関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

嘆きのガラパゴスJAPAN❕ ── 生鮮食品の価格"高騰"基調、その「消費者責任」を糾(ただ)してみる/フルーツ篇

2018年10月30日 | 日記

今夜の↑ヘッダー画像はロシア、サンクトペテルブルクで母娘が営む《くだもの屋台》。実にラブリーな光景ではないか。

いったい、あちらのフルーツは👛いくらで買えるのだろう。と思ったので、同市内のスーパー店頭写真をググってみた。


見てみると、あちらの生鮮売り場は基本、ドンキ方式で山積みだ。ひな壇式で「圧巻の品揃え」を演出するか、仮に平積みでもボウル等に果実や野菜をテンコ盛り状態にしてある。そして(日本のように)1個売り、複数個売り(=皿売り、パック売り)はせず、秤(はかり)売りである。だから売価は全部、「キロ単価」表記。

秤売りのメリットの最たるモノは、野菜や果物の(サイズや色合い、成熟度の)不揃いによる不公平感が出ないことだ。そもそも、規格外で売れないというバカげた消費風習すら生まずにすむ。加えて(掲示単価が日本みたく百グラムでなく)キロ単位だと、実際に支払う金額は値札の数字からイメージし難く、数個なら値札の何分の一しか払わないのだから、感覚的な「高値感」がボカされたり和らげられたりする。高騰の作柄季でも買ってもらいたい商店主には、多少なり助かる販売法と言えるだろう。

たとえば上の売り場写真の場合、トマトがキロ160円

めちゃくちゃ安いじゃん、などと言うなかれ。サンクトペテルブルク市民の平均月収は3万円から4万円。

出費の痛さを(日本人と)揃えるなら、日常食料の場合「6倍にして」考えなきゃ。つまり1キロ、1000円。現地ロシア人市民のブログだと、キロ300円した!との記述もあったから、日本的に2000円近いコトもあるのだ。日本と同様、ロシア地方都市の庶民にとって生鮮食料は安くない。(ちなみにモスクワだと平均月収が3~4割増しになる分、物価も上がるんだそうだ)

でも考えれば、自給率の伸びない「農業ひっ迫国」ほど(食べるのに)贅沢言ってられないのだから、ロシア的な「秤売り方式」になるのが(むしろ理屈から言えば)フツーなのだ。

ところが日本は奇々怪々。1個いくら、〇個一皿いくら、という売り方が圧倒的に主流❕❔と化してる。

こういう掲示価格だと、消費者はプライスを即イメージできるが、生産者や販売者は「つぶを少しでも揃えて規格選別する」という多大な面倒を強いられる。当然それもコストに乗っかるため、店頭に並んだときの「1個の値段」は秤売りに比べてかなり割高に付く。まあ、この人手不足の大手スーパーの経費勘定では、かえって「割に会う」のかもしれない。個売りにするコトで計量要員を売り場に貼り付かせなくていい。対面販売せずに済ますコトで、より少人数の店員で広い売場面積を切り盛りできてる。

人手に日本ほど困らない世界の「農業零細国」では、生鮮売場用に様々な《料金秤 price computing scale》が普及している。事前に単価が打ち込めるようになってて、モノを乗せると(重量と同時に)売価も表示される「3値」表示式。旧い昭和人なら記憶にあるアレだ。今はもう、対面販売方式の残る老舗精肉店くらいでしかお目にかかれなくなった。


規格をキビしく管理して作物を取捨選別、その大半を「1個いくら」で売るという異常さは日本くらいなもんだが、「一皿いくら」の複数個売りは、むしろ(日本などの農業小国より)農業大国で典型的な販売方式である。


カナダや米国、オーストラリアなどで見かけるバケツ売りバッグ(ポリ袋)売り。それらは総て、「個々の出来のムラを均すために、ドンとまとめ売り」という生産者の都合で採用され、消費者もそれを受容してるから成り立ってる。ひとバケツ当たりの個数すら、決まってなんかない。

