるような言説を繰り返し、県民の不安を煽り立てている姿は情けない。
これが「オール沖縄」に牛耳られている沖縄政治の現状である。 
私は、知事の抗議集会出席はポピュリスム(大衆迎合主義)の極みであると思う。
米軍北部訓練場の返還とは本来、知事が簡単にそっぽを向けて済むような軽い話ではないはずだ。
この稿続く。


八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。救命活動は一分一秒を争う

2019年05月12日 18時09分41秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「沖縄民族主義」を煽る知事 
沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。
オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 
反基地派が目の敵にしているこの航空機は、ヘリと固定翼機の長所を併せ持つ技術革新の精髄である。
航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 
八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。
救命活動は一分一秒を争う。
日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」。
報道に幻惑されない住民も多いのだ。
少なくとも八重山では、事故をきっかけにオスプレイヘの反発が燎原の火のごとく住民に広がっているという事実はない。 
沖縄では「開発段階で事故が多発した」ことを名目に、既に実用化されているオスプレイが「欠陥機」扱いされ「配備撤回」が政治的スローガンと化してしまっている。
「欠陥機オスプレイ」を「海兵隊撤退」のカードに使おうという反基地派の思惑で、純然たる技術革新の成果が政争の具にされてしまったのだ。 
12月22日、米軍北部訓練場の部分返還に伴う返還式典が名護市で開かれた。
反基地派のオール沖縄会議はこの日に合わせて「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」を同じ名護市内で開き、主催者発表で約4200人を動員した。
政府から返還式典への参加を要請された翁長知事も抗議集会に出席。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を改めて訴え「新基地は造らせない。オスプレイ配備を撤回させる。マキテーナイビラン(負けてはいけない)」と沖縄方言の叫びで決起を促した。 
スピーチに方言を織り交ぜて県民を駆り立てるのは翁長知事の常套手段だ。
「沖縄民族主義」に火をつけて政府との対立を煽っているようにも見え、私は好きではない。
方言が沖縄と本土を分断する道具に使われるのは悲しい。
同じ沖縄でも、沖縄本島と宮古諸島、八重山諸島の方言は全く異なる。私たちには知事が何を言っているのか分からない。
少なからぬ離島住民が、知事がスピーチで方言を使うたびに「所詮は沖縄本島だけの知事なのか」と冷ややかな視線を送っている。 
それはともかく、この集会に出席した「オール沖縄」の国会議員たちの「反オスプレイ」発言はどれも聞くに堪えぬ内容だった。 
「欠陥機でないというなら、安倍総理、どうぞ、総理専用機にオスプレイを使ってください。稲田大臣、機体をピンクに塗って、喜んでオスプレイを使ってください。ただし沖縄の上空でオスプレイを飛ばすことは絶対に認めない」(自由党の玉城デニー衆院議員) 
「オスプレイは間違いなく構造的欠陥を持った飛行機だ」(社民党の照屋寛徳衆院議員) 
「沖縄県には69力所もオスプレイの着陸帯がある。ほとんどが住宅地のすぐ近くだ。すべての着陸帯の撤去へ、翁長知事とともに力を合わせて頑張ろう」(共産党の赤倣政賢衆院議員) 
責任ある立場にある政治家が、惟たる根拠もないまま、オスプレイが今にも落ちるような言説を繰り返し、県民の不安を煽り立てている姿は情けない。
これが「オール沖縄」に牛耳られている沖縄政治の現状である。 
私は、知事の抗議集会出席はポピュリスム(大衆迎合主義)の極みであると思う。
米軍北部訓練場の返還とは本来、知事が簡単にそっぽを向けて済むような軽い話ではないはずだ。
この稿続く。


