安楽死論争の中核の1つであった水谷秀男の死は、間違いなく、明朝のトップニュースだ。このことが、その後、どれほどの影響を世間に与えるかは、計り知れなかった。
水谷の死は、始め、城山の頭の中を一杯にしたが、その原因を警察で聴かなければ、どんな思考も回転を始めないとわかると、次に城山の頭を満たしたのは、老人の死の影響力、そして、論争の一端を、水谷と共に走り続けてきた自分への風当たりの強さだった。雑誌記者の城山と、妻を亡くしたばかりの水谷が知り合ってから10年。・・・この10年というもの、城山は、水谷のスポークスマンとして働き、自ら記者としての地位を築いてきた。が、それも、水谷老人が死んだ今となっては、安楽死反対派からのバッシングのネタにしかならない。
城山と水谷老人は、ある目的のために共に走り続けて来た戦友と言ってよかった。だからこそ、親と子ほど年が離れ、先に死ぬのが自然である年に達した水谷が死んだと聞いた時、「なぜ」という疑問符の後に、「1人で、先に死んでしまったのか」という言葉が浮かんできたのだ。
水谷はよく言っていた。
「私は妻のような延命だけは御免です。」と。
病院のベッドの上で、うつろに天井の隅を見つめたまま人口呼吸をしていたのは、よく笑い、よく泣き、よく怒る、私の妻・和子ではなかった、と彼は、その妻(おんな)の人口呼吸器の動きが医師の手によって停止されたその日のことを、時々、思い返していた。
そして、言うのだ。
「あの瞬間、私は、心から、安堵できたのです。」と。
(つづく)
水谷の死は、始め、城山の頭の中を一杯にしたが、その原因を警察で聴かなければ、どんな思考も回転を始めないとわかると、次に城山の頭を満たしたのは、老人の死の影響力、そして、論争の一端を、水谷と共に走り続けてきた自分への風当たりの強さだった。雑誌記者の城山と、妻を亡くしたばかりの水谷が知り合ってから10年。・・・この10年というもの、城山は、水谷のスポークスマンとして働き、自ら記者としての地位を築いてきた。が、それも、水谷老人が死んだ今となっては、安楽死反対派からのバッシングのネタにしかならない。
城山と水谷老人は、ある目的のために共に走り続けて来た戦友と言ってよかった。だからこそ、親と子ほど年が離れ、先に死ぬのが自然である年に達した水谷が死んだと聞いた時、「なぜ」という疑問符の後に、「1人で、先に死んでしまったのか」という言葉が浮かんできたのだ。
水谷はよく言っていた。
「私は妻のような延命だけは御免です。」と。
病院のベッドの上で、うつろに天井の隅を見つめたまま人口呼吸をしていたのは、よく笑い、よく泣き、よく怒る、私の妻・和子ではなかった、と彼は、その妻(おんな)の人口呼吸器の動きが医師の手によって停止されたその日のことを、時々、思い返していた。
そして、言うのだ。
「あの瞬間、私は、心から、安堵できたのです。」と。
(つづく)