対して日本の果実販売の「1皿いくら、1パックいくら」は全3~5個くらいのレベル。その数だけは全皿共通で、ただ微妙な色合いやサイズの差を均したいから、3~5個にしてるまで。基底にあるのは「より値打ちに」ではなく「より均質に、見た目を公平に」という発想なのだ。こんな発想を優先して売る国、日本くらいのもんじゃないだろか。

いったい誰が、1個1個がバラつく「不ぞろい果実」の一切合切を秤売り、という「農業小国に適した販売法」を邪魔し、退けてるのか。

少子化のせいか❔ 少子化の被害は生産者も販売者も消費者も「お互い様」なのに、なぜ最終的に「販売者の言い分」が通り、生産者が苦しみ、消費者が高い買い物に付き合わされるのか。それに甘んじ戦後の高成長時代、次第に「対面販売の高い店」を避け「合理化した安い店」を選び続けた、(団塊の世代を軸とする)消費者どもが浅はか過ぎたのか❔ いろんなコトを訝って、キリがなくなる。

少なくとも、生鮮売場の値札を今のようにしてしまったコトに、(同じ値段なら)少しでも良いモノ、粒ぞろいなモノを選り好む消費者側のエゴ心理が「都合よく利用されてしまった」ことは否めない。その点についてだけは「消費者にも(いつしか秤売りの廃れた今の)高値社会をもたらした責任は、ある」…と思っている。
 
 
 
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それ、そもそも「外箱」でしょ❓ ─── 「Amazon流」に倣(なら)う通販業界、この省資源時代に「過剰梱包」の理不尽。

2018年10月26日 | 日記
先日、Amazonさんで電気ポットを買った。厳密には、「アマゾンに出店しているソフマップ通販」で買った。

で、皮肉なもんだが(アマゾンの荷物は配達しない❕ という路線変更が一時期 話題となった)佐川急便さんが今回、注文商品を届けてくれた。

…が。

開梱する前に、箱【↓画像左】を見て先ず思った。「結局、アマゾンみたく箱に入れてくるんだァ」…と。 《ビックカメラ/コジマ/ソフマップ・グループ》共用の「通販 段ボール箱」を開けると……やはり、その中に商品の「外箱」。
 

Amazonが小売業界深く進攻する前、世間一般的には「メーカーが出荷時に詰めた外箱小売店頭からの最終"お持ち帰り"梱包」であった。それをまた(ひと回り大きな)箱に入れて客に渡す、なんて聞いたコトがなかった。

もちろん、缶ビールの6本パックが、さらに24本入りの段ポール箱に入るコトはある。これは4パックで商品1箱、と単位数が違うワケだから理解できる。しかし、1個の商品外箱を、1個の段ボールに入れるとはナンたる無駄な(=余分な)梱包か。

と言うと、きょうびの平成児諸君は「だって二重にしないと(メーカーの)外箱が汚れたりキズ付くでしょ」と言うのだろうな。しかし現に❕ 昭和の世までは、汚れたりキズ付く場合もあり得ると客の側が許容した上で、メーカー梱包のまま顧客に渡したり、そのまま伝票ペタっと貼って配送に出していたのだ。

大型家電店ともなれば、セール品は外箱に入った状態で↓山積み。買い手が付いて(配達に回すだけの商品の箱には)《売約済》の赤札シール、とか今でも やってるんじゃないのか❔


で、何とか手に提げられる重量の商品である場合、しばしば、公共交通機関で持ち帰ろうとする客もいた。そうなると店員はメーカー外箱の周りをササっと(実に手慣れた感じ🎵で)結束ひもで結わえ上げ、上部に《手提げフォルダー》なる持ち手を取り付けてくれたもんだ。そういう風景、今じゃ絶えてしまったんだろか❔❔