航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 

2019年05月12日 18時08分30秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「沖縄民族主義」を煽る知事 
沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。
オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 
反基地派が目の敵にしているこの航空機は、ヘリと固定翼機の長所を併せ持つ技術革新の精髄である。
航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 
八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。
救命活動は一分一秒を争う。
日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」。
報道に幻惑されない住民も多いのだ。
少なくとも八重山では、事故をきっかけにオスプレイヘの反発が燎原の火のごとく住民に広がっているという事実はない。 
沖縄では「開発段階で事故が多発した」ことを名目に、既に実用化されているオスプレイが「欠陥機」扱いされ「配備撤回」が政治的スローガンと化してしまっている。
「欠陥機オスプレイ」を「海兵隊撤退」のカードに使おうという反基地派の思惑で、純然たる技術革新の成果が政争の具にされてしまったのだ。 
12月22日、米軍北部訓練場の部分返還に伴う返還式典が名護市で開かれた。
反基地派のオール沖縄会議はこの日に合わせて「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」を同じ名護市内で開き、主催者発表で約4200人を動員した。
政府から返還式典への参加を要請された翁長知事も抗議集会に出席。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を改めて訴え「新基地は造らせない。オスプレイ配備を撤回させる。マキテーナイビラン(負けてはいけない)」と沖縄方言の叫びで決起を促した。 
スピーチに方言を織り交ぜて県民を駆り立てるのは翁長知事の常套手段だ。
「沖縄民族主義」に火をつけて政府との対立を煽っているようにも見え、私は好きではない。
方言が沖縄と本土を分断する道具に使われるのは悲しい。
同じ沖縄でも、沖縄本島と宮古諸島、八重山諸島の方言は全く異なる。私たちには知事が何を言っているのか分からない。
少なからぬ離島住民が、知事がスピーチで方言を使うたびに「所詮は沖縄本島だけの知事なのか」と冷ややかな視線を送っている。 
それはともかく、この集会に出席した「オール沖縄」の国会議員たちの「反オスプレイ」発言はどれも聞くに堪えぬ内容だった。 
「欠陥機でないというなら、安倍総理、どうぞ、総理専用機にオスプレイを使ってください。稲田大臣、機体をピンクに塗って、喜んでオスプレイを使ってください。ただし沖縄の上空でオスプレイを飛ばすことは絶対に認めない」(自由党の玉城デニー衆院議員) 
「オスプレイは間違いなく構造的欠陥を持った飛行機だ」(社民党の照屋寛徳衆院議員) 
「沖縄県には69力所もオスプレイの着陸帯がある。ほとんどが住宅地のすぐ近くだ。すべての着陸帯の撤去へ、翁長知事とともに力を合わせて頑張ろう」(共産党の赤倣政賢衆院議員) 
責任ある立場にある政治家が、惟たる根拠もないまま、オスプレイが今にも落ちるような言説を繰り返し、県民の不安を煽り立てている姿は情けない。
これが「オール沖縄」に牛耳られている沖縄政治の現状である。 
私は、知事の抗議集会出席はポピュリスム(大衆迎合主義)の極みであると思う。
米軍北部訓練場の返還とは本来、知事が簡単にそっぽを向けて済むような軽い話ではないはずだ。
この稿続く。


沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 

2019年05月12日 18時07分28秒 | 日記

以下は前章の続きである。
「沖縄民族主義」を煽る知事 
沖縄で声高に主張されるオスプレイ批判を聞くと、中世の魔女狩り裁判を思い出す。
オスプレイを否定することは科学の進歩を否定することだ。 
反基地派が目の敵にしているこの航空機は、ヘリと固定翼機の長所を併せ持つ技術革新の精髄である。
航続距離、スピードとも従来のヘリを大きく上回り、沖縄本島から400㌔以上離れた尖閣諸島も作戦範囲に入る。 
八重山諸島などの離島住民は、重傷や重病患者が発生し、地元の病院では対応できない場合、自衛隊のヘリで患者を沖縄本島に輸送している。
救命活動は一分一秒を争う。
日本最西端の島、与那国島に住む与那原繁さん(54)は「オスプレイは給油なしで沖縄本島と与那国島を往来でき、しかも普通のヘリより速い。島では導入を期待する声も大きい」。
報道に幻惑されない住民も多いのだ。
少なくとも八重山では、事故をきっかけにオスプレイヘの反発が燎原の火のごとく住民に広がっているという事実はない。 
沖縄では「開発段階で事故が多発した」ことを名目に、既に実用化されているオスプレイが「欠陥機」扱いされ「配備撤回」が政治的スローガンと化してしまっている。
「欠陥機オスプレイ」を「海兵隊撤退」のカードに使おうという反基地派の思惑で、純然たる技術革新の成果が政争の具にされてしまったのだ。 
12月22日、米軍北部訓練場の部分返還に伴う返還式典が名護市で開かれた。
反基地派のオール沖縄会議はこの日に合わせて「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」を同じ名護市内で開き、主催者発表で約4200人を動員した。
政府から返還式典への参加を要請された翁長知事も抗議集会に出席。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を改めて訴え「新基地は造らせない。オスプレイ配備を撤回させる。マキテーナイビラン(負けてはいけない)」と沖縄方言の叫びで決起を促した。 
スピーチに方言を織り交ぜて県民を駆り立てるのは翁長知事の常套手段だ。
「沖縄民族主義」に火をつけて政府との対立を煽っているようにも見え、私は好きではない。
方言が沖縄と本土を分断する道具に使われるのは悲しい。
同じ沖縄でも、沖縄本島と宮古諸島、八重山諸島の方言は全く異なる。私たちには知事が何を言っているのか分からない。
少なからぬ離島住民が、知事がスピーチで方言を使うたびに「所詮は沖縄本島だけの知事なのか」と冷ややかな視線を送っている。 
それはともかく、この集会に出席した「オール沖縄」の国会議員たちの「反オスプレイ」発言はどれも聞くに堪えぬ内容だった。 
「欠陥機でないというなら、安倍総理、どうぞ、総理専用機にオスプレイを使ってください。稲田大臣、機体をピンクに塗って、喜んでオスプレイを使ってください。ただし沖縄の上空でオスプレイを飛ばすことは絶対に認めない」(自由党の玉城デニー衆院議員) 
「オスプレイは間違いなく構造的欠陥を持った飛行機だ」(社民党の照屋寛徳衆院議員) 
「沖縄県には69力所もオスプレイの着陸帯がある。ほとんどが住宅地のすぐ近くだ。すべての着陸帯の撤去へ、翁長知事とともに力を合わせて頑張ろう」(共産党の赤倣政賢衆院議員) 
責任ある立場にある政治家が、惟たる根拠もないまま、オスプレイが今にも落ちるような言説を繰り返し、県民の不安を煽り立てている姿は情けない。
これが「オール沖縄」に牛耳られている沖縄政治の現状である。 
私は、知事の抗議集会出席はポピュリスム(大衆迎合主義)の極みであると思う。
米軍北部訓練場の返還とは本来、知事が簡単にそっぽを向けて済むような軽い話ではないはずだ。
この稿続く。


