関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

4月30日は、『とんかつ供養の日』  ※個人的見解です。

2022年04月30日 | 日記
練馬区 まるとし 天ぷら油 焼身自殺 とんかつ

いや 記念日データベースによれば、10月1日がとんかつの日に制定されてるとか。

けど、今いちピン❕ と来ない。「とんかつ」の豚(トン)が「10」なのは素直に分かるが、「かつ」が「勝つ=1位」だから「1」ってのに少々無理が💧 ありゃせんか。

優にダジャレ(おやぢギャグ)年齢な自分には「とんかつ」→「トンツー」→「102日」の方が百倍も自然に感じる。なので個人的に、『とんかつの日』は共感(して祝う気が)しない。

それよりも、きょう 4月30日を『とんかつ供養の日』として、とんかつメニューの有難さに感謝する機会としたいのだ。なぜ「4月30日なのか」は、記事後半に説明する。

さて、とんかつを作ろうとしたが、あいにくニート中年のワンドア冷蔵庫には「カレー&シチュー用の角切ポーク」しかない💧


ならば、このブツ切り肉を「無理くり接合して」ステーキ肉風に?してしまえ。

ラップ敷きの上で、テキトーに積み木を寄せ集めるように扁平状の「ポークの塊(かたま)り」を作り、ラップで包んで圧着。そのまんま冷凍庫で凍らせる。

カチカチのポークが出来たら(表面がヤンワリ感じられるくらいまで)室温でじんわり自然解凍。

半分以上、凍った状態の表面に(通常のカツ作りとは違い)唐揚げの衣の素みたいな「粘っこいツナギ」を厚めに からめ付けて、それに生パン粉を盛り着せる。この状態で、もうしばらく自然解凍。


6割がた肉が緩んできたかな❔ って思ったら、熱した揚げ鍋に投入。

芯が凍ってるから、ときおり水蒸気爆発で油が爆(は)ぜる。けっして鍋に近づかず、かと言って目を離さないこと。

やがて、キツネ色の衣に覆(おお)われた「分厚い」とんかつ❔が完成。ここまでは良いのだが、やはり一枚肉のロースとは違い、サクサクと包丁は入らない。和風とんかつ調に盛りつけるのは、さすがにハードル高かったww


いっそ、切らないまま皿に乗っけて、ナイフとフォークで食うか。もしくは(ぐだぐだな肉片状態なまま)卵とじにして、かつ丼ぽくゴマかすっきゃ💧 なさそうである。


::: 由緒書 :::

2年前の今夜、東京練馬区の某とんかつ屋店主が亡くなった。折しも、まさに蔓延しつつあったコロナ自粛禍で臨休に追いやられた日から二週間。ボヤ騒ぎを起こした店内の厨房で、54歳の妻子ある店主が火傷死する……という痛ましすぎる悲劇だった。つまり、きょうは亡き店主の三回忌。

この、自粛まみれのGW深夜に飛び込んだ悲報の衝撃は、外電で(コロナ発祥元である)中国のSNS上にまで波紋を起こした❕❔ と、返し波のように日本に紹介されたことでも窺(うかが)われる。




あれから二年、たった二年。年齢の近い「生活苦な中高ニート」には、いっそう辛い感情に襲われたのを今も鮮明に憶えてる。

わたしが4月30日の本日を、亡き店主と「とんかつメニューの有難み」に捧げたいと決めた理由は、以上の体験に根ざしてる。悲劇の起きた建屋は今、隣接してたフロアを改装して「しゃれた洋菓子屋」が誕生。結構な評判で行列が出来てるそうなのが、せめてもの救いと言えば救いか。


どうぞ お安らかに。とんかつの美味なる世界よ永遠なれ。 黙祷…❕
=了=

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【✒Photoshop 指南】 学校給食の残像、イチゴミックスジャムの小分けパックを「画像で再現」❕

2022年04月17日 | 日記

数日前のことだ。Amazonさんで購入した商品レビューを書こうとして、ハタと困った。

その「長寿食品」タカ食品 イチゴミックスジャムの、ホンの数年前までは販売されてた「旧版仕様の」細密画像が……ググってもググっても💧ヒットしてこなかった。低解像度のが二三件、引っかかるのみ。せっかくレビューするからには、まず❕ 現行版との見た目の違いから比較画像もUPして一目瞭然に示したかったのに。

それなら…❕

例によって、にわかに「フォトショ工作」の虫がウズき始める。…よォし。画像が残ってないなら、記憶にあるうちにデジタル復元🎵してしまおう。

まず、イチゴジャムの「小分けパック」……その土台部分。幸い、カセイ食品さんの同系なジャムが昭和仕様を今も造り続けてらしたんで、拾った画像から(加工用に)拝借。Photoshopでビヨヨ~ンっと、ヨコ長に引き延ばす。


次に、ビニパック表面に刷られていた意匠の描き起こし。

低解像度で残る「昔の原本」画像を見ると、現行版とは「人物の行進イラスト」がビミョウに違ってる。元々のは、袈裟をかけた坊さんとか頭巾に割烹着まとった主婦とかの姿が混じってて、いかにも昭和40年ころの庶民像。こっちの方を(細密画像に)復元できれば言うコトないが、手本にするオリジナルが小っちゃすぎて💧 トレースしようがない。

残念だが、雰囲気だけは踏襲された現行"改訂"イラストの方を(撮った写真画像をベースに)描き起こしていくことにする。

そーいや、バブル以前の高度成長期って、街中でフツーに(一日に一度くらいは)風船持った幼児に出くわしたもんだ。デパート屋上の遊園地とか食品スーパーの催事、盆踊りとかの町内会行事。イベントってイベント会場には「綿菓子屋と風船売り」が必ずいたモノなのにねえ。

今じゃ都会の空も狭くなって、アドバルーンのひとつも見かけない。アドプレーンの宣伝口上が、軽飛行機のエンジン音とともに空から聞こえる機会も減った。山梨とか、場所によっちゃ今も宣伝ヘリを飛ばしてるらしい。もしや小型機も今じゃジェット化が進んで、低速で飛ぶプロペラ機が(自家用以外では)少ないのか??


