少子化は、当然ながら進行する国の産業界にも(さまざまな形で)影響を与えます。
きょう、そして次回の2回は、わたしが気づいた「お菓子」に関する話題を取り上げます。
お菓子。
菓子折りとか銘菓の、そっちの菓子の話じゃありません。チョコレート、ビスケット、ポテトチップス、アイスクリーム等々の、いわゆるスナック菓子の周辺について、です。
まずは、ご覧あれ。ブラジルのマベル社のTVコマーシャル。
見てて、今の日本人として違和感があるのは…ズバリ、宣伝してる対象、なんじゃないですかねー。このCM、明らかに低年齢な子供に訴えかけている映像、なワケで。
日本じゃこーいうCM、めったにお目にかかりません。スナック菓子というものは、中高生~ヤングアダルト層を狙った商品だからです。
小さな子供は少数派ですから、そんな連中の感性を刺激するメリットがない。
昭和50年あたりまでは、(日本でも)まだまだ子供相手のCM流してたハズなのに、短期間でこの変わりようはハゲしいものがあります。森永の『ちょこべえ』なんてCMも、昭和後期にはヒットしましたねー。
そしてまた、こんな風潮の創出には少なからぬ“余波”を覚悟する必要があります。なぜなら、TVは幼児や低学年の児童も等しく目にするイメージ媒体ですから。
大人が単なる損得勘定で、大人相手のコミュニケーションに徹したTV番組づくりをします。それでも児童は、その番組やCMで起きている事例の意味を(動物の成長本能で)理解しようと努め、いずれは関わろうとする努力をします。こどもたちは、自分たちが主役でない映像を見ていても、無意識にそこからコミュニケーションの手法を学習しているように感じます。
つまり、こんな国で育ってゆくこどもは、否応なく急速に“大人化”せざるを得ません。
職場の上下関係やストレス、言い訳や手抜きの効用や達成感を、自分たちこども同士の関係にも興味本位で実践し、それはもう貪欲に吸収していきます。
ことは、単なる菓子の広告で済まされなくなってきます。
子供にやさしくない社会の子供は大人ぶる。紛争の激しい社会の少年兵のように、それが彼らなりの生存本能だからです。それを可愛くない(=こどもらしく、無邪気でない)といって、逆に疎んだり諭したり、果ては一方的に虐待する親(というか、こどもを持つこども)たちが出現すれば、それはこどもたちにとって(親を殺らなきゃ、自分の明日は来ないという切羽詰った)究極の戦場にもなりかねません。
きょう、そして次回の2回は、わたしが気づいた「お菓子」に関する話題を取り上げます。
お菓子。
菓子折りとか銘菓の、そっちの菓子の話じゃありません。チョコレート、ビスケット、ポテトチップス、アイスクリーム等々の、いわゆるスナック菓子の周辺について、です。
まずは、ご覧あれ。ブラジルのマベル社のTVコマーシャル。
見てて、今の日本人として違和感があるのは…ズバリ、宣伝してる対象、なんじゃないですかねー。このCM、明らかに低年齢な子供に訴えかけている映像、なワケで。
日本じゃこーいうCM、めったにお目にかかりません。スナック菓子というものは、中高生~ヤングアダルト層を狙った商品だからです。
小さな子供は少数派ですから、そんな連中の感性を刺激するメリットがない。
昭和50年あたりまでは、(日本でも)まだまだ子供相手のCM流してたハズなのに、短期間でこの変わりようはハゲしいものがあります。森永の『ちょこべえ』なんてCMも、昭和後期にはヒットしましたねー。
そしてまた、こんな風潮の創出には少なからぬ“余波”を覚悟する必要があります。なぜなら、TVは幼児や低学年の児童も等しく目にするイメージ媒体ですから。
大人が単なる損得勘定で、大人相手のコミュニケーションに徹したTV番組づくりをします。それでも児童は、その番組やCMで起きている事例の意味を(動物の成長本能で)理解しようと努め、いずれは関わろうとする努力をします。こどもたちは、自分たちが主役でない映像を見ていても、無意識にそこからコミュニケーションの手法を学習しているように感じます。
つまり、こんな国で育ってゆくこどもは、否応なく急速に“大人化”せざるを得ません。
職場の上下関係やストレス、言い訳や手抜きの効用や達成感を、自分たちこども同士の関係にも興味本位で実践し、それはもう貪欲に吸収していきます。
ことは、単なる菓子の広告で済まされなくなってきます。
子供にやさしくない社会の子供は大人ぶる。紛争の激しい社会の少年兵のように、それが彼らなりの生存本能だからです。それを可愛くない(=こどもらしく、無邪気でない)といって、逆に疎んだり諭したり、果ては一方的に虐待する親(というか、こどもを持つこども)たちが出現すれば、それはこどもたちにとって(親を殺らなきゃ、自分の明日は来ないという切羽詰った)究極の戦場にもなりかねません。