一連の報道は、具体的事実が曖昧なままに、米軍への敵意だけがむき出しになっている記事や論説が目立った。まさにプロパガンダだ。

2019年05月12日 18時05分15秒 | 日記

以下も月刊誌「正論」2017年3月号からである。
対中最前線 国境の島からの報告
米軍に敵意むき出し オスプレイ批判の異常
八重山日報編集長 仲新城 誠
「報道というよりはプロパガンダ色が強すぎると思う」 
2014年4月、当時自民党の広報本部長だった小池百合子東京都知事が、沖縄の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」の報道をこう評した。自民党本部で、私か小池氏にインタビューした際に語った。
小池氏は沖縄担当相や防衛相などを歴任し、沖縄の米軍基地問題にも通じている。
大臣在任中、沖縄メディアの一方的な報道に悩まされたという。 
二つの問題を一つの観点ばかりで書くと、そのほかの部分が掲載されず、バランスを欠く報道になる」 
インタビューから3年近くが過ぎ、今になって私がこのやり取りを思い出したのは、2016年12月13日に起こった米軍の新型輸送機オスプレイの事故がきっかけだった。
オスプレイは夜間の給油訓練中に沖縄本島北部の名護市沿岸に着水、大破したのだ。 
翌朝、事故を報じる県紙2紙の紙面を見た。
天変地異でも起こったかのような大見出しが、ドーンと視界に飛び込んだ。 
「やっぱり落ちた」「欠陥機懸念、現実に」「目撃の住民恐怖」「機体原形とどめず」「占領意識丸出し」(12月14、15日付琉球新報) 
「空に凶器 震え 怒り」「抗議非難 高まる声」「欠陥機出ていけ住民ら訴え」「相次ぐ恐怖 生活に影」(12月15日付沖縄タイムス) 紙の新聞とインターネットで読む新聞との一番大きな違いは、ページを横切る大見出しや写真が、視覚を通して脳に与える衝撃の有無だろう。
記事の中身ではなく「欠陥機」「占領意識」「空に凶器」「相次ぐ恐怖」などという毒々しい見出しの迫力に圧倒され、思考が麻痺した。
多くの県民が私と同じ感覚を味わっただろうし、まさにそれこそ、両紙の狙いだったろう。 
両紙の12月15日付社説は、沖縄タイムスが「海兵隊撤退へ舵を切れ」、琉球新報が「海兵隊撤退しかない」と、申し合わせたようにほぼ同じタイトルだった。 
「この危険で不気味な灰色の機体が飛ぶ限り、どこに落ちてもおかしくない」「欠陥機を運用する在沖米海兵隊の全面撤退と辺野古新基地、高江ヘリ着陸帯の建設断念を強く求める」(琉球新報)。
オスプレイを使用するのは海兵隊だから、事故防止には海兵隊を撤退させるはかないというのである。
*沖縄タイムスと琉球新報もはや中国のエージェントそのものの態様である。このような新聞会社が堂々と日本国内で営業をつづけていて、なおかつ沖縄の新聞購読世帯を独占している事実は、異様、異常以外の何物でもない* 
オスプレイには当時、5人が搭乗しており、けが人は出たものの死者はいなかった。
事故後も航行を続け、米軍によると民間人に被害を出さないよう、住宅地を避け海面に不時着したという。
米軍の死者も県民の被害もない、わずか1機の単独事故から「海兵隊撤退しかない」という結論を引っ張り出す強引さは驚くばかりだ。 
「これは報道なのか、扇動なのか」 
県紙を開いた私は自問自答し、同時に冒頭で紹介した小池氏の言葉を思い出したのだ。 
両紙は事故を起こした機種がオスプレイであるというだけで、30ページの紙面のうち関連記事に10ページ近くを費やしていた。
歴史的な大事故の扱いである。 
事故の態様について、全国紙や通信社は最後まで機体がコントロールされていたことを重視し、政府発表に沿って「不時着」と表現したが、両紙は「墜落」と言い張った。
「不時着と表記する他のメディアは、権力に気を遣って政府の大本営発表をそのまま報じている」と批判する識者のコメントなどを載せた。
*こういう識者もまた中国のエージェントであろう* 
事故原因はすぐに特定された。
洋上での給油訓練中、プロペラに給油ホースが接触して部品が破損したのである。
機体の構造的な欠陥は確認されなかったが、両紙は給油ホースが接触するような場所にプロペラがあることが「欠陥だ」などと居直った。 
米軍は1月5日、オスプレイの。空中給油訓練を再開すると発表した。
稲田朋美防衛相は「オスプレイが空中給油を実施する能力を維持することは、防衛や緊急時の対応の観点からも重要」とコメントしたが、翁長雄志知事は「米軍の要求を最優先する政府の姿は信頼関係を大きく損ねるもので、強い憤りを感じる」と反発。
琉球新報、沖縄タイムスも6日付の社説で「危険な訓練」の再開を「言語道断だ」などと批判する社説を掲載した。 
日米両政府は空中給油訓練を陸上では実施しないことを確認しており、万一同様の事故が起こったとしても、一般住民に危険が及ぶ可能性はかなり低い。
しかし両紙は、訓練再開をとてつもない脅威のように誇張して報道した。 
オスプレイ事故に関する県紙の一連の報道を見ていると「欠陥機オスプレイの墜落」というストーリーが先に出来上がっていると感じる。
事故原因は何なのか、オスプレイは果たして欠陥機なのか、事故は墜落なのか、不時着なのかという事実の検証は二の次、三の次のようだ。
海兵隊の撤退要求に結びつけるという結論ありきの意図が明白である。 
在沖米軍のローレンス・ニコルソン四軍調整官は事故翌日の記者会見で、県民の被害がなかったことに触れ、「操縦士は沖縄を守った」と発言したのに、琉球新報の記事は「二コルソン氏の態度や発言は、県民の生命を一顧だにしない米軍の姿を浮き彫りにしていた」と決めつけた。
一連の報道は、具体的事実が曖昧なままに、米軍への敵意だけがむき出しになっている記事や論説が目立った。
まさにプロパガンダだ。
この稿続く。