個人的にはショッキングな話だが、それはともかく、Amazonが何でもカンでも「あまぞん箱」に重複詰めして送るのは、破損&汚損事故の回避、ドライバーに「アマゾンの荷物だ丁寧に扱え」とワカらせる、発送時の大量チェックの便宜……等々の理由が推測し得る。

出来れば、「それだけの理由」であってもらいたいモノだが。しかし多方面で「モンスター・クレーマーな人種」が増殖する昨今、やはり「外箱の小傷にもヒステリック&粘着質に苦情を言ってくる野郎」も増えてるんじゃないか……という気がしてならない。

単に購入者が几帳面とか偏執病、って意味でなく。

平成の世はあらゆる商品に買取業者が存在し、メルカリとかの個人間売買ルートも成熟してきたから……結果、「売ることも想定して買う」人がかなりの割合になってそう。そーゆう人種は商品の開梱後、外箱も捨てずに保管するのは当然のこと、見栄えもキレイなままにしときたい、という発想にコダわりがちなんじゃないか。そーゆう風潮で(何もかもがAmazonを追っかけ)今さら、過剰梱包が「納品時のマナー」と化してしまうのは寒々しい話である。

=了=


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すぐ旧弊化する技術への🔥イラ立ち、いつまでも変わらぬ技術への💗安心、の狭間(はざま)に想う。

2018年10月23日 | 日記
きょうは先ず、28年前の雑誌広告をご覧いただこう。これは1990年、バブル絶頂期のもの。

デジタル時代到来の半ば……音楽コンテンツがCD化されても、映像や映像コンテンツの保存はアナログの磁気テープ媒体に頼っていた過渡期があったと思う。 コンテンツの方に関してはレーザーディスクという(デジタル媒体での)販路も生まれていたが、如何せんプレーヤーや「盤」それ自体が高額かつスペースを食い、世間一般への普及レベルにまでは至らなかった。

昭和人ならご存じ、80年代前半「ベータ対VHS」のビデオテープ規格戦争に敗れたソニーさんは、80年代後半に入って(より小型な)8ミリビデオを世に出し巻き返しを図る。8ミリビデオは結果的に、家庭用の携帯ビデオカメラ向けに成功を収めるのだが、そうなる前は「小さくしたベータ」として映像コンテンツも続々(その方向でVHS市場をも切り崩そうと)リリース。この広告の前年、米コロンビア・ピクチャーズ買収へ打って出たコトも、こういったメディア媒体によるソフト資産の拡充、という目論見あっての戦略だろう……と言われていた。


ときにこれ、ド直球の比較広告なワケだが、日本じゃ平成の終わる今でさえ「比較広告」自体がレアなまま^^;なんて、バブル時代の誰が想像したろうか。すでに1986年には公取委が「比較広告ガイドライン」を提示しており、「(比較広告は)原則、禁止しない。ただし公正な計測値等、比較基準が論理的に明らかである場合に限る」とクリアに明文化されていたにも関わらず、である。

それだけ「公正に数値化できる比較」が難しいのか、あるいは「数値で示したところで(あとあと狡猾に反証されて係争にハメられそうだから)比較だなんて憚(はばか)られる」的な、日本人特有の《出る釘ぎらい》が根強かったせい❔なのか。

翌91年にはMC・ハマーがコカコーラを揶揄するTV-CMが放映されたが、これは単にイメージとして(特定した)競合商品を「品格攻撃」するもの…❕、との批判の嵐を被っている。そういう意味では、後にも先にも、このソニーさんの広告が「日本で一番、真っ当に認められた比較広告の手本」である、と言えるのかも❔しれない。

