関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

「銀行OLセクシー解雇事件」は資本主義世界にとって「天安門事件」なのか?── 情報「検閲」強化にひた走る!?Google社の摩訶不思議。

2010年06月20日 | 日記
例のあの、Debralee lorenzana(デブラリー・ロレンザーナ|33歳)さんが解雇された、というニュース。

事件自体は「しょーもない」し、さしたる当事者の利益にも損害にもならないと思うのですが、一貫して過敏すぎる?反応を見せているのが《Google》さん。

ナニせ事件からホンの数日で、同社の画像サーチ結果から「ロレンザーナさんの肖像とみられる画像」をバッサリ!「排除」してしまった。

いったいナンの目的で? 自社の画像識別エンジンの優秀さを見せつけるため? まさかねーw

それにしても・・・《百度》で叩くと、山ほど画像ヒットすんだよなー(嗤) まさかまさかの、「逆・天安門事件」状態。【添付画像 参照】

こーゆう露骨な検閲事例がちょろちょろ発覚するよーになると、やがては世間の《Google》を見る眼も「訝しげな不審」混じりへと・・・変わってきちゃうと思うんですが。ねえ^^;
 





後日付記: 数年後、本件に関する"検閲"は解除されている。

迷走するローマ字教育論 ─── 地に足つかぬ、そんな中途半端な「ローマ字学習」なら、導入しない方が良い。

2010年06月12日 | 日記
さて。きょう選んだテーマについては、2002年に新田守氏がこれに似た趣旨のことを憂いておられます。

たぶん、憂慮している「核心部分」に差異はない?と思うのですが、最終的に「提示する結論」がわたしとは異なります。新田氏は「従来の訓令式を廃し、ヘボン式を採用せよ」と言っておられるのですが、わたしは「訓令式なら徹頭徹尾、訓令式の徹底を!」と主張したいのです。

どうして正反対の結論に至るのか、そのあたりを順にご説明してまいりましょう^^

今日の日本社会では「初等教育で《訓令式》のローマ字を習い、社会に出たら《ヘボン式》のローマ字を使う」という『知識の断絶』がまかり通っています。わたしを含めて、社会人になると《訓令式》のローマ字は五十音をどう綴るのか? さえ忘れてしまいます^^;

念のため、【画像(上)】に両者の書き方の違いを例示しておきます。ナンでもカンでも、カ行~ワ行を2対のアルファベットで規則正しく示そう、とするのが《訓令式》、そうではなく、英語圏の人がイメージする発声に近似するよう「文字の規則性より音の親和性」に合わせたのが《ヘボン式》ですね。

本年度は、小学校3年生で《訓令式》ローマ字を習わせる、というのが文科省の要綱です。このことは、パソコン教育で『ローマ字変換』を円滑に進めるため、と理解されています。この子たちも英語を習うようになると、今度は《ヘボン式》で書かれた教科書と遭遇し、アタマが混乱することになります。

 > Hello, Hiroshi. How are you ?

どうして「hirosi でなく hiroshi」と綴るのか、最初は理解できません。が、次第に「国際化の進む世間に流通している《アルファベット表記》は、《ヘボン式》なのだ」ということに気がついてきます。いずれは「小学校の先生にダマされてた!」と合点し、《ヘボン式》のローマ字感覚へと「改宗して」ゆくのです。

が。

問題は、(新田氏も指摘するように)幼いころに《訓令式》を詰め込まれたアタマでは、アルファベットの発声観念が狂わされてしまっていて、中学生まで放っておかれたら「矯正が効かなくなっている」ということです。《訓令式》ローマ字学習は結果的に、「英語が正しい発音でしゃべれない」という致命的なダメージを生徒らに負わせてしまうのです。

たとえば、わたしたちのアタマには『T』=『タチツテト』という発声観念が植え付けられてしまっています。もちろん英語の『T』は、実際には『タチツテト』とは発声しません。まあ、『TU』が《訓令式》で教わった『ツ』の音じゃなく、あえて言えば『チュ』に近い・・・くらいはワカるようになります。新田氏は、「だから最初から、小学生に《ヘボン式》を教えよ」と説かれているのです。が、わたしは「それでも不十分だ」と思います。

たしかに《ヘボン式》の『ツ』は『TSU』であって、五十音を「英語読み音」基準で近似させている・・・という評価はできます。しかし逆に、もし『TU』と綴られた英語を見たときには『???』と(まるきり)読めないか、結局は『ツ?』と発声し間違える状況に変わりはないのです。※ちなみに《ヘボン式》の『チュ』は『CHU』であって、『T』を使わない。

結局のところ、英語発音と日本語表記は、同じアルファベットに対しても「違う」のだ・・・・この根本(つか、真実)を、小学校3年生から(ダマすことなく)教え込む以外に、この「アルファベットから発声がイメージされない障害」を根絶する道はない。わたしはそう確信するのです。パソコン教育に便利だとか、そんな一過性の社会の都合でもって「安易に嘘を教える」から話がオカしくなるのです。

で、わたしの理想とする《ローマ字教育》は、《訓令式》を徹底する!という根本に帰します。

このとき、これまでは子供に『TA=タ』という日本語発音で覚えさせていました。その「発音教育」をやめるのです。この時点で、世の中には英語を話す人がたくさん暮らしていて、その人たちがどうアルファベットを読むのか。アルファベットを日常語とする人たちの「発音」でアルファベットを読みなさい、と教えます。