記事の中身ではなく「欠陥機」「占領意識」「空に凶器」「相次ぐ恐怖」などという毒々しい見出しの迫力に圧倒され、思考が麻痺した。

2019年05月12日 18時04分02秒 | 日記

以下も月刊誌「正論」2017年3月号からである。
対中最前線 国境の島からの報告
米軍に敵意むき出し オスプレイ批判の異常
八重山日報編集長 仲新城 誠
「報道というよりはプロパガンダ色が強すぎると思う」 
2014年4月、当時自民党の広報本部長だった小池百合子東京都知事が、沖縄の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」の報道をこう評した。自民党本部で、私か小池氏にインタビューした際に語った。
小池氏は沖縄担当相や防衛相などを歴任し、沖縄の米軍基地問題にも通じている。
大臣在任中、沖縄メディアの一方的な報道に悩まされたという。 
二つの問題を一つの観点ばかりで書くと、そのほかの部分が掲載されず、バランスを欠く報道になる」 
インタビューから3年近くが過ぎ、今になって私がこのやり取りを思い出したのは、2016年12月13日に起こった米軍の新型輸送機オスプレイの事故がきっかけだった。
オスプレイは夜間の給油訓練中に沖縄本島北部の名護市沿岸に着水、大破したのだ。 
翌朝、事故を報じる県紙2紙の紙面を見た。
天変地異でも起こったかのような大見出しが、ドーンと視界に飛び込んだ。 
「やっぱり落ちた」「欠陥機懸念、現実に」「目撃の住民恐怖」「機体原形とどめず」「占領意識丸出し」(12月14、15日付琉球新報) 
「空に凶器 震え 怒り」「抗議非難 高まる声」「欠陥機出ていけ住民ら訴え」「相次ぐ恐怖 生活に影」(12月15日付沖縄タイムス) 紙の新聞とインターネットで読む新聞との一番大きな違いは、ページを横切る大見出しや写真が、視覚を通して脳に与える衝撃の有無だろう。
記事の中身ではなく「欠陥機」「占領意識」「空に凶器」「相次ぐ恐怖」などという毒々しい見出しの迫力に圧倒され、思考が麻痺した。
多くの県民が私と同じ感覚を味わっただろうし、まさにそれこそ、両紙の狙いだったろう。 
両紙の12月15日付社説は、沖縄タイムスが「海兵隊撤退へ舵を切れ」、琉球新報が「海兵隊撤退しかない」と、申し合わせたようにほぼ同じタイトルだった。 
「この危険で不気味な灰色の機体が飛ぶ限り、どこに落ちてもおかしくない」「欠陥機を運用する在沖米海兵隊の全面撤退と辺野古新基地、高江ヘリ着陸帯の建設断念を強く求める」(琉球新報)。
オスプレイを使用するのは海兵隊だから、事故防止には海兵隊を撤退させるはかないというのである。
*沖縄タイムスと琉球新報もはや中国のエージェントそのものの態様である。このような新聞会社が堂々と日本国内で営業をつづけていて、なおかつ沖縄の新聞購読世帯を独占している事実は、異様、異常以外の何物でもない* 
