読書日記

いろいろな本のレビュー

いねむり先生  伊集院 静  集英社

2011-09-18 09:43:51 | Weblog
 いねむり先生とはマージャンの巨匠阿佐田哲也、(作家としては色川武大)のことで、今から20ほど前の回想記である。先生との出会いと別れの話は夏目漱石の『こころ』を彷彿させる構成である。いみじくも著者の妻は女優の夏目雅子で、彼は40歳で妻子を捨ててこの有名女優と道ならぬ結婚をしたが2年後、新妻は癌で死去するという不幸に見舞われた。それ以後自暴自棄になりアルコールに溺れ、郷里の山口県に帰り、鬱鬱とした日々を過ごしていた。そうした中で東京のKさん(前に小説の挿絵を描いてくれた人)から先生を紹介される。先生は当時麻雀作家から純文学作家に転向して、世間の注目を浴びていた。「いねむり」とは持病のナルコレプシーのためにどこでも眠ってしまうことからつけられたものだ。先生は麻雀のみならず競輪が好きで、全国の競輪場を回っている。著者も麻雀・競輪が好きで先生と一緒に競輪の旅に出る。そして、先生のでしゃばらない人柄に惹かれ、妻を亡くした悲しみが癒されて小説家として再起しようとしているところで先生は亡くなる。
 全編会話体で二人のギャンブラーの日常としては非常に静謐で、どろどろした情念は極力排除されている。先生は自分のプライバシーは語らないが、それがますます先生をカリスマ風の人物に仕立てて行く。先生即ち作家色川武大は『狂人日記』や『百』で作家としての地位を確立したが、ともに私小説で、こういう人生もあるのかという点が読者に受け入れられた。この小説でも先生は飽くまで寡黙で多くを語らないが、『こころ』の先生みたく、ときどき箴言めいたことをのたまう。
 伊集院氏もこの20年で作家としての地位を確立したし、還暦を過ぎて一つのメルクマールとして記録したかったのだろう。私はこの作家はあくの強いどちらかと言うと好きではないタイプと意識していた(美貌の女優と再婚したという嫉妬めいたものはもちろんあるが)。しかし、この作品は蒸留水のような、あるいは淡いワインのような味わいがある。先生と妻に対するオマージュとしてはこのテイストでなければならなかったのだろう。合掌。