さてさて。それはそうと、わたしは別に「比較広告」の蘊蓄(ウンチク)を語ろうとしたのではない。

上のように比較された8ミリビデオとVHSであるが、あとから思えば、どちらの「寿命」も結局それから15年とは持たなかった。その虚しさを大いに❕ 嘆きたいのである。

映画等のコンテンツを劇場上映やTV再放送に依存せず、わざわざ録画媒体で購入しておくのは「自分の一生モノ」に置いときたい、の切なる想いからだ。それが一向に、「何十年経っても手元で観られる」媒体には⚡なってくれない。技術が短寿命ゆえの、消費期限に囚われる。

怒涛のごとくデジタル録画時代に代わり、(映像コンテンツは)やれDVDだのBlu-rayだの、HDDにネットからダウンロード買いするだの…という時代になり、かつて収集した媒体の再生機器が製造されなくなる。これはレコードからCD(あるいはカセットからMD)、あげくはMP3へと変遷する音楽コンテンツや録音媒体とて同じ。

こんなんじゃ、映像も音楽もストリーミング芸術。すなわち観流し、聴き流しが基本で「消費・廃棄されてゆく非持続的な事物」である…との確信だけが社会に定着してく。記録するための技術が、その急激な進歩によって「記録することの無意味さ」を加速させてる。実にバカバカしい「本末転倒」だと感じざるを得ない。

まあ、それを言ったら「この日記」とて必ず(gooブログの)サービス終了の日が来るのに、おまえは何を毎度毎度、躍起になって更新に勤しんでんだよ❕❔ っつ話なのだが。

だが待て。一方で、基底となる技術の進展が緩やかな、「すぐには変わらない生活テクノロジー」も厳として存在する。

たとえば、調理機器。

実はここ3カ月、わたしは炊飯器を使ってなかった。使ってた炊飯ジャーが、まさに「きょうび忌々しい電子系統」の故障。日々の白米を炊けなくなってしまったからだ。

正確には、もう半年も前から(その炊飯器の後釜にと)圧力鍋を買い置きしてあったのだが、自分はすぐ圧力鍋を箱から出すことはせず、ひとまずフツーに(単なる)鍋で炊くことにしてみた。ただナンとなく「自動炊きじゃなく、マニュアル炊き」したい衝動に駆られて…。


これが(イザやってみると)すこぶる簡単で愉しい🎵 ガラス蓋だと炊きあがる米粒の様子を刻々⏰観察できるから、炊飯時間の10分余が「あっと言う間に」過ぎる。当然ながら、直に自分の眼で(視認しつつ加減して)炊いてるのだから(炊飯器のよーに)設定ボタンを間違え「飯炊きに失敗する」なんてコトも起きない。

ところで上の写真をご覧いただくと、電磁調理器に「National」のメーカーロゴが記載されてる。そう、この「電子コンロ」は20年も前……巷にまだPCも普及せず、日本語ワープロとかが20万円台で電気屋に並ぶ、そんな90年代に購入した物だ。

ときは流れ、小生がリストラ堕ち。ガス代滞納で部屋のガスを止められて以降は、まさにフル回転。

毎日の調理を頼もしく背負い続けてくれてる「竈(かまど)」だが、一度たりとて故障なし。今も、どころか今回は白米まで💜炊いちゃってくれる……この「どっしりとした安心感」にはナンと救われてることよ…❕❕❕

わたしが考える「人間の暮らしに望まれるテクノロジー」は、かくのごときスピード(=移ろい)の物だ。急激に基底が代替わりするような技術は、宇宙深海探査、気候解析、医療や環境保全、飢餓撲滅など……ごくごく限られた分野だけでいい。

だが世の現実は、持続性が増すと低消費でカネにならん。儲けるには消費促進、代替(=廃棄)を早める仕掛けを矢継ぎ早に、と考える奴だけが「勝ち組で、しかも富を増しすぎる」。一事が万事、そんな連中の思惑通り進んでみろ。きっと百年もすりゃ、「ヒト自体が旧弊で非効率。お払い箱にしよう」というSFみたいなディストピア社会が地球を覆う。自分は死んでるから知ったこっちゃなくとも、今生まれてくる子供らの、そのまた子供には厳しすぎる苦難となるだろう。