オスプレイには当時、5人が搭乗しており、けが人は出たものの死者はいなかった。
事故後も航行を続け、米軍によると民間人に被害を出さないよう、住宅地を避け海面に不時着したという。
米軍の死者も県民の被害もない、わずか1機の単独事故から「海兵隊撤退しかない」という結論を引っ張り出す強引さは驚くばかりだ。 
「これは報道なのか、扇動なのか」 
県紙を開いた私は自問自答し、同時に冒頭で紹介した小池氏の言葉を思い出したのだ。 
両紙は事故を起こした機種がオスプレイであるというだけで、30ページの紙面のうち関連記事に10ページ近くを費やしていた。
歴史的な大事故の扱いである。 
事故の態様について、全国紙や通信社は最後まで機体がコントロールされていたことを重視し、政府発表に沿って「不時着」と表現したが、両紙は「墜落」と言い張った。
「不時着と表記する他のメディアは、権力に気を遣って政府の大本営発表をそのまま報じている」と批判する識者のコメントなどを載せた。
*こういう識者もまた中国のエージェントであろう* 
事故原因はすぐに特定された。
洋上での給油訓練中、プロペラに給油ホースが接触して部品が破損したのである。
機体の構造的な欠陥は確認されなかったが、両紙は給油ホースが接触するような場所にプロペラがあることが「欠陥だ」などと居直った。 
米軍は1月5日、オスプレイの。空中給油訓練を再開すると発表した。
稲田朋美防衛相は「オスプレイが空中給油を実施する能力を維持することは、防衛や緊急時の対応の観点からも重要」とコメントしたが、翁長雄志知事は「米軍の要求を最優先する政府の姿は信頼関係を大きく損ねるもので、強い憤りを感じる」と反発。
琉球新報、沖縄タイムスも6日付の社説で「危険な訓練」の再開を「言語道断だ」などと批判する社説を掲載した。 
日米両政府は空中給油訓練を陸上では実施しないことを確認しており、万一同様の事故が起こったとしても、一般住民に危険が及ぶ可能性はかなり低い。
しかし両紙は、訓練再開をとてつもない脅威のように誇張して報道した。 
オスプレイ事故に関する県紙の一連の報道を見ていると「欠陥機オスプレイの墜落」というストーリーが先に出来上がっていると感じる。
事故原因は何なのか、オスプレイは果たして欠陥機なのか、事故は墜落なのか、不時着なのかという事実の検証は二の次、三の次のようだ。
海兵隊の撤退要求に結びつけるという結論ありきの意図が明白である。 
在沖米軍のローレンス・ニコルソン四軍調整官は事故翌日の記者会見で、県民の被害がなかったことに触れ、「操縦士は沖縄を守った」と発言したのに、琉球新報の記事は「二コルソン氏の態度や発言は、県民の生命を一顧だにしない米軍の姿を浮き彫りにしていた」と決めつけた。
一連の報道は、具体的事実が曖昧なままに、米軍への敵意だけがむき出しになっている記事や論説が目立った。
まさにプロパガンダだ。
この稿続く。