と、回想にふけってるうちに、なぞり書き完了。

平成まで続いた旧版デザインは、現行版とは階調が反転してる。そこで、絵柄を白地。バックを黒色のモノクロ画像に変換。


で最後に、これが「パソコンでフォトショを使う醍醐味」のひとつ……白黒ツートーン画像をカラー地の画像に「透かして重ね合わす」。

透かす、と言っても「透過度=0設定」では白い画像、つまり意匠部分がドギツ過ぎ。若干、地の「イチゴ色」が透かし見えるようにすればOK これで出来上がりだ。


今回は「実物の生産が終わってた」から画像で復刻したワケだが、一方、キャラメル包装のフレッシュマリンやサクラ印のミニハネーなど、令和まで生き残ってる「給食用ペースト」商品もある。ミニハネーに至っちゃ平成以来、10本入りで一般スーパー店頭にまで並ぶようになった。

小分けパックは(昭和よりむしろ)個食化が加速する現代にこそマッチするハズ。線香臭く『なつかし銘柄』なんて言ってないで、どんどん目につく場所へと販売の活路を広げてほしいものである。
=了=


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青&黄の「ウクライナ色コーデ」、むしろ欧米では "緊急事態(エマージェンシー)"のイメージ配色として普及。

2022年04月09日 | 日記

晴天の「晴れ」の字は、の漢字で出来てる。

まさに本日は、天空が黄金に輝く太陽と青空に彩られた「青&黄」の「平和なるお天気」である。一方、「青&黄」と言えばウクライナ・カラー

きょうび、その彩りは赤黒い血で汚され、死臭がニュース映像からも鼻腔を突く日常……いちいち話題にするのも気が滅入る(とTVを敬遠する)日本人が増えてるようだ。

だが日本と言う「極東の島国」を離れ、ひとたび欧米文化圏に目を向けると❔

意外なんだが実は、彼ら欧米人の色彩観における「黄色と青のツートン配色」は、本来からして「流血沙汰の緊急事態」と無縁ではないようなのだ。このW(ダブル)カラーは一般に、救急搬送車救急搬送ヘリの塗装コーデとして広く定着してる。


















これはブログ主の「勝手な見解」だが、「白地に赤」という赤十字的な色づかいは、直接で露骨に血を連想させ「不吉でストレートすぎる」。また赤やピンクと言えば暖色の典型であり、明るい昼間は目だっても、薄暗がりでは黒ずんで目立たない(=視覚に映えない)色だ。

だから「赤青黄」の三大シグナル色のなかで、あえて「赤以外の2色」のツートンを「救急搬送🚑のコーディネーション」として浸透させてきたのかも❓ しれない。


余談: 他に「地域カラーとしての青&黄」と言えば…

昭和世代なら ご記憶の(または、ご存じの)かたもいると思うが、「紛争から逃れたウクライナ難民を日本が受け入れる」のは今回が初めてではない。

"前回"は、1910年代の後半から1945年の終戦期にかけての「戦前~戦中」時代 ──。

当時は日本が領有してた樺太(サハリン)やら北方領土を経て、大勢の「白系ロシア人」が日本に命からがら💧 渡ってきてた。「白系ロシア人」というのは「ロシアをソ連=共産体制下に置こうとする革命勢力に抵抗して戦った兵士や、その戦禍を逃れてきた民間人」を言い、ざっと半数程度がウクライナ出身

多くが旧ロシア帝国に傭兵として召し抱えられ、国境添いの駐屯地に「家族ごと赴任しつつ」養われていたコサック兵を家長とする流浪の一族なのだった。

そうして(たとえば大相撲界のレジェンド大鵬関の父親のように)、日本で暮らし直せたウクライナ人もいたが、もちろん一方では極東に取り残されて、ソ連体制下のロシアに帰化永住したウクライナ系"ロシア人"らも数知れなかった。

それゆえシベリアから千島列島(ロシアで言う”クリル諸島”)にかけて、ロシア極東の管轄区(州や区、市など)の旗や紋章には、ウクライナ・コサック伝統のアイデンティティ色である「青と黄色」をあしらったデザインばかりが目立つ のである。


悪く言えば、ソ連体制下の「民族同化政策」の成果なのであり、当時の事情をKGB時代に教わってるプーチンが今回、何千人規模のウクライナ市民をシベリアに強制連行した(との被害証言が出ている)のも、単純に「この頃=ソ連時代の"成功"事例」に戻ろうとした所業❔ とみれば納得できなくはない…。

と、いうワケだから

ウクライナ民族の血脈は、けっして遠く欧州にのみあるのではない。実は、かなり以前から日本の北辺ギリギリまで押し寄せている「すぐ見える距離の血脈」でもあるのだ。
=了=


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