「慰安婦説明板」再設置要求 韓国団体が天理市に署名提出へ
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昨年4月に撤去された説明板=(聯合ニュース)
(聯合ニュース)
【統営聯合ニュース】韓国の市民団体が、奈良県天理市が昨年4月に撤去した植民地時代の強制連行と慰安所に関する説明板の再設置を求める署名を同市に提出することが8日、分かった。
韓国南部・慶尚南道の団体「日本軍慰安婦ハルモニ(おばあさん)とともにする統営・巨済市民の集まり」によると、同団体は今年7月から慶尚南道の統営市、巨済市、晋州市、中西部・忠清南道の瑞山市などで説明板の再設置を求める署名運動を展開し、これまでに1万11人の署名を集めた。
9日に天理市を訪問し、市長に署名を提出する。統営市と巨済市の首長、市議会の意見書も一緒に渡す予定だ。また、提出後に天理市の記者室で説明板の再設置要求に関する公開インタビューを行うほか、講演会なども開く。
この説明板は1995年に旧大和海軍航空隊大和基地(通称・柳本飛行場)の跡地に天理市と同市教育委員会が共同で設置。1944〜45年の同飛行場建設について、「工事には多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって連れてこられ、厳しい労働状況の中で働かされた」「『慰安所』が設置され、朝鮮人女性が強制連行された」などの記述があった。
しかし、この記述をめぐって抗議の電話などが相次ぎ、天理市は記述を根拠付ける資料がないとして昨年4月に撤去した。
第一美保海軍航空隊(鳥取県境港市)が第二美保海軍航空隊となり
その後、奈良県天理市に移転し大和海軍航空隊となったようです。
地名が天理市柳本なので通称柳本飛行場とも呼ばれています。
戦後米軍接収を経て農地に戻され、今は防空壕などの付帯設備の残骸があるとか。
「強制連行された朝鮮人が3000人、県内から集められた軍属・成人男女の勤労奉仕隊・中学生を主とした学生・予科練習生が(造成に)あたった」
「朝鮮人徴用工の宿舎、軍関係者の宿舎の近くに慰安所があり、40人ほどの強制連行された朝鮮人女性がいた。」
案内板のひとつには次のような記述があります。(上記、記事中の画像)
この建設工事には多くの朝鮮人労働者や強制連行によって、
柳本の地に連れてこられ厳しい労働状況の中で働かされました。
強制連行された人達は次のように証言しています。
「寝ているときに急に人が入ってきて連れて行かれた。1943年の秋だ。」
「トラックで運ばれたあと、貨物列車に乗せられて、着いたのが柳本だった。何百人といた。私の村からは4人いた。とにかく多かった。」
「朝5時半に起きて、飛行場建設にあたった。沖縄戦が始まってからは、夜にも(山の斜面に)トンネルを掘らされた。」
「朝鮮人強制連行と天理柳本飛行場」(奈良・発掘する会)より抜粋
この案内板の設置者が天理市・天理市教育委員会です。
ですが、記述を証拠付ける資料がないとの事。
検証もせずに設置したとは、あまりにも無責任過ぎませんか?
戦時中、勤労奉仕で多くの日本人は工場等に動員されています。
この柳本飛行場でも同様で、中学生を含む勤労奉仕が造成に参加したとのこと。
それが日本人としての務めでした。
当時は朝鮮半島は日本に併合されていましたから、日本人と同様に扱われたというか
日本人より優遇されたところもあると聞きます。
この案内文は天理市教育委員会ですから、校外学習で小中学校の児童生徒が訪れたでしょう。
その時の教師の説明はこの案内板に沿ったものだったと想像できます。
市民からの指摘と抗議で昨年4月にやっと撤去したとかですが
20年近くこの案内板があり、その間多くの子供たちが見、
教師の教えを素直に聞き信じたと思うと恐ろしいです。
韓国市民団体がこの案内板の再設置の署名を市に提出するらしいですが
天理市は撥ね退けるべきです。
今後、日本のあちこちで同様の動きがある可能性があります。
賠償金請求もあるでしょう。
相手は韓国です。
嘘偽りはお得意のものです。
一旦認め、譲歩したら最後、大変な事になります。
その譲歩が前例となり、他の自治体、また企業に悪影響を及ぼします。
天理市は頑として署名受け取りを拒否すべきではないでしょうか。
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