オスプレイ事故に関する県紙の一連の報道を見ていると「欠陥機オスプレイの墜落」というストーリーが先に出来上がっていると感じる。

2019年05月12日 18時03分10秒 | 日記

以下も月刊誌「正論」2017年3月号からである。
対中最前線 国境の島からの報告
米軍に敵意むき出し オスプレイ批判の異常
八重山日報編集長 仲新城 誠
「報道というよりはプロパガンダ色が強すぎると思う」 
2014年4月、当時自民党の広報本部長だった小池百合子東京都知事が、沖縄の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」の報道をこう評した。自民党本部で、私か小池氏にインタビューした際に語った。
小池氏は沖縄担当相や防衛相などを歴任し、沖縄の米軍基地問題にも通じている。
大臣在任中、沖縄メディアの一方的な報道に悩まされたという。 
二つの問題を一つの観点ばかりで書くと、そのほかの部分が掲載されず、バランスを欠く報道になる」 
インタビューから3年近くが過ぎ、今になって私がこのやり取りを思い出したのは、2016年12月13日に起こった米軍の新型輸送機オスプレイの事故がきっかけだった。
オスプレイは夜間の給油訓練中に沖縄本島北部の名護市沿岸に着水、大破したのだ。 
翌朝、事故を報じる県紙2紙の紙面を見た。
天変地異でも起こったかのような大見出しが、ドーンと視界に飛び込んだ。 
「やっぱり落ちた」「欠陥機懸念、現実に」「目撃の住民恐怖」「機体原形とどめず」「占領意識丸出し」(12月14、15日付琉球新報) 
「空に凶器 震え 怒り」「抗議非難 高まる声」「欠陥機出ていけ住民ら訴え」「相次ぐ恐怖 生活に影」(12月15日付沖縄タイムス) 紙の新聞とインターネットで読む新聞との一番大きな違いは、ページを横切る大見出しや写真が、視覚を通して脳に与える衝撃の有無だろう。
記事の中身ではなく「欠陥機」「占領意識」「空に凶器」「相次ぐ恐怖」などという毒々しい見出しの迫力に圧倒され、思考が麻痺した。
多くの県民が私と同じ感覚を味わっただろうし、まさにそれこそ、両紙の狙いだったろう。 
両紙の12月15日付社説は、沖縄タイムスが「海兵隊撤退へ舵を切れ」、琉球新報が「海兵隊撤退しかない」と、申し合わせたようにほぼ同じタイトルだった。 
「この危険で不気味な灰色の機体が飛ぶ限り、どこに落ちてもおかしくない」「欠陥機を運用する在沖米海兵隊の全面撤退と辺野古新基地、高江ヘリ着陸帯の建設断念を強く求める」(琉球新報)。
オスプレイを使用するのは海兵隊だから、事故防止には海兵隊を撤退させるはかないというのである。
*沖縄タイムスと琉球新報もはや中国のエージェントそのものの態様である。このような新聞会社が堂々と日本国内で営業をつづけていて、なおかつ沖縄の新聞購読世帯を独占している事実は、異様、異常以外の何物でもない* 
オスプレイには当時、5人が搭乗しており、けが人は出たものの死者はいなかった。
事故後も航行を続け、米軍によると民間人に被害を出さないよう、住宅地を避け海面に不時着したという。
米軍の死者も県民の被害もない、わずか1機の単独事故から「海兵隊撤退しかない」という結論を引っ張り出す強引さは驚くばかりだ。 
「これは報道なのか、扇動なのか」 
県紙を開いた私は自問自答し、同時に冒頭で紹介した小池氏の言葉を思い出したのだ。 
両紙は事故を起こした機種がオスプレイであるというだけで、30ページの紙面のうち関連記事に10ページ近くを費やしていた。
歴史的な大事故の扱いである。 
事故の態様について、全国紙や通信社は最後まで機体がコントロールされていたことを重視し、政府発表に沿って「不時着」と表現したが、両紙は「墜落」と言い張った。
「不時着と表記する他のメディアは、権力に気を遣って政府の大本営発表をそのまま報じている」と批判する識者のコメントなどを載せた。
*こういう識者もまた中国のエージェントであろう* 
事故原因はすぐに特定された。
洋上での給油訓練中、プロペラに給油ホースが接触して部品が破損したのである。
機体の構造的な欠陥は確認されなかったが、両紙は給油ホースが接触するような場所にプロペラがあることが「欠陥だ」などと居直った。 
米軍は1月5日、オスプレイの。空中給油訓練を再開すると発表した。
稲田朋美防衛相は「オスプレイが空中給油を実施する能力を維持することは、防衛や緊急時の対応の観点からも重要」とコメントしたが、翁長雄志知事は「米軍の要求を最優先する政府の姿は信頼関係を大きく損ねるもので、強い憤りを感じる」と反発。
琉球新報、沖縄タイムスも6日付の社説で「危険な訓練」の再開を「言語道断だ」などと批判する社説を掲載した。 
日米両政府は空中給油訓練を陸上では実施しないことを確認しており、万一同様の事故が起こったとしても、一般住民に危険が及ぶ可能性はかなり低い。
しかし両紙は、訓練再開をとてつもない脅威のように誇張して報道した。 
オスプレイ事故に関する県紙の一連の報道を見ていると「欠陥機オスプレイの墜落」というストーリーが先に出来上がっていると感じる。
事故原因は何なのか、オスプレイは果たして欠陥機なのか、事故は墜落なのか、不時着なのかという事実の検証は二の次、三の次のようだ。
海兵隊の撤退要求に結びつけるという結論ありきの意図が明白である。 
在沖米軍のローレンス・ニコルソン四軍調整官は事故翌日の記者会見で、県民の被害がなかったことに触れ、「操縦士は沖縄を守った」と発言したのに、琉球新報の記事は「二コルソン氏の態度や発言は、県民の生命を一顧だにしない米軍の姿を浮き彫りにしていた」と決めつけた。
一連の報道は、具体的事実が曖昧なままに、米軍への敵意だけがむき出しになっている記事や論説が目立った。
まさにプロパガンダだ。
この稿続く。


