和子は、器械に生かされたまま1年を過ごし、そんな和子を毎日欠かさず見守り続けてきた私も、1つ年を取った。
そんな頃、主治医の先生は、改まった顔で私にこう言った。
「水谷さん、もし、身体的、経済的、もしくは精神的にも、もう奥さんの介護を続けていくことができない、という状況になったら、いつでも私に相談してください。」
私が、それはどういう意味なのかと尋ねると、和子の意識が1年戻らなかったことで、これから先、意識が戻る可能性が少しずつ減っていること、そして、そうなった今、私には、二者選択ができる、と言うのだ。1つは、和子の快復を、その低い可能性に賭け、看護を続ける。そして、もう1つは、和子の死ぬ権利を尊重し、一切の器械を停止させる。・・・つまり、「安楽死」だ。
「安楽死」――― その時の私には、思ってもみなかった選択肢だった。私は、その言葉を口にすることすら罪深いような気がして、その言葉を、頭から追い払うように、私が生きている限り、和子の生命力に賭けたい、と言った。医者は、普段はおとなしい私が、そう言い切ったのを見て、そこに、かけがえのない夫婦愛を見たかのように、ほっとしたような、残念そうな顔をして、一言、「そうですか」と言い、それきり、その話題に触れることは無かった。
(つづく)
そんな頃、主治医の先生は、改まった顔で私にこう言った。
「水谷さん、もし、身体的、経済的、もしくは精神的にも、もう奥さんの介護を続けていくことができない、という状況になったら、いつでも私に相談してください。」
私が、それはどういう意味なのかと尋ねると、和子の意識が1年戻らなかったことで、これから先、意識が戻る可能性が少しずつ減っていること、そして、そうなった今、私には、二者選択ができる、と言うのだ。1つは、和子の快復を、その低い可能性に賭け、看護を続ける。そして、もう1つは、和子の死ぬ権利を尊重し、一切の器械を停止させる。・・・つまり、「安楽死」だ。
「安楽死」――― その時の私には、思ってもみなかった選択肢だった。私は、その言葉を口にすることすら罪深いような気がして、その言葉を、頭から追い払うように、私が生きている限り、和子の生命力に賭けたい、と言った。医者は、普段はおとなしい私が、そう言い切ったのを見て、そこに、かけがえのない夫婦愛を見たかのように、ほっとしたような、残念そうな顔をして、一言、「そうですか」と言い、それきり、その話題に触れることは無かった。
(つづく)