読書日記

いろいろな本のレビュー

ユダヤ人の起源  シュロモー・サンド  浩気社

2011-05-07 14:21:07 | Weblog
 この書はユダヤ人によるシオニズム批判である。最後はシオニズムの結果誕生した国家、イスラエルの批判となっている。シオニズムとは、長く離散の状態にあったユダヤ教徒が約束の地、シオン(エルサレム)に帰還することで、始まりは19世紀後半、ヨーロッパやロシア各地で排外的なナショナリズムが生まれ、ユダヤ人が追いつめられたときである。当初シオニズムはユダヤ教の教えに反するということでユダヤ教徒からは否定されていた。その後、1948年にイスラエルが建国されたわけだが、その陰にはナチのジェノサイドに責任を感じた欧米諸国の協力もあった。
 シオニズムの前提となるのはシオンからの追放だが、著者によればこれがそもそも疑わしいという。まず第一にローマ人はいかなる「民族」の組織的追放も決して実行したことはなかった。ユダヤ人は離散したが、各地でユダヤ教を広げ信者を獲得して行った。こうしてユダヤ人が増えたのはローマ帝国、アフリカ、ロシア等でユダヤ教の改宗者が増えたためである。(この件は第三章「追放の発明ーー熱心な布教と改宗」に詳しい)したがってユダヤ人というものがアプリオリなものとして存在するわけではなく、19世紀のヨーロッパのナショナリズムの中で生み出されたものなのだ。ユダヤ人というのはユダヤ教徒であって、民族(エスニック)とは関係がない。本書の原題は「ユダヤ人の発明」なのだが、まさにユダヤ民族・人種は「発明」されたのである。故国喪失と追放の神話はキリスト教の精神的遺産の中で維持された後、そこから再びユダヤ人の伝承の中へ浸透してきたものであり、それに続いてネイションの歴史に刻み込まれた絶対的真実へと姿を変えたのであった。
 一方、シオニズムによって建国されたイスラエルはパレスチナ人を追い出し、彼らの土地を奪うことでできた。以来パレスチナ人との争いは周知の通りである。近年イスラエルの強硬姿勢は批判の的だが、ジェノサイドに負い目を持つ欧米諸国はその批判に応えることができない。反ユダヤ主義のレッテルを貼られるのが怖いのだ。アメリカは特にそうである。「民族」という虚構で集められた「ユダヤ人」の国家は他と比べて異様な姿を現している。イスラエルはユダヤ人のための国家で、ユダヤ人の定義は、ユダヤ教徒であることが基本で、その母から生まれたものだけがユダヤ人ということで、他の宗教・民族には不寛容だ。他民族との融和・共生という発想の無さがパレスチナ人問題の解決を阻害している。本書ではユダヤ人自身からそれに対する批判が提起されたことはある意味画期的だ。内部から変革しなければ国際的な孤立を招くだろう。
 

盤上のアルフア  塩田武士  講談社

2011-05-07 12:34:39 | Weblog
 タイトルのアルフアとは狼の群れのボスのことらしい。基本的に群れの中で交尾できるのはこのアルフアで、交尾中に他のオスの妨害にもめげず戦い抜く姿にインスパイヤーされた男の生き方を描く。男の名前は真田信繁で将棋のプロを目指す。家庭的には不幸で、母は男を作って出奔、父は育児を放棄、伯父の家に預けられ苦労の連続。将棋は父から指導を受けてたしなみはあったが、ある日、謎の真剣師に出会って将棋の魅力にはまりプロ棋士になりたいと思うようになった。真剣師とは掛け将棋で生きている人のこと。プロ棋士は簡単になれるのものではないのだが、現世の不幸を払拭してこれ一本に賭けられるものとして意識されている。狂言回し役が、新聞記者の秋葉隼介。自身は事件記者から将棋観戦記者に配置換えを食らい、腐っているという設定だが、新聞記者としての体験に負うところが多いのだろう。真田は33歳で、年齢制限で本来ならプロ棋士の養成機関である奨励会の三段リーグに参加できないが、特別に編入試験を受けて奨励会員の二段・初段7人と戦って6勝すれば合格できる。結局初戦は敗れたが、あと6連勝するという小説ならではの奇跡の展開を見せる。
 しかし、合格しても三段リーグを抜けるのは簡単ではない。したがって無事プロの4段になってめでたしめでたしという話ではないので、それが却ってこの小説に陰翳をもたらしている。喜怒哀楽、幸・不幸、運命的な出会い等々、ある限りの要素を全部つぎ込んで書いた感じの小説だ。腰巻には「第五回小説現代長編新人賞選考会満場一致の完全受賞作」とある。確かによくまとまっているが、読んでいると次の展開が予想できてしまって意表をつくということがない。2作目が難しいだろうと思う。実は真田信繁は作者の創作ではない。モデルは瀬川4段という人物で、もと奨励会員だ。年齢制限で大会後、アマ棋界で大活躍しプロにも互角の勝負ができるほど腕をあげて、編入試験で四段になった。彼は退会後、大学に行きサラリーマンになった。本書はそれをデフオルメして書いている。そのほうがドラマになりやすいことは確かだ。棋士の次は何で勝負に出てくるのか、お楽しみ。