台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。

2019年05月12日 15時29分13秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。 そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。

2019年05月12日 15時26分58秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。 そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。  「台湾人、バンザーイ!」 

2019年05月12日 15時24分12秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。  陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。

2019年05月12日 15時21分26秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。すべて台湾語である。

2019年05月12日 15時18分10秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、

2019年05月12日 15時16分55秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。

逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。


国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 

2019年05月12日 15時14分27秒 | 日記

以下は前章の続きである。 
「正義と勇気の日」 
228事件が勃発して10日後の3月9日未明、国民党軍の精鋭第21師団が基隆と高雄から上陸する。
徳章の予想通り、それまで民主化を承諾していた陳儀・行政長官は、方針を翻し、事件の首謀者たちが「潜入してきた共産党分子」と「留用日本人」であったとし、弾圧に乗り出していった。
留用日本人とは、戦後も引き継ぎや技術移転等のために、乞われて台湾に残っていた日本人のことだ。 
陳儀は、彼らを騒乱の首謀者に仕立て上げたのである。
事件を鎮静化させようと奔走した徳章らも逮捕される。
国民党政府は、この事件を機にエリート層の一掃を狙い、日本統治時代の知識階層を一網打尽にしようとしたのである。 
228事件研究の第一人者、李筱峰・国立台北教育大学台湾文化研究所専任教授はこう語る。 
「228事件には、国民党がこの機会に乗じて“計画的に”台湾各地のエリートを捕らえて殺害したという一面があります。湯徳章さんをはじめ、全島各地の数多くの各界エリート名士は、いずれも3月9日からほぼ一か月間に逮捕され、殺害されています。つまり、彼らの大部分は、暴動に関わっていないにもかかわらず、計画的に"謀殺"されたのです」 
日本統治時代のエリート層の一掃―それこそが228事件の恐るべき真相だった。 
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。
しかし、学生をはじめ、リーダーたちの名を決して洩らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。逆さ吊りで、銃床で殴りつけられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。 
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。
無実の罪を着せられて民生緑園という公園にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛りつけられることも拒否し、「私に目隠しをする必要も、また、木に縛りつける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」と叫んだ。
すべて台湾語である。
さらに、「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」 自分一人が罪を被って死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。
そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。 
「台湾人、バンザーイ!」 
その時、銃声が轟いた。
徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。
驚きと感動で人々は言葉を失った。 
自分の命と引きかえに、台南の人々の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、秘かに語り継がれていく。
そして、半世紀の後、徳章は忽然と復活する。
台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定したのだ。 
私は、228事件と、台湾人を救うために自らを犠牲にした徳章の存在は「何を意味するのか」と思う。
228事件から70年後、台湾は、今度は国民党と戦った中国共産党の脅威に晒されている。 
中国は、2005年に「反国家分裂法」を制定している。
そこには、台湾の独立分子に対して「非平和的手段」を用いて排除することが明記されている。
台湾の自由と民主と人権が再び犯されようとしている今、日本が中心となって「日・米・台」の強固な結束を示して、中国による台湾への武力侵攻を何としても阻止しなければならない。
平和を守ることの「意味」を坂井徳章が遺した言葉と行動から、是非、知って欲しいと思う。