この書はユダヤ人によるシオニズム批判である。最後はシオニズムの結果誕生した国家、イスラエルの批判となっている。シオニズムとは、長く離散の状態にあったユダヤ教徒が約束の地、シオン(エルサレム)に帰還することで、始まりは19世紀後半、ヨーロッパやロシア各地で排外的なナショナリズムが生まれ、ユダヤ人が追いつめられたときである。当初シオニズムはユダヤ教の教えに反するということでユダヤ教徒からは否定されていた。その後、1948年にイスラエルが建国されたわけだが、その陰にはナチのジェノサイドに責任を感じた欧米諸国の協力もあった。
シオニズムの前提となるのはシオンからの追放だが、著者によればこれがそもそも疑わしいという。まず第一にローマ人はいかなる「民族」の組織的追放も決して実行したことはなかった。ユダヤ人は離散したが、各地でユダヤ教を広げ信者を獲得して行った。こうしてユダヤ人が増えたのはローマ帝国、アフリカ、ロシア等でユダヤ教の改宗者が増えたためである。(この件は第三章「追放の発明ーー熱心な布教と改宗」に詳しい)したがってユダヤ人というものがアプリオリなものとして存在するわけではなく、19世紀のヨーロッパのナショナリズムの中で生み出されたものなのだ。ユダヤ人というのはユダヤ教徒であって、民族(エスニック)とは関係がない。本書の原題は「ユダヤ人の発明」なのだが、まさにユダヤ民族・人種は「発明」されたのである。故国喪失と追放の神話はキリスト教の精神的遺産の中で維持された後、そこから再びユダヤ人の伝承の中へ浸透してきたものであり、それに続いてネイションの歴史に刻み込まれた絶対的真実へと姿を変えたのであった。
一方、シオニズムによって建国されたイスラエルはパレスチナ人を追い出し、彼らの土地を奪うことでできた。以来パレスチナ人との争いは周知の通りである。近年イスラエルの強硬姿勢は批判の的だが、ジェノサイドに負い目を持つ欧米諸国はその批判に応えることができない。反ユダヤ主義のレッテルを貼られるのが怖いのだ。アメリカは特にそうである。「民族」という虚構で集められた「ユダヤ人」の国家は他と比べて異様な姿を現している。イスラエルはユダヤ人のための国家で、ユダヤ人の定義は、ユダヤ教徒であることが基本で、その母から生まれたものだけがユダヤ人ということで、他の宗教・民族には不寛容だ。他民族との融和・共生という発想の無さがパレスチナ人問題の解決を阻害している。本書ではユダヤ人自身からそれに対する批判が提起されたことはある意味画期的だ。内部から変革しなければ国際的な孤立を招くだろう。
シオニズムの前提となるのはシオンからの追放だが、著者によればこれがそもそも疑わしいという。まず第一にローマ人はいかなる「民族」の組織的追放も決して実行したことはなかった。ユダヤ人は離散したが、各地でユダヤ教を広げ信者を獲得して行った。こうしてユダヤ人が増えたのはローマ帝国、アフリカ、ロシア等でユダヤ教の改宗者が増えたためである。(この件は第三章「追放の発明ーー熱心な布教と改宗」に詳しい)したがってユダヤ人というものがアプリオリなものとして存在するわけではなく、19世紀のヨーロッパのナショナリズムの中で生み出されたものなのだ。ユダヤ人というのはユダヤ教徒であって、民族(エスニック)とは関係がない。本書の原題は「ユダヤ人の発明」なのだが、まさにユダヤ民族・人種は「発明」されたのである。故国喪失と追放の神話はキリスト教の精神的遺産の中で維持された後、そこから再びユダヤ人の伝承の中へ浸透してきたものであり、それに続いてネイションの歴史に刻み込まれた絶対的真実へと姿を変えたのであった。
一方、シオニズムによって建国されたイスラエルはパレスチナ人を追い出し、彼らの土地を奪うことでできた。以来パレスチナ人との争いは周知の通りである。近年イスラエルの強硬姿勢は批判の的だが、ジェノサイドに負い目を持つ欧米諸国はその批判に応えることができない。反ユダヤ主義のレッテルを貼られるのが怖いのだ。アメリカは特にそうである。「民族」という虚構で集められた「ユダヤ人」の国家は他と比べて異様な姿を現している。イスラエルはユダヤ人のための国家で、ユダヤ人の定義は、ユダヤ教徒であることが基本で、その母から生まれたものだけがユダヤ人ということで、他の宗教・民族には不寛容だ。他民族との融和・共生という発想の無さがパレスチナ人問題の解決を阻害している。本書ではユダヤ人自身からそれに対する批判が提起されたことはある意味画期的だ。内部から変革しなければ国際的な孤立を招くだろう。