すずりんの日記

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小説「ある男の物語」2、老人の遺書Ⅰ③

2005年07月24日 | 小説「ある男の物語」
 私たちは幸せだった。妻が夫を尻に敷く、いわゆる、ごく一般的な夫婦だった。和子はまもなく男の子を産み、その子が30歳の声を聞くまで、私たちの幸福は、それ以上になることも、それ以下になることもなかった。
 たった1人の息子は、顔は私に似て地味だったが、性格的には、和子に似て能動的で、いつも近所の奥さん連中に、
「あなたはお母さん似ね。」
と言われていた。和子は、強い妻から、強い母へと姿を変え、それは、息子が28歳で結婚しても、彼に常に強い影響を与え続けた。和子の、母性という愛情のはけ口が息子から離れたのは、私たちに孫ができてからだった。和子は、息子の時には持てなかった、女の子に対しての“かわいい洋服を着せてあげたい”という欲求を抑えることができず、一日も早く孫の顔が見たいと言い張った。それは、表向きには決して激しくぶつかることがないかわりに、胸の奥に、一本折れることの無い主張を持った嫁をも、
「親子3人、揃ってお義母さんたちに会いに行きます。」
と言わしめたほどだった。

 息子は、車を持ってはいたが、軽乗用車で、荷物と、退院後3週間しか経っていない嫁と孫がゆとりを持って乗れるほどの代物ではないので、私が自分のワゴン車で彼らを迎えに行くことになった。日が傾きかけてきても、いっこうに陰りをみせない蒸し暑さに、私は少しうんざりしていたが、今から行けば今日中に戻って来られるから、という和子の言葉と一緒に玄関から押し出され、和子の視線に急かされるように、ワゴン車に乗り込んだ。
 もう少し早い時間なら、車で2時間はかかる距離だったが、以外に早く、1時間半をほんの少し越えるくらいで、嫁の実家に到着した。それが、その後の出来事を誘発する油断に繋がったのかもしれない。私は、息子が運転を代わると言うのにも関わらず、息子に、3人とも後ろの席に座ってくつろいでいるように、言った。
そうやって出発してから約1時間後、ちょうど高速道路を走っている時だった。・・・たぶん居眠りでもしていたのだろう。前を走っていた車が、蛇行し始めたかと思うと、急にブレーキランプが点いて、止まった。私は、車間距離を取ってはいたが、道路の真ん中で止まってしまった車を避け切れず、急ブレーキの後、衝突した。その時の衝撃が、覚悟していたものより小さなもので終わり、ほっとしていたところに、バックミラーに納まり切らないトラックの車体が目に入った。



 ――その後のことは、・・・何も覚えていない。ただ、ただ、後に残ったのは、私は生き残り、息子と嫁と孫の3人は、残らず死んでしまったという現実だけだった。


(つづく)
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