そんな憂いを抱きつつも、きょうからは白米を圧力鍋で「自動炊き」し始めた自分なのである(苦笑)
    =了=
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平成が始まった時分の”景色”を振りかえってみた①新創刊誌 ───『100RON (月刊[ひゃく・ろん]) 』

2018年10月19日 | 日記

刻々と、平成が終りゆく。 来年の年明け以降はTV各社、「平成はこんな時代でした」的な回想番組やら特集コーナーが山のように企画されてることだろう。

だから、というワケではないが、わたしは「平成」をザックリ輪切りにするような世間一般の回顧じゃなく、ピンポイントの「現象・事象の景色」を切り取ってきて想い浮かぶ時代背景などを“あーだこーだ”と書き連ねてまいりたい。

今回は、その第1弾 ─── 題して《平成初期の創刊誌》篇っ。

ご存じの通り、平成はバブルの絶頂で始まり、長~い「下降と混迷の20年」の中で少子高齢化進み、今の「(好不況が入り混じる)格差社会の伸長」へと至る時代であった。 それはバブル末期の出版事情にも(すでに)兆しが見えていたように思う。

1990年代、まだネット社会が本格到来する前からすでに「若者の活字離れ」は盛んに言われていて、書店経営は(特に小店舗や零細層では)キビしさを増していた。 高度成長期はドル箱だった芸能系の主要月刊誌ですら、昭和の終りから発行部数の頭打ちや休刊の報がポツポツと伝わりはじめていた。

そんななか、何せバブル

世にカネだけは有り余ってたもんだから、短期で早々に休刊しちまう新雑誌も多い一方で、創刊ラッシュだけは止まなかった。 今となっては誰も憶えてないかのよーな、山ほどの月刊/隔月刊誌が昭和末期から平成初期、書店の雑誌コーナーの棚に「次々と目まぐるしく❕ 現われては消えて」いったのである。

かつて、わたしが別棟で紹介した隔月刊誌『INFAS』なんてのも昭和末期の刊。 今夜は別のマイナーな1冊、『100RON』をご紹介する。 日本語フリガナでは[ひゃく・ろん]。 わざわざ[ ](囲み角カッコ)なんか振ってるところにこだわりを匂わせますな。

で、[ひゃく・ろん]とは仏教書の『百論』とは関係なく、「100人に(毎月、決めたお題で)意見してもらいました」、という意味らしい。

だから❔❔ というよーな企画ではないか。 要は、さまざまな人の意見に耳を傾け、得るところは参考にするなり吸収して明日の生きる糧に……みたいな。 クダけた「随筆集」つか、TVの「コメンテーター雑談バラエティ」やAM深夜放送のテキスト・バージョンつか。

とは言え、この雑誌のターゲット読者である30~40代男性に深夜ラジオは(スタミナ的に)キツいし、TVバラエティには当時、ただゲストをズラっと並べて雑談する(きょうび乱立するよーな)トーク番組は存在しなかった。 だから「雑誌でやればウケる」と踏んでの企画だった❔のかもしれない。


毎月のテーマは(今にしてみれば)大別して3つに分けられる、明確な「主義」を核に据えていた。 ざっと並べると…

 恋愛・結婚に前向きの生きかたを❕ …… 女性が苦手な未婚男性へのエール
 クヨクヨすんな。元気に生きよう❕ …… ストレスの解消法、頭の切替え術
 君は君だ。世間になんか臆するな❕ …… 社会の中に埋もれぬ、我流の薦め

