日本語が亡びるとき 水村美苗 筑摩書房
副題は「英語の世紀の中で」とある。第一章のアメリカのアイオワ大学で行われたIWP(International Writing Program)に参加したときの体験談から始まる。これは世界各国から小説家や詩人を招待し、アメリカの大学生活を味わいながらそれぞれの仕事を続けてもらおうというプログラムである。著者のとってアメリカは十二歳から二十年間住んだ所で、第二の故郷と言うべきものだが、本人の言によるとこの国に馴染めなかったらしい。それは直接には英語に原因があったと言っている。その本人が英語は世界の普遍語だと強調しているのだから面白い。アメリカに招待された作家達は英語の得意な人も全くしゃべらない人もいて、それぞれが個性的なのだが、その中で意思疎通を図るには英語に頼るしかないという認識が生まれる。
日本語は世界の言語の中ではマイナーであり、日本及び日本人が世界の中で主要な地位を占めるためには世界の普遍語である英語をマスターする必要があるというのが著者の主張なのだが、少し唐突な感じがする。今流行の英語教育論とも違うし、日本語を軽視するのとも違う。世界的に活躍する野望を持っている人は言われずとも英語をマスターするであろう。日本文学も亡ぶという論も少し違うと思う。そもそも言語はそこに住む人間がいる限り生き残るもので、それを守るためのナショナリズムも必ず生まれる。複合的な要素があって、そう簡単にはいかない。著者の主張の源流は何かというのが、私には興味が湧く。次の機会にまとめて欲しい。