おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
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スペカラ照明係、今日のふり返り。

2010年01月11日 03時55分44秒 | 演劇・舞台照明
 今日の夜、スペカラの新年会のスタッフの仕事をしに行った。
 そこで、嫌な思いをした事件がひとつあった。
 僕がオペしていた照明にわざわざ大声でいちゃもんをつけてくるおじさんがいたのだ。
 ちゃんとした公演の、終わった後に意見として提示してくださるのなら大歓迎だし、それはとてもありがたいことだと思うが、パーティー照明のアドリブのオペに対して、それもやっている最中に劇場の端から大声を張り上げて「ここはこうしろ!」と意見するというのは、ちょっとどうだろうか、といったところである。
 実際そのおじさんは、かなり酒を飲んでいたし、酔っ払っていたのかもしれないが、真面目に照明操作をやっていた僕からすると、プライドは傷つけられるわ、気分は害するわで、まったく災難であった。

 しかし、冷静になって考えると、そのおじさんの言っていたことは、いちおう何かを考え始めるきっかけくらいにはなる内容のことであった。

 おじさんと僕の、意見の対立図はこうだ。

 舞台の正面の壁に、マイケルジャクソンのDVDが流されていた。
 その前で、マイケルのトリビュートダンスがパーティーの参加者によって行われていた。

 おじさんは、壁に映っている映像を見せる為に、壁当ての明かりを消せと言った。
 僕は壁当ての明かりのハレーションがダンサーを見せる役目をほんのりと担っているので、壁当ては、映像が見える程度につけておくべきだと考えていた。

 この壁当て照明に対する、考え方の違いがぶつかったのである。

 この考え方には背景がある。
 映像を見せるか、ダンサーを見せるか、そういった選択に関する問題だけではない。
 おじさんの、ダンサーより映像を、という主張には理由がある。
 それは、そこがパーティー会場だったことと深い関わりがある。
 簡単に言ってしまえば、ダンサーが見えるかどうかなんてどうでもよかったのである。
 もはやあの場所は舞台ではなかった。
 そこにいた全員が演者であり、純粋な観客、お客はあそこにはいなかったのである。
 だから、みなの見たい焦点はマイケルの映像であった。
 それに合わせてみなで踊り、語り合い、楽しみたかったのである。

 そこで、僕はまだ舞台人としての照明係のモードのままだった。
 観客がいる時の、最善の照明を作っていた。
 まあダンサーに明かりが当たることで、見られている、という(お互いの、も含む)緊張感が増す、という効果はあるにはあるのだが、あまりあの場面では、その効果は必要だとは思えなかった。もはやゴーゴータイム、完全に遊びの、ダンスを楽しむ時間だったから。
 だから僕はあそこで、モードを切り替えるべきだったのである。
 演劇・ショーの照明のモードから、今日のような、ああいった気持ちでみんなで楽しんでいる状態を、盛り上げる(もしくは邪魔しない)照明を作るモードに。

 空気を読むという業は、演劇において特に大事である。
 今日は、それを教わった気がする。

 一つだけ言い訳をさせていただくと、マイケルのDVDをバックに皆が踊ったのは、パーティーのいちばん最後で、それまでは普通の舞台(お笑い、演劇、ダンス、音楽等)を余興として幾つかやっていたのです。
 だから気持ち的に、全体の雰囲気が変わったのを察知し損ねました。。。

 頑張ります。


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