①から③まで、それぞれの相互関係も密接だ。

個別に見てくと①は、まさにブログ主の小生含め、バブル期こそが「結婚(女性)畏怖症の適齢期男性」の勃興期であり、恋愛する(=異性とSEX以外の日常で生活を共有する)のが精神的に過剰ストレスな、2018年になった今も結婚にアブれ続けてる生涯未婚男性層の元年なのだ。 この結婚マーケットに巻き起こった新風(もしくは異変)を肌で感じ取ったメディア関係者は大勢いて、1990~92年には独身OLの所得水準が飛躍的に向上した事実を受け、専業主婦願望の衰退傾向が進む中、「結婚しないオンナ、結婚できないオトコ」と題したトレンド分析企画が、時のTV&ラジオを介しても幾度となく報じられてたのは、あなたが昭和人なら(きっと❕)ご記憶であろう。

ただでさえ高齢化するニッポン社会が、この新風潮の追い討ちで「少子化スピードは否が応にも加速し近々、とんでもないコトになりかねない」という漠とした危機感は、平成が始まる時点で顕在のファクター(=多くの国民が周知の事実)に他ならなかった。 ゆえに『100RON』も先々を憂い、3カ月に1度は当該テーマを提起したんであろう。

……が。

大衆とは実に勝手のイイ連中で、世の深刻な面倒ごとは「ボヤいてEND、吠えて憂さ晴らし」つうパターンに終始してしまいがちだ。 同じように②と③も、30年後のブラック企業横行やパワハラ地獄を予見するに十分な、90年代当時の平均的な職場における主任・係長クラスが抱え込んでいた日々の鬱屈感を(僅かなりとも)癒せれば─── そんな想いがあったのだろう、とは偲ばれる。

こういう、世の流れに幾何(いくばく)かの楔(くさび)を打たんとする「ライト言論誌」を支えた出版元は、シップ・スタジオ(のちの小池書院)。主宰してたのは漫画劇作家の偉大なる重鎮、小池一夫だ。

小池先生と言えば『子連れ狼』と、同義語に見紛う代名詞のよーに語られるワケであるが、失礼ながら わたしは原作漫画としての『子連れ狼』をただの一度とて目にするコトもなく50歳を遠く越えてしまった。 それでも氏に(同世代人であった亡き父に勝るとも劣らぬホドの)俗っぽい親近感を抱くのは、かつて愛読していた成人漫画『実験人形ダミー・オスカー』『魔物語 愛しのベティ』の原作者さまでもいらっしゃるからだ。

この『100RON』は時期不詳だが、ほどなく休刊……どころか小池書院も破産手続きを開始(ウィキペディア日本語版)して久しいとか。

ちなみに編集長は、87年からスタジオ・シップのゴルフ雑誌『アルバトロス・ビュー』に関わっていた小池恵子氏。 小池書院は消えても同誌はそれ以前(2005年)に営業譲渡されていたので、転籍から十有余年、彼女は今やグローバルゴルフグループの出版事業部長である。
※文春『クレア』の編集長=小池敬子氏と似たお名前でゴッチャにされやすいが当然、別人。

漠とした現代人の不安や圧迫感の中、マンツーマンの「月刊誌という閲覧デバイス」を介して多くのオピニオンと繋がろう、繋がりたい ──。

そのニーズはバブルの喧騒の中から昂り生まれ、本格ネット社会が急成長する原動力の一端となった。 次の2000年代には「ネットで多くのオピニオンと出会える場所」として巨大掲示板が栄え、メンバー登録性に整理・編纂された交流サイトとして『mixi』を産んだ。 しかし、(一時代の寵児と騒がれた)ミクシィをしても「意見交流」の活力は失われつつある。 それ以前には『関心空間』『とな芝』といった交流サイトの閉鎖があり、次には『SNS疲れ』という用語も拡がっていたから、こうした末路は十年、二十年前から予見されてたと言えるかも。

