関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

2016年10月1日より、日記ブログを始めます。

2016年09月07日 | 日記
現在、「関心空間」さんで日記投稿している者です。

「関心空間」のサービス終了に伴い、こちらに引っ越す予定です。 よろしくお願いいたします。

 ・『関心空間』(退会済み|10月末終了予定)
 ・わたしのKW(キーワード)
 ・関心空間終了まであと…

エクスポート機能開始に伴い、こちらの日記の更新は9月末までといたします。 日記無精な小生でしたが、お読み&コメいただき有難うございました。

2016年09月06日 | 日記
10月1日以降は、gooブログ(こちら)に綴る予定です。 それまでにエクスポート&インポートの作業日誌的なことを こちらで綴りたいと思います。

KWに関してはエクスポートせず、10月末までに全削除します。 手動で こちらに移行中です。

さて、話は3日前に戻りますが先日、「菊川の街が寂びれてた!」と嘆いてたら9月3日、《つま恋》終了!? の発表がありましたね。 あまりに(自分の実感のなかでは)タイムリーな?話題だったので驚かされました。

《つま恋》自体には一度とて行ったコトはないのですが、バブル転落期(=自分の"放浪"期)をピークに商用で近辺の丘陵を駆けずり回ってて、《つま恋》方面の道路標識だけは^^; 瞼の奥に焼き付いております。 まあ、「《つま恋》=苦い記憶因子のひとつ」、でしょうか。

ヤマハ音楽族のひとり八神純子氏は最近、某国営ラジオで東日本大震災のチャリティー活動(を通しての"芸能活動"本格再開)を振り返って、「震災の一報を米国で聞き、母国のために何かしなくちゃ!という衝動に突かれるまま、まずはメールで、日本の公共機関に宛て数十通、「かつて歌っていた八神純子と申しますが、支援を募るチャリティ・コンサートの機会があれば(開催地がどこであれ)是非参加したいので、関連情報など教えていただけませんでしょうか?」と送ってみたのが、モノの見事に全件!? スルーされてしまった。 今や「八神純子」とは これほど無力な名前なのかと正直、悔しく思った。 しかたなく、直接(国際電話で)自ら片っ端に役場に電話してみることにした…云々の証言をされてました。

…しかし。

これは「ニッポンが八神純子に冷たかった」というより、二重の意味で八神さんが「アメリカ生活ボケ」してた、というのが真相なのでは ありますまいか。

欧文と違い日本語の文章は、実際に筆記するとなると、タイピング(打鍵法)の数倍の時間がかかる。 したがって、まだまだ電子メールは意思伝達法として「略式」に思われがちで、郵送で書面を送るほどの「迫真さ、誠心さ」を相手側に伝えることはできない……というのが、ひとつ。

第二に、日本の役所は国内の如何なる企業体組織よりも(体質的に)旧弊なままであり、わたし自身がごく日常的に(派遣先の民間企業で)味わっているよーな、50代の日雇いを30代の若造が顎で使う、といった『年功原則の崩壊』は全く起きてません。

役場ではほぼ間違いなく、市民からの電子投稿の受信チェックは10~20代の若手職員が(30代リーダーの管理下で)担ってて、そこで 「八神純子」のネームバリューが限りなくゼロなのは、フツーに考えりゃ当然の話!!^^; なんですよ。

米国生活してない「昭和のセレブ」なら、たとえ彼女と同じ動機を抱いたとて、公共の窓口に電子メール打ってみよう…などとは考えてもみなかったハズです。

ニッポンのお役所とは徹頭徹尾、直接電話するなり押しかけるなり、書面を紙で送りつけるしか意思を表する手段のない場所なんだ、ということ。 だから《マイナンバー制度》にも、未だウサン臭さが充満しまくってるのだ、ということ。 これらの、ニッポンでは ごくごく「あたりまえの空気感」なり「あたりまえの皮膚感」が、永らく異国生活してしまうと(どーしたって)鈍らざるを得ない。。。そんなコトを、彼女の愚痴?から痛感させられた次第なのですね。はいー。

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【勝手に怪談問答】今から50年前、ありえないシチュエーションで「スズキのS字エンブレム」が撮影されてるんですが、そうなった経緯をズバリ説明できるかたはいませんか?

2016年09月03日 | 日記
映るハズのない時代に、映るハズのないモノが映っている ━━━ そんな《オーパーツ》的なミステリーが実は、ごくごく最近の、現代史上のなかにも起きているとしたら?

さて…。

ここに添付した画像は、60~70年代フランスで絶大な人気を誇ってた音楽雑誌サリュ・レ・コパン(2006年廃刊)の、その1966年3月号の表紙。

渋いレザースーツ・ファッションで身を固めた(当時バリバリの)アイドル歌手、フランソワーズ・アルディ嬢がモデル…なんですが、脇に抱えたヘルメットに? 見紛うコトなき『スズキのエンブレム』が…!!?


時代考証的に言って^^; これ、ってオカしくないですか?

いや、このS字エンブレムが1966年のパリに"存在する"のは 別にいいんです。スズキが社章にこのエンブレムを制定したのは1958年。60年代に、同社がヨーロッパに(このエンブレムを付して)オートバイを出荷していたとしても不思議はありません。

が…。
問題は、ですよ。東京オリンピックの2年後=1966年という時代に、当時のフランスの若者たちにとって、果たして日本製のバイクが「クールだったのか」です^^; たとえばスズキは、そんなに当時の欧州オートレース界を席巻するほどの"かっけー名車サプライヤー"だった…とでも言うのでしょうか??

そうでなくとも、21世紀の今でも「結局のところフランス庶民は、日本人を陰で見下しているにちげーねえ」的な被害意識を捨てきれない自分のような者には、この、「50年前にフランスの国民的アイドルが、スズキのヘルメット抱えて雑誌の表紙に収まってる」という事象が どうしても"厳然たる事実としては"呑み込めません。

どなたか、このシチュエーションが半世紀前に存在し得たと「明快に説明できる」かたは いらっしゃいませんでしょうか? いたなら、ぜひ!そうなった根拠を拝聴したいものです。