いつものように今年も師走となり、消防当局は防火の徹底を。警察当局は万引き、無銭飲食の撲滅を訴えます。
しかし、先の見えない不況定着社会では『防災』と『防犯』── このふたつが必ずしも両立いたしません。「非常口」は常に開放された避難路であり、それこそが(増え続ける一方の)大量万引きや無銭飲食者ご用達の“逃げ道”であるからです。
デフレで薄くなる一方の利益を守らんがため、“最低限の防衛策”として店主は「非常口」の掲示を判りにくくしたり、モノで塞いでしまいたい衝動と常に闘っています。
ときに火災が起こってしまえば出口が密閉されていた、とかマスコミ連中が叩きまくるワケですが、塞がないことでどれだけの無法者が公然と盗みや食い逃げをしているのか。千歩譲って仮に警察にその分析ができていたとしても、そんな荒んだ犯罪天国の実態は消防当局に伝わらず、ただ連中は彼らなりの流儀で消防法違反だ!と言いたいことばかりヌカす。こんなんで飲食店や小売店の存立はあるんですか?と言いたいですねえ。
ナニより国民の命が大切。消防法を清々と貫徹させるなら、この種の常習犯人口を減らせない補償費(=日々ロスする売上金)を警察が順法市民に負担してくれるんですか? どこの誰が、市民生活を(ひいては命を)最後まで責任もってくれるんですか?
お行儀のいい「法治国家」風情のニッポン(=つまるとこと、わたしたち自身)とは、その実、いかに無責任きわまる偽善集団なのか☆を痛感する一面が、こうした理不尽にも見え隠れするのでございます。どいつもこいつも、わたしも「ぶりっこ」。行き場のない憤怒を胸に、「非常口」に黙祷。