とかく「つながりすぎ」は「周りの目を絶ちたい」という相反欲求と激しくせめぎ合うもので、後者を惹きつけているのが昨今のゲーム市場なのであろう。

そうしたネットワーク・ゲームには「神秘性」という誘引ファクターが在る。 スピルバーグ監督が『レディ・プレイヤー1』で描いた現実逃避社会の裏側にも「お宝さがし」が在った。 四半世紀前の『100RON』6号の飾り文句=「未知のパワー全開読本」もまた、同じ気分の高揚を謳っていたのではなかったか。 ちなみに、この号に案内された読者プレゼントは……スカラベのペンダント❕❔❕❔


いゃコレって、1992年暮れ当時だから「パワーグッズ」として通っただろうが、今の大人世代の多くはドン引きだろねえww

なぜって、わたしたちは1999年、ハリウッドのアクション大作映画『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』で「人喰い虫としてのスカラベ」という刷り込みを受けてしまったから。



映像の持つ潜在能力は(文字とは違う意味で)スゴい。これを(たまたま)幼稚園~小学生時分にTVの吹替え版などで観ちゃった世代は、成人後も根深いトラウマになってるそうな。 日本でもホンの一時期、カブトムシ価格が下落した。 幸い?その後に増えた「ムシキング世代」によって再び高騰に転じたが。

余談ついでだが『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』は『ザ・マミー』3度目のリメイクだそうで、まァずいぶんと長寿なホラー作品なんだな。 つまり昨年のトム・クルーズ主演のバージョンは4度目のリメイク❕❔ ってこと。 『ミッション・インポッシブル(スパイ大作戦)』と言い『宇宙戦争』と言い、クルーズ主演作にはリメイクやリブート物が目立つ。

そうしてみると平成は、ある程度までは「昭和のリブート」とも思える意識基盤に支えられていたのだ。 次の元号が何と決まるが知らないが、そこでリブートされる平成の意識基盤には、どんな事象が残され、引き継がれるのだろう。   =了=
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【煩悩💗探検隊】 エディケア続々報★「頼りになる、おじさまへ」って…アンタ誰だよ??w── ひとまず調べてみた件。

2018年10月14日 | 日記

いやはや、エディケア・ネタ三たびであるw

今回は新聞広告じゃなく、新たに見かけるよーになったウェブ配信バナー。


さらに小サイズのバナー枠でも見かけるケースが増えてきた。


さあまたゾロ出てきた"新モデル"の「この子」は何者なのか❔❔ 今現在ワカる限りのことを書き留めよう。

このバナー広告の写真、2018/02/23付けで《feely.jp》というコラムサイトの記事『めんどくさい女になってない?ありがちな特徴や行動まとめ』などでも使われている。 そう、もちろん(この画像も)商用素材配布サイトからの買い物なのだ。

同サイトは「この子」がお気に入りのようで、他にも同セット別ポーズが記事『むかつく女と言われないために』『馬油石鹸の効果と人気商品!』…etc. で採用されている。

この別ポーズ版についちゃ、大手ポータルのコラム欄にさえ採用例があった。
 


…というワケで、もう勘のイイ御仁はお気づきだろう。 ここまで広範に頒布できるのは、配布元が大手業者である証拠。
今回のエディケア広告も前回の捜索と同じ、《ピクスタ pixta.jp》さんがネタ元。「素材番号38498044」が、その商品ID名である。【※ 下記画像↓クリックで外部リンク】
 

と、ここまでは(さしたる苦労もなく)調べが付くのだが……実は実は、ここから先がひと苦労だった。

実は「素材番号38498044」の作者=撮影者である《Pangaea(パンゲア)氏》は、被写体であるモデル嬢にはタグを貼ってない。 前回みたく「モデルNo.OOO番」てな共通項を付けてくんないワケだから、 彼女のプロフィールなり「他の画像」は照会できないんである。

