ハーシェルが生きていることを彼らが知ったのは、私たちが既にその場から立ち去ってからのことだった。その後ハーシェルは、またもや激怒し、ナチスの教官に一切を打ち明けたのだそうだ。自分がどれほどまでに私によって自尊心を傷つけられたかを切々と訴え、私に罰を与えてください、と頼んだらしい。その結果、私は、“寮の食事一回抜き”の罰を食らったが、逆にその冷淡さを買われて、卒業を待たずに、着実に総統の部下としての階段を登っていた、将来のナチス党党首のボルマンと一緒に、ヘス副総統の部下となることができたのだった。彼は、というと、その、気の弱さを克服するようにと、注意を受け、かなりの間、ナチス失格の汚名を着せられていたという。
彼とはその後、会うことは無かった。この8年もの間、私たちは、ヘス副総統、ヒムラー長官という、総統の片腕とも言われる2人の幹部の配下に就き、ナチスとしての教育を徹底的に受けてきた。そのおかげで私は、自分個人の感情で人を憎むということを忘れ去ることができたのである。彼によって、新たに私の感情がかき乱されるようなことが無い限り、私にとって彼は、「2度も私にケガを負わせた、憎き級友」ではなく、「ナチスを守るために忠実に仕事をこなす、ドイツが誇るべきゲシュタポ」なのである。
ハーシェルが死んだ時、自分はもしかしたら、涙を流すかもしれない。―――ふと私はそう思った。何の根拠も無く、である。彼の中に、何か因縁じみたものを感じているのかもしれない。私にとっては、彼の存在が、「人生の転機」なのだという気もする。もし、本当にそうであれば、彼が死んだ時、その時に私の人生も、ある意味で終わりに向かうと言える。私と彼の生命は、そうやって、今までずっと何かで因縁づけられた生と死を繰り返してきたのだろうか。そして、これからも。・・・私も彼も、何とちっぽけな、何と儚い、何と無力な存在なのだろう。・・・まるで、降っては融け、融けては降り積む雪の結晶のような。・・・そう。全ては真実なのだ。あの、夢に出てきた女の子が私であるということも、その夢から覚めた時、私が涙を流していたということも。そして、たぶん、・・・ハーシェルが死ぬ時、私は涙を流すかもしれないということも。
「私の話を聞いているのかね?」
急に私は、一人のナチスとしての自分を取り戻した。
「私は何も、暇を持て余して今日の式典の様子をいちいち君たちに話してやっている訳ではない。私の側近だったヘスに代わって、君たちに早く私の片腕となって欲しい。そのために、こうやってわざわざ時間を・・・。」
「総統、失礼いたしました。今日は少し、体の調子が良くないもので・・・。」
「そんな言い訳が通じると思っているのか!だいたい、君は最近少し・・・。」
「総統、次の御予定が入っておりますが。」
・・・助かった。ボルマンが、総統に気づかれないように、私に小さく目配せをした。彼も私も、総統の癇癪には、ほとほと閉口していたのだ。総統は、まるで何事も無かったかのように、次の予定の場所に向かう準備のために、自分でドアを開け、足早に出て行った。
「雪か・・・。」
私が、肩を落としてこう言うと、ホッとして総統の後を追おうとしていたボルマンが、しばし、動きを止めてこう言った。
「雪?なんだ?次の実験にでも使う気なのか?」
私は、また、彼にグラスを投げつけたいと思った。しかし、グラスどころか、手には何も持っていなかった。私は、彼は悪気があって言ったのではないのだ、と思い直した。
「まぁね。」
私は、自分の心を隠すかのように、ボルマンと一緒にこの部屋を出た。
(第1章Ⅰ終)
彼とはその後、会うことは無かった。この8年もの間、私たちは、ヘス副総統、ヒムラー長官という、総統の片腕とも言われる2人の幹部の配下に就き、ナチスとしての教育を徹底的に受けてきた。そのおかげで私は、自分個人の感情で人を憎むということを忘れ去ることができたのである。彼によって、新たに私の感情がかき乱されるようなことが無い限り、私にとって彼は、「2度も私にケガを負わせた、憎き級友」ではなく、「ナチスを守るために忠実に仕事をこなす、ドイツが誇るべきゲシュタポ」なのである。
ハーシェルが死んだ時、自分はもしかしたら、涙を流すかもしれない。―――ふと私はそう思った。何の根拠も無く、である。彼の中に、何か因縁じみたものを感じているのかもしれない。私にとっては、彼の存在が、「人生の転機」なのだという気もする。もし、本当にそうであれば、彼が死んだ時、その時に私の人生も、ある意味で終わりに向かうと言える。私と彼の生命は、そうやって、今までずっと何かで因縁づけられた生と死を繰り返してきたのだろうか。そして、これからも。・・・私も彼も、何とちっぽけな、何と儚い、何と無力な存在なのだろう。・・・まるで、降っては融け、融けては降り積む雪の結晶のような。・・・そう。全ては真実なのだ。あの、夢に出てきた女の子が私であるということも、その夢から覚めた時、私が涙を流していたということも。そして、たぶん、・・・ハーシェルが死ぬ時、私は涙を流すかもしれないということも。
「私の話を聞いているのかね?」
急に私は、一人のナチスとしての自分を取り戻した。
「私は何も、暇を持て余して今日の式典の様子をいちいち君たちに話してやっている訳ではない。私の側近だったヘスに代わって、君たちに早く私の片腕となって欲しい。そのために、こうやってわざわざ時間を・・・。」
「総統、失礼いたしました。今日は少し、体の調子が良くないもので・・・。」
「そんな言い訳が通じると思っているのか!だいたい、君は最近少し・・・。」
「総統、次の御予定が入っておりますが。」
・・・助かった。ボルマンが、総統に気づかれないように、私に小さく目配せをした。彼も私も、総統の癇癪には、ほとほと閉口していたのだ。総統は、まるで何事も無かったかのように、次の予定の場所に向かう準備のために、自分でドアを開け、足早に出て行った。
「雪か・・・。」
私が、肩を落としてこう言うと、ホッとして総統の後を追おうとしていたボルマンが、しばし、動きを止めてこう言った。
「雪?なんだ?次の実験にでも使う気なのか?」
私は、また、彼にグラスを投げつけたいと思った。しかし、グラスどころか、手には何も持っていなかった。私は、彼は悪気があって言ったのではないのだ、と思い直した。
「まぁね。」
私は、自分の心を隠すかのように、ボルマンと一緒にこの部屋を出た。
(第1章Ⅰ終)