大切なものを挙げるとしたら
2人の名前は『勇樹』と『温子』といった。
ユゥキとアツコは、お互い仕事を持ちながら軽音楽をやっていた。
すなはち、2人とも同じバンドのメンバーだったのだ。
勇樹はボーカル。温子はリードギター。
バンドには他にもう2人メンバーがいた。
ベースの登呂緒(とろお)と、キーボードのpan(ぱん)。
ドラムは万年募集中であった(笑)。
その日、勇樹たちは地元のライブハウスで演奏をしていた。
すると、あるしゅんかん勇樹の耳が全く聞こえなくなった。
それでも、勇樹は途切れることなく歌を叫び続けた。何も聞こえない空間に、自分の声を響かせた。
少しして、勇樹の世界に音が蘇えった。
誰もその一連の出来事に気付かなかったし、勇樹自身もライブが終わる頃にはそんな事はすっかり忘れていた。
だけれども、
「ユゥキ、お前1回トチったろぉ~??」
登呂緒に言われた。
「お前耳オカシイんじゃねーの?」
勇樹はやり返した。
「楽器弾かなくていいんだから、せめて普通にミスはするなよ」
panが眼鏡を指で支え上げながら冷静に言う。
「うるっせーっ!俺はミスなんかしてねえ!!」
登呂緒とpanが顔を見合わせて笑う。
「二度とすんじゃねーぞっ」
そう言って楽譜を丸めて作った「こん棒」で勇樹の頭を叩いたのが温子だ。
その叩かれた感覚が、妙に勇樹の頭に残っていた。
「コンコン、コンコン、入ってますかあー?」
痛えーな
「まだ起きない。こん中なぁんにも入ってないんじゃないの?」
だからおデコを叩くなよ
「今なん時だか分かってますかあー? もう遅刻だよ!!」
遅刻!?
勇樹は起き上がって、
「アツコ、いま何時!?」
「時計見なよ」
温子は勇樹の目の前で目覚まし時計をチラチラと振った。
「ヤッバ!!それ鳴んなかったろ!?」
「ず~~~っと鳴ってた。アタシが止めるまで鳴ってた。キミ……」
「アツコサンキュ!行ってくる!」
速行(そっこう)で着替え終えた勇樹は、アパートを飛び出した。
「最近たるんでるぞ~」
温子は誰もいない空間に向かってそうつぶやいていた。
「ツイッターかアタシは」
……すんません。
そのあたりから、勇樹の耳は次第に聞こえなくなっていった。
普通の会話もままならず、アツコやバンドのメンバーとの会話も筆談で行われた。
「ユゥキ……実は私もユゥキみたいに、時々耳が聞こえなくなる時がある」
温子が勇樹と同じ病気になり、順繰りにpan、登呂緒も耳が聞こえなくなった。
その頃には、世界中のほとんどの人々の耳が、聞こえなくなっていた。
それでも勇樹達は、音楽活動を止めなかった。
メンバーの何かを伝えたい欲求は抑えることができず、存在すらしているのか分からない『音』を、勇樹達は身体全体を使って表現した。
勇樹達の真摯な情熱は、人々に伝わった。
その頃から固定ファンがそれまで以上に増え、大きなライブハウスでもイベントを行うようになった。
そして、その日はやってきた。
勇樹達のバンドの、初めての野外ライブの日。過去最多の観客動員を見込んだ、一大イベント。
その日は、『皆既日食』がある日であった。
一大天体ショー……日食がある中で、今までで最も大きなライブを行うことは、勇樹達にとって楽しみな挑戦であった。
何か自然の大きな力で、この病気が少しはマシになるんじゃないか……そんな思いが無かったわけでもない。
そしてライブが始まり、会場は熱狂に包まれた。
そこにいる人達の、表情を見て欲しかった。
こういう時に、人間はこういう表情をするのである。
日食が始まった。
あたりが薄暗くなる。それと同時に、皆の瞳から光が失われていった。
そして、太陽が陰の後ろに完全に隠れたとき、その会場だけでなく、全、世界中の人々は光を失った。
彼らの目は、何も見えなくなったのである。
そうして我々人間は、音も光も失った。
それは生きる術を失ったことと同義なのか。
そして勇樹達のライブ会場。
ステージの上。いや、もはやステージも客席もなにもない。
そこにいた人は、音楽の中にいた。
バンドのメンバーは演奏を続けていた。
ユゥキは歌を叫んでいた。
「独りで一生懸命にならなくていいんだよ」
何かが、手に触れた。
それがなんなのかは分からない。でも、温かい。
そして両方の手が、あたたかいものに触れた。
それを握って、大きな歌を叫んだ。
同じように、みんなが歌っていたのではないか。
そのときわかった。
俺は、世界中のヒトで出来ている。
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この作品、もしかしたら『原作』をご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
これは、過去に確か「文章塾のゆりかご」というサイトで発表させていただいた、最近の作品群の中では、初期の頃に書いたお話です。
『初演』の頃とは主人公の名前ですら変わっていて、テーマも正直言うとより深くなっています。
いくつかの事件の流れはそのままです。
よかったら、このブログ内の記事にも同じ題名の作品があると思うので(それが『原作』です)、読み比べていただけると、僕の約4年間の変遷の一部が見て取れて、もしかしたら興味深いかもしれません。
そうです、あれが、今書くとこんな感じになるのです。
よかったら感想をお願いします。
ではでは~
失礼します♪
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