私の弟の家庭では長年犬を飼っていた、彼が仕事から帰ってきて
車庫に車を入れると同時に、玄関で迎えてくれるのが日課、その
愛犬が亡くなった時の悲しみと喪失感は計り知れないものだった、
まさに家族の一員、愛犬に癒された15年間だった。
昔は軒先につながって破れ鍋にぶっかけご飯が定番、いわゆる番
犬だったのが住宅事情も変わり室内で飼われるようになり次第に
家庭犬として地位を獲得した。
愛犬家として知られた哲学者池田晶子氏のエッセイにはこんなこ
とが書かれていた「別の生き物と寝食をともにすることが楽しい、
相手が言葉を話さないと言う新鮮さ、話さないのに常に何かをこ
ちらに伝えようとしている、こちらは言葉により確認し少しずつ
接近する、そしてよりよい硬い友情を築くことが可能になる、そ
してスキンシップで私の心は安らぐ」
又犬が人間に愛されるのは言葉を話さないから、人間のように言
葉によって他人の心をあざむいたりしないとも言及してる、そし
て犬の命は短い、たった15年、あとからきたのに先に逝くのも
愛される理由かもしれない。