具体的に・・・たとえば「TA TI TU TE TO」を英語圏の人たちは、日本人が「タ チ ツ テ ト」と発声するときほど、舌先を前方には出しては発しません。彼ら肉食系人種の舌は(無言で黙っているとき)日本人より「立って」いて、日本語のタ行のように、やたら前歯の裏っかわ辺りにまでくっ付けた発声法はしないのです。そのことを、アタマの柔らかい小学生の時分に身体(=感覚)でイメージさせる教育が必要です。

わたしなりに教えるとしたなら、まず日本語で「ラ リ ル レ ロ」と子供に言わせます。

それがアメリカ人の「T」を発声するときの舌の位置です。タ行のときより、2センチくらい後方の口蓋に舌を着けていますよね。

で、「その口の格好をしたまま、強引に喉の奥から タ! チ! ツ! テ! ト! と言ってみて♪ 」と呼びかけるワケです。もう具体的にはカナで表記できない音になってます^^;が、 この 「(ル)ァ (ル)ィ (ル)ゥ (ル)ェ (ル)ォ」? みたいな発声が 「TA TI TU TE TO」 です。

『CITY』は書き文字としては「シティ」ですが、読み音では「スィ(ル)ィー」です。『TOWN』も「タウン」じゃなく「(ル)ォウン」です。この基礎が出来てれば、中学校で(英語の)発音に苦労することはありません。

で、結果的に「タ チ ツ テ ト」の読み音に相当するアルファベットはない。もともと違う言葉なんだから、あるハズがない。だけど、比較的「(ル)ァ (ル)ィ (ル)ゥ (ル)ェ (ル)ォ」と「タ チ ツ テ ト」は似通って聞こえるから、日本語のタ行をキマリゴトとして「TA TI TU TE TO」と書くことにしましょうね、それが『ローマ字』なんですよ、と。《訓令式》の根本を、そう教えるワケです。

このようにしてローマ字教育から「50音読み」の悪習を削り、カナ読みとは異なる50通りの英語発音を加えます。

「ローマ字はカナ文字をアルファベットで「書く」ための記号であって、カナ文字通りに「読む」ことはできないんだよ。世の中には、カナ文字を読まない人(=他言語人)も大勢いるんだよ」。。。。そういう「あたりまえの事実」を小さなうちからイメージさせる。そうすることで、結果的に国語能力も英語能力も “まっすぐに” 豊かな人になってゆく ─── わたしにはそう思えてならないのでありますね。はい。
 

迷走するローマ字教育論 ─── 地に足つかぬ、そんな中途半端な「ローマ字学習」なら、導入しない方が良い。の画像

迷走するローマ字教育論 ─── 地に足つかぬ、そんな中途半端な「ローマ字学習」なら、導入しない方が良い。の画像

迷走するローマ字教育論 ─── 地に足つかぬ、そんな中途半端な「ローマ字学習」なら、導入しない方が良い。の画像



はやぶさ「帰還」が目前。ところで、公式ブログの「はやぶさ航行距離は無意味」論について・・・

2010年06月05日 | 日記
《はやぶさ》のカプセル回収ミッションが、いよいよ一週間後に迫りました。ワクワクしますねー ♪♪^^

ところで昨日、公式ブログに「はやぶさの航行距離(=どれだけの距離を飛んだか?)、というのはあまり意味がないのです」という趣旨の記事が載りました。その理由として「いったん、地球の引力を振り切って宇宙空間に放出されれば、何もしなくても太陽の周りを回ることになるからです。(※原文のまま)」とも書かれています。

いやそれなら、「あまり意味がない」ではなく、「捉える意味によって(距離は)ナンとでも言える」とか「ひとことでは答えようがない」と書くのが正しいのではないでしょうか。さらに突っ込んで言わしてもらえば、『移動距離』なんてものは元来「どこかで測定基準の折り合いを意味づけるからこそ、計れる長さ」で、「無意味」と形容すること自体、暴論!?というか、「個人的」価値観の押し付け^^;だと思います。

たとえば、ですよ。

ある人がJR東京駅で、右回りの山手線の列車の、先頭から1両目最後尾のドアから乗車した、としましょう。

それからおよそ1時間15分後(つまり、山手線を一回りしたあと)に品川駅で、その人が6両目最後尾のドアから降りたとします。

さて、このときこの人は、1時間15分でそれだけの距離を移動したでしょうか?

 (1)その人が自力で歩いたのは、およそ100メートルです。

 (2)電車が走った距離は、41.3キロメートルです。

 (3)その人の所在が最終的に移動したのは6.8キロです。

 (4)その間に東京都は、地球の自転で東におよそ1万8000キロ移動しています。

 (5)その間に地球は、地球の公転で・・・・ 【以下略】

・・・等々の幾通りもの「正解」のなかから、たぶん9割くらいの人が(3)を、この問いの場合に対する「距離」としてイメージするに過ぎません。「特定の意味をこじつけて、初めて測れる『移動距離』」なのですから、『航行距離は無意味』と片付けてしまうのは本末転倒したモノ言いでありましょう。

それを言っちゃったら数理の定義も科学も生まれておらず、現代ニッポンも《はやぶさ》もこの世に在りませんよ(苦笑)

結果的に問題の記事も、文章の後半で「特定の意味をこじつけて」概算距離を算出してみせていますから、ナンとゆーか「最初から素直にそーやって計算すりゃいーものを^^;」って感じ(笑) 冒頭にまず「持論」を翳(かざ)して、それで全体の文意を締めくくろうとするのは「余計なお世話」でございましょう。
 
 

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