さらに面倒なコトには《Pangaea(パンゲア)氏》、アジア各地を飛び回る撮影スタイルだからか(?) そもそも関わったモデルたちの国籍すら曖昧にボカしている。 本件の彼女の場合、日本からのアクセスだと「外国人」とか「中国人」との分類設定が優先され、[日本人]を検索キーに含めるとヒット率が極端に落ちる。 かたや中国語・韓国語など海外版からのサーチだと、一転して(彼女の写った画像は)至極平然と「日本人」枠に分類されてる❕❔…といった案配。 実際、各画像の検索タグにも(互いに相反するにもかかわらず)[日本人]、[韓国人]、[台湾人]、[中国人]、[外国人]、[外人]、[アジア人]、[アジアン]…などと矛盾しまくるフラッグを一緒くたに立ててくれてるのだ。

ナンとまぁ、糞トリッキーな裏細工をしてくれちゃってるんだろ そこまで利用者を惑わす動機が全っ然、イミフである。


さあ。 以上のよーな次第で、彼女ご本人の特定は国籍すら不明なまま終わる……かと思われた。

しか~し!!!

窮地に運良く、わたしは奇跡的な手がかりに遭遇した。 秘密主義の堅物と思われた《Pangaea(パンゲア)氏》が、実はホンの短期間、同Pangaea(パンゲア)名義でインスタグラムを発信していたのだ…❕
 
投稿フォト数、わずかに23枚……そのうちの3枚が辛くも、今回のモデル同セットからの写真だった。

一連の写真はタイの首都バンコクで撮られた、と判明。 だが(ワカったのは)それだけじゃない。


ぬァんとナンと、その画像には当人インスタグラム垢へのタグが貼ってあるではないかっ🎵🎵

やったやったァ 最後はホントあっけなく、お目当ての彼女へと辿り着くコトができた。 正直これまで捜索した3人のエディケア・モデルのなかでは一番「リアルな彼女」に到達できた、喜ばしくもスクーピーな成果だ。


↑↓バンコク在住モデル、ボタンさんのインスタグラムより
いちおー簡単な素性だけ記しておくと、彼女はバンコク在住26歳〔93年3月生〕のタイ人モデル、ボタン・スピサラさ~んっ。 母国語の他、英語と韓国語も嗜む。



きょうびの娘っ子らしくSNSは使いまくりなので、(これまでのモデル二人とは異なり)タイ語ながら近況が刻々と覗けますぞ もっとも……しっぽり同棲中のカレシ持ちゆえ^^; あいにく恋心までは実らぬがww [※後紀] 2020年中に破局して(?) 現在はFREEの模様。

なぜか 2019年7月6日には、名古屋市内にいた(❕)んだそうだ。行動半径、広っ

というのも当たり前で、実はLCC航空会社タイ・ライオン・エアのキャビンクルー「一応の正業」だとか。当然、半ば非正規の安月給なんで非番のときにモデルのバイトもしてるらしい。常日頃から福岡や関空、中部国際辺りまでは飛んできてる人なのであった。

2019年夏には、日清フーズ・タイランドの「激辛インスタント焼きそば」TV-CFにも起用された。

つか↑ このメニュー。チキンとケチャップ足してる時点でミーゴレンそのものだわ

…で、最後に雑学。 彼女の名前「ボタン」というのは日本人のファーストネームとも、名前の省略形である欧米人名とも違う、タイ社会で特有のあだ名(ニックネーム)」なんだそうだ。 たぶん、意味的にはフツーに「(衣服の)ボタン」で、タイの親たちは身の回りの俗物や動物から、いともテキトーに愛児のニックネームを付けるんだとか。 事物万象を神聖とみなす信仰心のあらわれ?なのか、いやビックリな話である。   
=了=

おまけ【後日談】
ナンと本記事の「スピサラさん画像」、この記事がきっかけか否かは判然としないけど……UPから1年と1ヵ月後には、われらがgooブログのTOPページにまで❕❔お目見えしたwww
 

本画像もまた、Pangaea氏/PIXTAさんの販売画像である。これってえ、まったくの偶然なんだろか。それともォ…???
 
 
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